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ようこそ笑店街へ【28】最後の審判

最後の審判

 二つの取調室で、現在ある犯罪の被疑者が取り調べを受けている。

 取調室一。
「お前がやったのか」
「ああ、俺がやった」

 取調室二。
「お前がやったのか」
「はい、僕が犯人です」
 

 どちらの取り調べでも、対象者は容疑を認めた。しかし、両者に関係がないことは調べによって判明していた。よって、共謀ではなかった。被疑者の二人も、それぞれ犯人は自分だけであると主張。警察は、どちらかが嘘をついていると推察した。

 取調室一。
「俺がやったって言ってるだろ。正直に吐いてるんだから、もう終わりにしようぜ。謝ればいいのか? はいはい、俺が悪かったです。悪いと知ってて、あえてやりました。ほら、もういいだろ。俺が確信犯だって言ってんだよ」

 取調室二。
「刑事さん、僕が嘘をついていると思っているんですか。僕は僕の信条に従って行動を起こしました。僕の行動は正当であると確信しています。ですから僕が、正真正銘の確信犯です」

 刑事たちは、それぞれの言葉から、取調室二の人物を犯人であると断定した。
「警部、どうして犯人がわかったんですか?」
 新米刑事が手帳を片手に訊いた。
「これだよ」
 そう言って、警部が取り出したのは、使い古された辞書のようだった。革張りの表紙は、箔の文字などは消え、出版社名などは読み取れない。ばらけて開きやすくなっているページは、数限りなく長年めくったのか、開く側の小口部分の下半分辺りに指の跡と思われる変色が見られた。
「国語辞典、ですよね。これがどうして?」
「今回は、確信犯を捕まえるための取り調べだったからだ。確信犯の部分を読んでみろ」
 新米刑事は、パラパラとめくった。
「ええっと、思想や宗教、政治的な信条によって、正当だと確信して行う犯罪、みたいに書いてありますけど……」
「そうだ。だからそういう発言をした被疑者を、確信犯だと断定した」
 警部はさも当然であるかのように続けた。
「この街では、警察はもちろんのこと、大事な判断を下す際、誰もが参考にするべきとされているのは、国語辞典なんだ。君はまだこの街に赴任してきたばかりで、最初は戸惑うかもしれないが」
 すると、新米刑事は、自分の席から一冊の辞書を持って来て言った。
「あの、この辞書を見る限りですと、どちらも犯人のように思えるんですけど」
「なんだと。どれ」
 警部が受け取った辞書をめくると、素早く目を通した。

 かくしんはん【確信犯】
①道徳的・宗教的または政治的革新に基づいて行われる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯などに見られる。
②俗に、それが悪いことと知りつつ、あえて行う行為。

「な、なんだこれは。こんな②なんて初めて見た。そんなバカな。②は多くの人間がそうだと勘違いしている誤った意味のはずだ。それがどうして辞書に……今を反映しているというのか……最近出版された辞書か? そんな新しい辞書、俺は信用せんぞ」
 そう呟いた警部は肩を落とし、手にしている辞書の表紙を見た。
「広辞苑第七版……だと、そんな……俺の信じてきたものは一体……」
 意気消沈する警部の肩に手を置いた新米刑事は、優しく言った。
「警部、言葉は移り変わっていくかもしれませんが、変わらないのは、人間の心です。だから警部……」
「ありがとう。君の言う通りだ。わかったよ。広辞苑を参考にするよ」
「いいえ、警部」
 そう言うと、新米刑事は、再びたたたと駆け出すと、自分の机から数冊の辞書を抱えて戻って来た。
「あらゆる出版社から辞書は出ています。どの辞書にも、長年たくさんの人の手と心によってつくられた魂が宿っています。ですから、一冊の辞書だけですべてを判断しないで欲しいんです」
 新米刑事は、机に、どどんと辞書を置いた。
「どの辞書も個性があります。どれもみんなで読んで、味わって、考えて、判断しましょう!」
 そう語る新米刑事の目は輝き、恍惚とした表情を浮かべていた。
「そういえば君、前職は何だったかな?」
「はい、自分は、誇りある図書館司書でした!」
「素晴らしい! 君こそ笑店街の指針かもしれない」
 署内から、温かい拍手が湧き起こった。
 その後、辞書をめくる、やわらかな紙の音が一斉に響き渡った。

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