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長篠城が"天然の要害"である理由:長篠城の地形と地質part1【お城と地形&地質 其の六-1】

戦国時代の「城」は、様々な理由でそこに建っています。
その地域を治めるために立地が良いとか、政治的な意味もあるでしょう。
そして何より他大名との戦での「守りやすさ」も重要です。
そのような「お城」を地形・地質的観点から見ていくシリーズ。
今回は長篠城です!

なお「長篠の戦い」については以下記事をどうぞ👇


長篠城とは?

長篠城(ながしのじょう)は1508年に菅沼氏によって建築された城で、三河国(現在の愛知県中~東部)の東端の地域に位置しています。
当初は今川氏に属していましたが、後に徳川家康の領地となります。
しかし三方ヶ原の戦いに至る武田氏の東三河侵攻によって落城。
その後すぐに家康が奪還するも、信玄の死後家督を継いだ武田勝頼が再び攻め入り、これが有名な「長篠の戦い」を引き起こしました。

三方ヶ原の戦いについてはこちらをどうぞ👇

なお長篠城は日本100名城の1つだそうです。
詳しくは以下サイトを参照ください。

長篠城の場所は?

長篠城は2つの河川の合流点に建てられており、自然地形を利用した「天然の要害」と言われています。
ではどのような場所なのか?地形図を見てみましょう。

愛知県の位置①:フリー素材に筆者一部加筆
愛知県の位置②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

まずは地理が苦手な人のために、愛知県の位置です。

長篠城の位置:スーパー地形画像に筆者一部加筆

愛知県は蟹のハサミのように突き出た2本の半島が特徴的ですよね。
その東の方の渥美半島(あつみはんとう)の東北東に長篠城があります。
そしてさっそく、この時点で気になる地形を発見!
長篠城から北東にのびる直線状の溝地形、見えませんか?

長篠城の位置②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

これです。
「三方ヶ原の戦い」でも紹介したので覚えている方もいるでしょう。

これは日本屈指の大断層である中央構造線です。
なんと長篠城は、中央構造線沿いのお城だったんですね!
これはどんな地形なのか益々楽しみになってきました♬

長篠城周辺の地形

さっそく地形図を見ましょう。

長篠城周辺の地形図:スーパー地形画像に筆者一部加筆

図の左下の平野が豊橋平野です。
細長い三角形のようなかたちをしており、そのちょうど先端付近に長篠城があります。
こうして見ると、まさに平野の入り口の門番のような位置づけですよね。

広い平野は領主にとって重要な穀倉地帯ですし、それを守る一角として、地政学的にも重要な城だったと分かります。

長篠城周辺の地形図②:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さらに拡大しました。

なるほど!
これを見て一発で「天然の要害」が理解できました。
北東から流れる宇連川(うれがわ)と北から流れてくる豊川(とよがわ)の合流点に位置し、しかも川沿いは河川侵食による急崖

長篠城そのものは段丘平坦面の上に建っていますが、その平坦面は山と川に区切られて台形状のかたちなっており、その角の先端に位置しているため、攻められる方向は限られます。

長篠城周辺の地形図③:スーパー地形画像に筆者一部加筆

さらに拡大しました。

南と東は川底との落差が約30mの崖であり、ここからの侵入はまず不可能。
川を挟んだ対岸との距離は約100m
当時の火縄銃の有効射程距離が100m以内とのことなので、けん制程度にしかならないでしょう。

そのため長篠城を攻略するためには、「台形の段丘平坦面に侵入する」の一択になると思います。
しかし台形の北西端は斜面と川に遮られており、まず侵入不可能。
一方、北東端は現在は国道と鉄道(JR飯田線)が通っており、幅約50mの隙間になっています。

ではここさえ守りで固めてしまえば安泰だ!
と言うと、実はそうでもないんです。

長篠城の弱点とは??
次回に続きます。
お読みいただき、ありがとうございました。

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