夏のある日、突然やってきた愛車との別れ。
(あ、「ハワイは年中夏でしょ」と突っ込まれそうだけれど、実はハワイにも穏やかな季節の移ろいがあります。)
気づけば、12年間も乗っていた。1台の車をこんなに長く乗ったのは初めてだけど、アメリカでは案外、皆、古い車を大切に乗り続ける。そういえば、古い家も手を加え、メンテナンスしながら大切に住む。こちらに来て、そんなアメリカ人の意外な(?)一面を知り、「素敵だな」と思った。
それはさておき、いろいろあって私の12歳のクルマ、これ以上乗り続けるのが困難な状況に陥った。
保険会社が手配したレッカー車が、自宅までクルマを引き取りにやってきた。長年乗ってそれなりに傷もあるし、手放すのが惜しいとは感じない。
ただ、私の足となってよく走ってくれたので、ちゃんと見送ろうと思った。
レッカー車のドライバーが、主人のデイヴィッドとフレンドリーに話をしながら手慣れた感じでクルマを乗せ、台に固定する。私は感傷的になることもなく、ただ「へぇ…」とプロの仕事を見守るのみ。
いよいよドライバーがレッカー車の運転席に乗り込んだ。そして、愛車を乗せたレッカー車が海に向かって坂道を降り始めたとき、急に涙が溢れ出た。
愛車との思い出に感無量になった、、のではなく、思い出に紐づいた時々の感情がフラッシュバックして、胸が詰まったのだ。
というのも…
私のハワイ島生活、最初の10年くらいまでは年月とともに「アウェイ」に暮らす厳しさ・難しさを強く感じるようになっていった。突き詰めると、文化や国民性の違いを軽くみていた、の一言に尽きる。まずは、日本で培った私の「常識」や「正義」が通じない。私もアメリカ人のそれらを理解できず、面食らったり、傷ついたり。言葉のハンディも少なくなく、言いたいことを表現しきれないストレスも。。
このクルマを買ったのは、そんな時期を5年過ごし、もどかしさや悔しさ、無力感、さらには、私がそう感じていることを周囲に理解されない孤独…をじわじわ味わっている頃だった。
愛車はレッカー車に積まれて、車体右後ろのキズがちょうど私の目線の位置にきた。
「あぁ、以前やっていたアートギャラリーの前で擦ったんだったなぁ。」と、傷をつけた時のことを思い出した。それを契機に、当時、アメリカ人ビジネスパートナーとの会話で反射的に言葉が出ず歯がゆかったことなど、さまざまなエピソードと感情が同時多発的によみがえった。
涙は頬をつたい、愛車は坂の下に消えていった。
このクルマとともに幸せな時間もたくさん過ごしたのに、なぜか思い出すのは、辛かったことばかり。けれど、「もう、懲り懲り」ではなく「よく頑張ったなぁ」の涙だった気がする。
思いがけず、センチメンタルな別れだった。
その後、次のクルマ選びに疲弊するとは、この時にはつゆ知らず。。
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