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自分を律し、人生のデザインを

ゆーです。

突然ですが、「真面目」についてどう思いますか?
みなさんは真面目ですか?
ボクは比較的、というより、かなり(?)真面目な方だと思います。

昔は、些細なことでもダメと言われてることをするのにも抵抗があり…。
学校をサボるとか、学校の帰りに寄り道するとか、こんな小さなことでもです。
(今どうなってるかはわかりませんが、ボクの通ってた高校では厳しい校則も多かった。ところで、書いてみたものの学校をサボることは、些細なことなのか?笑)

バレなきゃ別に咎められることもないので、周りの人たちは平気でルールを破ることもあります。
(男の子の間では、そういう人間こそカッコいいみたいな、よくわからない文化もあったりしますしね笑)

そんな中、ルールを忠実に守るぐらいには真面目でした。

こうして育ってきたので、根は真面目なままです。
前置きが長くなりましたが、「真面目であることの良さ」を書きたいわけではありません(真面目すぎると、空気を壊すこともありますしね、お気をつけを…苦笑)。

副産物として身についた「自律」について書いていきます。

何をするにも“自律”は大事

一貫性を示すのにも大きく関係してくる。
周りの環境に流されず、自分の描きたい景色を見るために努力し続ける。

どんなことをやるにしても、これができる人ほど成功していると思います。
ボクの周りでも、成功している人は漏れなく自分に厳しい。

厳しいというのは、”辛い環境に置くこと”ではありません。
大きなことから小さなことまで、どんな誘惑があっても自分で決めて動くことのできる人を言うのかなと。

周りがどれだけ遊んでいようと、自分の叶えたいもののためにブレずに努力し続ける。
結構きついですよね。
でも、自律できるかどうかで、今後得られるものも、それを得るまでのスピードも大きく変わってきます。

繰り返しになりますが、”自律とは決して辛い環境に身を置くこと”ではありません。
辛いとわかってても必要であれば、その環境に自ら飛び込んでいけるかどうかです。

必要のない時には、存分に遊べばいいと思います。

常にエンジン全開だと、人間誰しもバテてしまいますからね。
臨機応変にアクセルを踏めば良いだけです。

冒頭の話に少し戻りますが、ボクは真面目ゆえに副産物として自律というかけがえのないものを得ました。
ですが、今になって思います。
自律できる人が、真面目なわけではありませんし、真面目であれば自律できるわけでもありません。
前者はどっちでもいい話かなと思います。

重要なのが後者。
真面目に生きてきても、人間誰しも挫折することがあったり壁にぶち当たることが…。
そんな時、真面目でいることにアホらしくなり、結果的に全てを投げやりにこなしてしまうと、自律の心は身につきません。
やはり苦しい時期も真面目であり続けた結果、何かを得てようやく「自律」の大切さを、身をもって知ります。

つまり…。
真面目な方には、苦しい時でも簡単に”真面目でなくならないでほしい”(立ち直れなくなるまで続けてはダメですよ?)。
そうすれば、きっと物凄い財産を得ることができます。

真面目でない人(どんな人のことを言うのかわかりませんが笑)も、自分の欲しいもののためにがむしゃらになる時期を作ってみてください。
一度でも、自分を律することで何かを得る経験さえしておけば、これからの人生も“なんとかなる”と思えるかも!

自律

楽をしたい気持ちをグッと抑えて、身につけておくべきものではないでしょうか?
自分で人生をデザインするためにも、自律した人間に!
ボクも改めて「自律」を意識してみたいと思います。

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