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例外で語るべからず

ゆーです。

今日は”例外”について。

例外を突いてくる人っていませんか?
SNSでもありがちなんですが、一般論を話してるはずなのに、「こういう人もいるでしょ?」「全部が全部そうじゃないよ。笑」というやつです。

こっちとしても、「いや、それはわかってるよ。でも今そんな話してるんじゃないんだよなぁ。話が進まなくなるからやめてほしいんだよなぁ。」て感じです。

特に会議なんかで、こういうことを言われると話が止まります。
賢いアピールをしたがる人に多いですね。

でも本質を間違えてはいけないし、聞きたいこと・話したいことに応えていないので、むしろマイナスです
会議の狙いは、目的のために話を進めること。
細かいところまで、目が行き届いていることをアピールする場ではありません

他にも、オススメやアドバイスを誰かに話しているときに、隣から入ってきて、危険な部分ばかり話したり、逆に良い面だけやたら話したり。
相手が求めていることでなかったりすることが多く、元々話してた2人からすると、頭を抱える事態に陥ります。

もちろん、「良い面や悪い面、色々知って判断したい」という人に対して、俯瞰的に物事を伝えることは素晴らしいことかと思います。
でも、例外ばかり伝えて、あたかもそれが当たり前なことのように話してしまうと、どれが基準のものかがわからなくなる

スタンダードなもの1つに対し、例外を3つも話すと、どれが一般論かわからなくなる。
すると、例外のものを選んでしまう可能性も高まります。
その内容について詳しくない人に対し、99%の普通と1%の例外を同等に扱って話すのは、認知を歪めるのと同じ

本当に相手のことを思うのであれば、伝え方を工夫しないといけません。
もちろん、正論バカになってしまったり、正義の押し付けになってしまうと、それはそれで言われた方は辛くなるだけかもしれません。
例外を、さも当たり前のように話してはいけませんが、常識の押し付けも同じくやめた方が良いですね。

…なんて難しい!


例外といえば他にも、目指すものがあるときにも同様です。
どういうことか?

例えばですね、憧れの人たちがいるとします。
スポーツ選手とかだとわかりやすいですね。
超一流と呼ばれる人たちのようになりたいと思う方々もいらっしゃるんじゃないでしょうか?

人間、いきなり我流でやってもなかなかうまくいかないので、プロの方々のやり方を真似していき、そこから少しずつ自分に最適な方法に変えていく、これが良いかと思います。
そうです、みんな最初は真似するところから入る。

これは良いことだと思います。
ただ、悪いところまで真似する必要はない。

たまにですが、天才と呼ばれる人たちがいます。
もちろん、彼らも努力をされていて、それで今の地位を作り上げた。
でも、他の人より少し手を抜いても、うまくできてしまう人たちは少なからず存在します。

そういう人たちが、夜飲み歩いていたりだとか、タバコを吸っていたりだとか、体調管理を怠っていることが、どこかから情報として漏れたりします。
別に彼らは、それでもうまくいくからいいのです。
でも、これも例外。
一般的に、しない方がいいことは往々にしてある。

それなのに練習をしていたりして辛くなったとき、「プロの人でも、これはやってるし自分も大丈夫!」といったことを言い出すのは違うと思います。
自分をあたかも例外のように語ってますが、例外なんてほとんどいないんです
自分がそうである可能性は限りなく小さい。
(*辛くなった時に、絶対逃げてはいけないということではありません。)

例外を例外でないように受け入れてしまうと、”いろんなことを問題なし”と考え始めてしまいます。
気をつけたいものですね。


以上のように、例外というのは適切に扱う必要があります。
決して例外を見てはいけないわけではないですし、口に出してはいけないわけでもない。
頭に入れておくのは大切なことです。

でも、その例外ばかりを見てしまい、いろんなことを都合よく解釈してしまうと、後々歯車が狂い出します。

ぜひ気をつけてみてください。
当たり前のことのようですが、気を抜くと案外見てしまいがちですので…。

気づきなどのきっかけになれば幸いです。やはり応援していただけるのは、ものすごく嬉しいですし励みにもなります。またぜひお立ち寄りいただければ… (いただいたサポートは、今後の活動資金にさせていただきます。何かしらの形で還元させていただければと思ってます。)