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”優秀な人”が、必ずしもその企業で活躍するとは限らない

「この方は優秀なので是非面接を願いします」。人材紹介会社から推薦があると、たいていこういう文章でメールが締めくくられている。私は底意地が悪いので、こんな疑問が毎回沸き起こってくる。

優秀って、どうしてそう思うんですか?1度あっただけでしょ。

いい人だとか、優秀だとか、人はどんな時にそう感じるか?大勢の人の前で、演説やプレゼンを堂々とやってのける時ですか?小難しい理論を、ペラペラと雄弁に説明する時ですか?資料をちらっと見ただけで、コスト計算をあっという間にする時ですか?そういう時もあるだろうが、それはただ、自分が得意ではないことをさっとやってのけ、圧倒されているに過ぎないのではないか。それよりも、会議中、予定調和でみんなが賛成して次の議題に行くときに、「あの~、素朴な疑問なんですが、これってホントに必要ですか?」と盲点をついてきたり、マニュアルには書いていない裏技で、他の人よりも短時間に表計算をし、新人も役員もわかる資料を作ったりする時に、「うわ、この人すごい!」と思ったりしないだろうか。つまり、

優秀さとは、ある程度一緒に時間を過ごす中で、ふと感じること

そうなれば、登録にやってきた人材会社の担当者が、1時間程度、経歴に関する質疑応答でわかる事ではない、と私は思う。それは、誰もが知る難関大学卒とか、ランキングに入る企業の花形の職種だとか、わかりやすい経歴を持っている人が「優秀」といっているに過ぎない。もちろん、難関大学に入るのも、人気企業に入るのも、決して楽ではないが、それとビジネス上おける優秀さとは、質が全く違うのだ。その証拠に、有名大学を出ていても、「仕事が出来ない」とお荷物扱いされている人材はどこにでもいる。

つまり、その企業で活躍し成果を残せる人材と、キラキラした経歴を持っていることはイコールではないのだ。例えば、東大出身で大蔵省で国家予算を担当している人が、一般企業の財務部で必ず出世出来るだろうか。答えは「No」だ。金勘定という意味では同じ仕事でも、そもそも国の財政と、企業の財務は、あり方や考え方の根本が違うのだ。

私は採用の仕事をしていて、人材紹介会社に依頼する時に必ず言うのだ。

優秀な人はいりません、この企業で活躍できる人を紹介してください

と。つまり、経歴、経験の詳細を把握するのではなく、どんな生き方をしてきたのか、どんな生き方をしたいのかという部分が理解しないと、人と同じように違う違う特徴を持つ企業で、その人材が持っている力を最大限に発揮できるのか、想像が出来ない。例えば、一人一人のお客様のニーズをつかんで提案することが得意な営業が、ノルマ至上主義で、目標達成ごとに特別ボーナスが貰える企業で働いたら幸せだろうか。次々の斬新なアイディアが沸き起こる人が、給料がそこそこいいけれど、毎日同じ作業で残業のない仕事で満足するだろうか。

誰しもが”優秀”と言う言葉に敏感だ。逆を言えば、誰しもが”優秀”と言う言葉に劣等感を抱いている。だが、その言葉の意味は、時代により、人のより、場合により、千差万別。

「この人は優秀な方です」というのは簡単。だったら、一体どこがどんな風に優秀で、なぜ推薦するのか、具体的な根拠を示せなければ、その人の優秀を理解していない証拠だ。

追記:出雲千代さんのイラストを使わせていただきました。ありがとうございました。

「人生経験の引き出し」がいっぱいあります。何か悩み解決のヒントになる話が提供できるかもしれません。