ユンコ@ゑまふ
本があれば生きていける、と思えるほどに好きだと言える。そんな私の書評や、本を巡るあれこれ。
コンテストに落選した珠玉の迷作たちを「落選文学」として公開。自画自賛展といっても過言ではない。完全なる自己満足の世界。 ・・・と言いつつ、誰かに読んでもらいたいだけという寂しがり屋の記事でもある。
とある町の商店街は、「笑店街」と呼ばれている。一風変わった店ばかりが集まっており、すべて言葉を使って全力で遊んでいる店と人々が楽しく商いをしている。 これは、福野明(ふくのはる)という女性が笑店街に引っ越してくるところから始まる連作短編集。基本的に一話完結。どこからでも読んで笑ってください。
今回は、東京創元社のゲラ版先読みキャンペーンに応募し、見事当選したため、発売前に先読みし、以下に感想をしたためた。 まだ書店に出回っていないはずなので当然のごとくネタバレはしていない。物語の内容自体は東京創元社HPに掲載されている範囲に留めているので安心して欲しい。 いい映画は、開始三分で心を掴んでくるものだと考えている。もちろん人の好みにもよるはずなので勝手な持論だが、私は最初から世界に引き込んでくれるような、スピード感のある物語が好きだ。 『暗殺者たちに口紅を』は、小
前回の、レゴでゴッホ「星月夜」作ってみた自己満足記事が思いのほか好評を博し、恐ろしい程多くの皆様に楽しんでいただけて、嬉しい限り。この面白さを分かってくれる人がこんなにいるなんて、地球もまだまだ捨てたものじゃない。 そんななか、今日は思わぬところで衝撃の出会いをしてしまった。 この形状、どこかで見たことがある。今も賑わいを見せている先日のゴッホ記事にも似た、このオモチャ・・・まさか・・・いや、よく見ると、例の赤いロゴではなく、ショッキングピンクのロゴが左上に。それはそうだ。
それはゴッホ好きな私にとって運命のボタンとも言うべきワンクリックだった。 「知っていますか? こういうのが売っているみたいですよ」 先輩の言葉に導かれて開いた画面に登場したのは、かの有名なゴッホ。いや、正確にはレゴだ。レゴ? レゴブロックは知っている。年齢が一桁の頃に遊んだ記憶がある。でも、これがレゴだなんて世紀末もいいところである。とてもおもちゃとは思えない・・・ その正体はこちら。 ゴッホ 「星月夜」 21333 | アイデア |レゴ®ストア公式オンラインショップJPで購
11月といえば、1日がワンワンワンの語呂合わせで犬の日であったり、11日が見た目勝ちのポッキーの日であったりと、序盤から実に元気がいい。なぜ犬の日が1月11日ではないのか、とか、ポッキーではなくプリッツでは駄目だったのか、など突っ込みたくなる要素も見え隠れしているが、それらは置いておこう。 11月といえば、酉の市を忘れてはならない。11月の酉の日に行われるお祭りで、日本各地の鷲(おおとり)神社(大鳥神社)の行事らしい。本社は大阪の大鳥神社とされているが、江戸時代には東京の鷲
祇園祭と聞けば、誰もが京都の伝統的なお祭りだと想像するだろう。でも、実際に見たことのある人はどれほどいるだろうか。町中を巡るたくさんの山鉾を組み立てる、鉾建てと呼ばれる組み立ての段階から見たことのある人は世界中にどれほどいるだろうか。そもそも私は、毎年、祭りの度に大きな山鉾を一から作るということすら知らなかった。ここまでは筆者も同じ。しかしながら、筆者の行動は、ある時、京都のタクシー運転手から「鉾建てを見んでは、祇園祭は語れまへんな」という言葉から急激に加速する。 本書
電車なんて停まらなければいい。いっそのこと乗り過ごしたいと思えるほど夢中になって読んでしまった。通勤電車内の読書で、とんでもない作品に手を出してしまったようだ。 これは、東京創元社のゲラ先読みキャンペーンに当選し、発売前の小説を読めるという幸運を得た私が、休日まで我慢できずに通勤電車の中で読み、あっという間に読み終えて書かずにいられなかった読後記録である。 夫婦関係がうまくいっていないアダムとアメリア。そんな二人は週末旅行に宿として改装された古いチャペルへ。だが天候は悪化
実は会社員だったりする私が近年出会って、なんとなく気になっている言葉たちがいる。例えば、MTG。マジで突然ごきげんようの頭文字……というわけではない。そんな挨拶をされても困る。どうやら正解は、ミーティングの略らしい。数年前、取引相手からのメールに、何食わぬ顔で登場してきた時に衝撃を受けたものだ。 メール本文中に文字数制限はなかったはずだ。それなのになぜ使ったのか。かっこいいとでも思ったのか。できる人アピールか。使う相手(私)を見誤ったとしか思えなかった。文字数は半分になった
本日4月17日については、昔、徳川家康の忌日だと聞いたことがある。私とは特に関係のない人だけれど、天下泰平の世を築こうと頑張った人だったような気がするので教科書越しに会釈してみる。 実はもう教科書など手元にない大人なのだが、それはそれとして。 また、恐竜の日でもある。世界で初めて恐竜の化石を発見した人の、発見する旅路の出発日。なぜ化石発見の日にしなかったのだろうという気はするが、大いなる発見への道の小さくとも大事な一歩の日だからかもしれない。そういう心持ちは大事だ。 あと
「サクラサク」(桜咲く)は、昭和の頃、大学の合格を知らせる電報の文言として用いられていたものだという。電話ではなく電報。音と文字のあわいに漂う記号のような不思議さではないか。合格電報という言葉もあったそうだ。今では電話やネットを使って知らせるのが一般的になっているが、この文言自体は、現在でも合格を表すものとして広く認知されている。 サクラサク、この簡潔な言葉が背負うものは大きい。きっと、合格の意味以上の意味と力を持った言葉になっていると思う。 夢だったり 希望だったり
自慢だが、セロリが嫌い。 春菊が嫌い。 そら豆が嫌い。 でも別に春菊とそら豆は食べられないほどのものでもない。食料として食べられる。でも嫌いなのだ。あの個性あふれる香りと味が。 本当に食べられないのはセロリだ。セロリはトマトジュースに入っているものでも気づく。あのどろどろとした赤い液体の中にうまく隠れたつもりでいるかもしれないが、全然隠れていない。私の舌は騙せない。一口で察知。一瞬で却下である。 コロナ禍前には友人と行っていた気がする居酒屋でも、野菜スティックが出てきた
昨年の佐藤家トレンドニュース第一位は、金魚がやって来たことだ。遙か昔に金魚すくい出身の金魚との暮らしを体験したことのある佐藤さんだったけれども、今回は、ひと味違う。とは言ってももちろん味覚ではない。 金魚すくいの金魚は「小赤(和金)」と呼ばれ、先祖がフナのため、まさに魚っぽい雰囲気の魚だった。 今回の子たちは、「琉金」と「丹頂」。元々琉金は小赤同様日本の子だが、丹頂は中国由来の子だ。 琉金は、多くの人が金魚と聞いて思い浮かべるであろう、ザ・金魚とでも呼びたいほど金
このようなノンフィクションは大抵、読む前から、苦難を乗り越えた感動ものとして捉えてしまいがちだ。本書を一言で表せば、盲目のスーダン人による日本での体験記に他ならない。しかしながら、そのような一括りで表すことのできないのも本書である。読んでいるうちに、気づけば筆者がスーダン人であることも、見えない状態であることも意識からはじけ飛び、筆者アブディンその人の魅力に惹き込まれてしまっていた。 ふとしたきっかけから少々不純な動機もあって日本留学を叶えた筆者。当然のことながら日本語
秋といえば読書。実は年中読書だが、読書の秋コンテストをやっているので、素直にお勧め本を紹介しようかとも思った。しかしながら素直ではない私としては、違ったものを紹介したい。例えば、栞。気づけば色々と集めていたので、改めて見てみて、自分でも驚いた。文化の日の今日、発掘した栞を公開。 そのなかから今回は、新潮社が出していた栞をご紹介。記憶によれば10年程前、書店のレジ付近に置かれていた栞たちだ。 懐かしい、新潮文庫のキャラクター、Yonda?パンダが使われている栞。厚紙でおそら
最近なんだか現実世界が慌ただしくて、こっちの世界の更新が疎かになってしまっていたことを反省。反省がてらに、応募していたショートショートの結果が先日発表されたので、ここに公開。 「超ショートコンテスト」指定の4テーマに沿って500字以内のショートショートを募集していたもの。審査員はやっぱりあのショートショート作家ですよ。 募集テーマは「ライオンの像」「そうめん」「老人ホーム」 私が選んだのは「ライオンの像」。応募した作品はこちら。私的落選文学展への掲載決定です。 それぞ
影を踏む揺れる木の葉が落とす影ここは水底見上げれば空 向日葵のような明るさないけれど朝顔ほどの潔さ得る はっとした言葉の綾も病葉も気づいた時に色は過ぎゆく 雪原に紅を染めたる寒椿空より他に知る者もなく 強くあれ念じながらも震えてたタンポポみたい記憶飛ばして 流れゆく砂をせき止め握る夜それでも闇は白々と明け
朝顔の蔓のように 左巻きに 時計の針に逆らうように 日々を歩んでいけたらと願う 朝顔のように愛でられて 一日の始まりを告げるように 太陽に顔を向けて どこまでもどこまでも 上へと伸びていけたらいい 丈夫でも儚くて 夜に溜まったその日の澱を 左巻きに吸い上げて 浄化のごとく花開かせる 新しい日を拓かせるように 朝を始める、花 すべての花が種を残せることはない現実に 抗い続ける左巻き 風に負け、ただ枯れて朽ちる弱者を抱えても 花を咲かせる 咲かせ続ける 左巻きの蔓は反逆でも意