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【国際結婚・嫁姑問題】死者に鞭打たれた話

死者を鞭打つという表現があるが、私は死者に鞭打たれた事がある。
もう何年も経ったから、ここで日本語で愚痴ることを許してほしい。

姑にとって嫁は結局他人、可愛い息子を盗った敵というのは、まあ本音なんだと思う。
でも表面上は、仲良く和気あいあいとしている振りをするのが大人のマナーであろう。

だから夫の母とはそれなりに、波風立たないように温和に付き合ってきたつもりだ。本音はどうであれ、表立った衝突はなかった。

しかし義母は、かまってちゃんの面倒くさい人で、かつチクリと意地の悪い物言いが得意な人であった。
私は英語のわからない振りをしてスルーしていたが、意地の悪さはいつもしっかり伝わっていた。

そんな義母が亡くなった後、お葬式に集まった息子たちとその嫁3人(私も含む)を前に、夫が、義母の手紙を読み上げた。
死期を悟っていた姑は、形見の品をきちんと分けて準備していたのである。

姑の手紙の出だしは、形見(遺品)分けに関しては嫁は全員一切関与しないこと、手も口を出すな、と書いてあった。

言われなくても姑の遺品で欲しいものなど一つもない。
何かを持って帰ろうなんてハナから思っていないのに、最後の手紙の最初の一言がこれとは、余りに失礼な話ではないか。

「あんたたちはどうせ他人、意地汚く私のものに手を出すんじゃないわよ!」とあらぬ罪を着せられて、死人に鞭打たれた気持ちだった。

夫の兄弟の嫁さん達は再婚組で、義母との付き合いは私よりずっと短かったが、どう思ったであろうか。
嫁達の間に微妙な空気が流れたのを、今でも覚えている。

なんせ亡くなった直後だったので、義母を悪く言うわけにもいかない。
しかしこの最後の一言で、姑の印象は、過去の思い出も含めて、全てがネガティブなものと変わった。

死ぬ時ぐらい、嘘でもいいから優しい言葉を残していけなかったのだろうか。

姑はそれでも私に、指輪を一つ形見として遺したが、大女だった義母の指輪が、私の指に合うわけがない。
その指輪は、私の末娘に進呈した。

姑はきっとこうなることを見越して、私に大きな指輪を遺したのではないか。
と、ついうがった見方をしてしまう私も、同じく意地の悪い人間なのだろうか。

死してなお、巧妙な嫁いびりをしてくれた姑であった。

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