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アラジン珈琲店 第一集<X版>

アラジン珈琲店 第一集<X版>
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①《アラジン珈琲店》
アラジン。茜色が西の空を染める頃から、濃紺が空一面に広がり始める時刻にかけて、いつの間にやら街角に忽然と姿を現す珈琲店。
 とっぷりと日も暮れた。夜空に星々が白に黄色、オレンジに赤と踊り始めるころ、カラランコカランと扉を開ける音が響いた。今夜も新客がやってきた。
「・・・。」
お客は決まって無口で扉を開く。それは、アラジン珈琲店だけではなく一人客なら大抵どこでも同じこと。ましてや新客なら当然のこと。
 芽衣がパリの街角にあるようなアンティーク調の木製の扉の方へと進んだ。茶色の落ち着いた色調の扉だが、茶の湯の茶室に入る扉を縦にやたらと細長くした位の大きさで、たいていの大人は身を細めてやってくる。扉を開くと珈琲の香が無限の奥行を錯覚させる店内から嗅覚を刺激する。上背のあるすらりとした新客は、白い顔をしたまま視線が定まっていない。何か腑に落ちないものをかかえている様子のまま店内を観察した。
「あら、いらっしゃい。ご案内致しますわ。」
明るい声で出迎えた芽衣は、このカフェのメイドである。口角がゆるやかに上がったアルカイックな微笑で新しいお客様を迎えるのは、いつも芽衣だ。安定して幸福感の高い人がそうであるように、芽衣の目元は出会う人をみな祝福で包みこむような喜びを称えている。歳は20代半ばと言った頃に見えるが実際はもっと年齢を重ねているのかもしれない。黒と白を基調とした、レースと膨らみの多いメイド服で膝が隠れる丈のスカートは清楚な雰囲気を醸し出していた。腰もとで巻かれたエプロンの白い紐は、華奢だが女性らしい芽衣の身体の凹凸を際立たせていた。何より、人間離れした穏やかさが身体中から放たれていた。
 黒髪の新客は大きな音を立てないよう配慮しながら、珈琲店の小さな木製の扉を閉めた。扉は滑らかに動き開いたときと同様、また奇異を感じさせない素直な開閉の音がしたが、先と違い新客に店に今入ったという明瞭な自覚をもたらした。カラランコロン。

新客は冷静な表情で珈琲店内を一覧したあと、はっとしたように会釈をした。視線を方々から感じたからだ。一礼はごく軽いものだったが、礼儀正しさが伝わるには十分だった。
「あら、イケメン。美男、好青年。あっ、あなたは・・・・」
翔子は、来店した男の顔を見てあっと驚き息をのんだ。彼女はこのカフェの常連だ。やってくる客を時を忘れて観察しては、歯に物をきせずものをいうアラフォーの主婦である。小さな子を子育て中だという話しだ。とても柔和な顔立ちをしていて、まさかシニカルな類のコメントがでてくるようには到底見えない。髪型はふわりとして毛先はゆるくうちまきにカールしていた。白いブラウスに、主張しすぎないアッシュピンクの揺れ感のあるプリーツシフォンスカートをはいている。彼女も口元に微笑が見られるが、芽衣とは違った印象を与えた。それは子供のためにいい印象を持ってもらいたいという欲求があからさまなママのそれであった。付き合い上手を装いたいが実はそうではないということを洞察力のある人ならばすぐに見抜ける類のものである。しかし、最近のアラフォーがそうであるように、彼女も十分に若々しく、かつ熟成した魅力が宿りつつある女性であることに間違いはなかった。
「・・・。」
蒼白といえるほど色の白い新客の表情は、翔子の言葉に対応するべく好印象以外受け取れないようなごくごく自然ではにかんだような笑顔を見せた。しかし目の奥の生気は今にも消えそうな蝋燭のともしびのようであったのをこの珈琲店のマスターは見逃さなかった。
「おや、いらっしゃい。さぁ、温かい珈琲をお入れします。ゆっくり一息ついていってください。生きていると色々ありますからな。」
マスターは、まるで旅先で偶然に会う千年来の友のように迎えた。渋みをしぼりだすような低音は、温かみのある落ち着きを伴った。
<ナレーション>
さて、ここでこの物語(小説)を始める前に、アラジンの店長であるマスターと、この物語を書くに至った背景について、少しお話しさせていただければと思います。ナレーションにお付き合いくださり、ご理解頂ける方のみ読み進めて楽しんでいただければと思います。
 まず、この店のマスターについて紹介させてください。2つほどの特異な点についてもお話しできればと思います。紹介といっても、マスターについての詳しい経歴や店をオープンするに至った理由は実はわたしもまだ知らないのです。ですから、彼のルックスについて説明できればと思います。
 マスターは、絵にかいたような老舗珈琲店の店長のなりをしていて、白の襟付きシャツの首元までぴっちりととめられたボタン、それから黒色のクロスタイにこれも黒色のベストを着用しています。
 第一印象は、長身の堀の深いダンディーな二枚目だと誰もが口を揃えるような風貌です。実際彼は、190㎝に届くか届かないかの高身長の持ち主でモデルの経験もあったそうです。肉体は鍛えられており、ベストの上からでもそれがわかる程胸筋には膨らみが見られます。また褐色の肌からは、週末は燦燦とした太陽に照らされ揺れて光るみなもの上を小型ジェットヨットにでも乗っていることを想起させるアクティブがあります。年齢は見たところ50代前半のようですが、髪は黒々として白髪は見当たりません。
 ポマードで艶々とした黒髪はオールバック、これもご丁寧に整えられた口髭。両端は少し上向きにカーブされており、まるでどこかの珈琲缶のトレードマークの絵柄さながらの風体です。付け加えるならば、口髭にはまばらに白髪が入り込んでいます。
 次に、当アラジン珈琲店のマスターについてのちょっと風変りな2点について紹介させてください。
 足元についてが、ひとつ目です。彼が着用していたのは老舗の珈琲店長が履いてしかるべき革靴ではなくスニーカーであり、少し前にマラソンで話題となったエアマックスを着用していました。
「全身ビシッと決めたいんですが、いやぁ足元は楽なのが一番ですな。流行りかどうかはわかりませんが試しに履いてみているんです。なんでも試してみるのが好きでしてな。これを機に走ってみてもいいかもしれませんな。ははは。」
靴に気が付いたお客様にマスターは鷹揚にこう答えています。スニーカーは様々なタイプを試しているらしく、また色調はオーソドックスな黒であったり、ときに目も覚めるような鮮やかな青色だったりと日によりこれもバラエティーがありました。しかし踵部位にスカルが施されていたのはいつも同じでした。スカル、つまり髑髏は、ある時は虹色のグラデーションで、またある時はアンチボルトの作品のように、花々や世界各地の珍しい植物で描かれていました。
 この個性の発露は、猫の目線でない限り珈琲店の珍品的な照明や統一感を保った店内の調度品からほとんどカウンター内で時を過ごすマスターの靴に気が付くことはまずないと思われます。
 アラジン珈琲店マスターのもう一点目の特異な点は、もしマスターと目を合わせたのならば誰でも一目瞭然、即気づかざるを得ない類ものです。なぜならそれは顔の中央より少し上にあるふたつの目ですから。彫りの深い顔立ちをしたマスターの両目の瞳は、左右色が異なっていました。見る人によっては、不思議さや神秘性も喚起させるこの両の色彩の異なる瞳は、5万人に一人程の出現率と言われています。この身体的特徴は虹彩異色症とよばれており、動物たちにも見られます。みなさまも青色と黄、緑、橙色と左右異なる瞳をもつ風変りな印象をもたらす稀動物をお写真などでご覧になったことがあるかもしれません。中でも白猫の出現率は25%とも言われており、また古来日本でも片方の瞳が黄色、もう片方が淡銀灰色や淡青色の猫は『金目銀目』と縁起の良い猫、幸運を運ぶ猫、そんな風にも『金銀妖瞳』とも言われてたようです。照明を抑えた店内で、まるで此の世のものではないようにマスターの両の瞳はときおり不可思議なほど煌きを放っていました。
 アラジン珈琲店に新しくやってきたお客様が、老舗のもつ揺るぎない正当性、それから期待を裏切らない老舗の落ち着きと近未来感とが突飛さを感じさせることなく均衡を保った店内からマスターに視線を移すと、まずはじめに引き込まれるのが、マスターのこの異色の両目でした。
 ここで、このお話を各に至った背景と意図を簡単にご説明したいと思います。再度になりますが、以下のことをご理解いただける方のみ読み進めていただければと思います。
 この小説は、去る2020年7月に自死により地上を去り天界へと移動された有名な俳優さんをモデルとした人物がアラジンのお客様として登場します。しかし、この俳優さんが死を選んだ理由を追及しようとするものでも、また世の中に飛び交うネガティブな憶測を広げたり新たに作り出す目的で書かれたものではありません。あくまでも、有り余る才能でわたしたちを楽しませてくれた(ファンの方のご意見参照。”時に勇気や元気をくれたり、ドキドキさせてくれたり”と)この俳優さんへの冥福の祈りであり、そして彼の残した力を与えてくれる言葉の共有の場であり、また、ご本人のみぞ知る自死の理由からは切り放した状態で、広く現代における心の病、それから自死の特徴、そして中でも特に芸能人やアーティストの自死について考察したフィクションです。
 著名人の自死は少なからぬ影響を社会に及ぼします。わたしたちのより深い理解により、そのような悲しみが減りますように、また広く心が病みやすい人たちがもっと生きやすいようにという願い、それから安寧の祈りの物語であるとご理解いただけたる方のみ読み進めていただければと思います。それではお楽しみください。<ナレーション終>
「いらっしゃい。摩訶不思議珈琲店アラジンへようこそ。あぁ、これはコンタクトレンズではありませんよ。これは先天的なものです。珍しいと思うかもしれませんが世界の中では結構いるんですよ。ほら、うちの猫と同じですよ。今日はあいにくどこかに遊びに行って店にはおりませんがな。」
マスターは、すらりと背の高い蒼白といえるほど色白の新客と目を合わせると、常々用意された説明ともとれる挨拶をした。新客の青年は、なるほど、了解しました、とアイコンタクトをした後、芽衣に案内された席につき悄然としてなにやら現状把握がままならない様子に見えた。
「本当ね、どこにいっているのかしら?きっとじきに戻ってきますわ。気紛れといったら、猫の特権。それでちゃんと、戻ってくるのも猫なのよね。」
ごくごく自然のていの芽衣に対し、翔子は唖然としたままだった。
「あ、あ・・X君、よね。」


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