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When there is a will, there’s a way

イタリアから帰ってきた私は東京でマンスリーマンションを契約した。すでにアメリカのビザが切れていたため、次のビザが承認されるまでの間は東京勤務となったのだ。東京オフィスのメンバーは温かく迎えてくれたし、サンフランシスコのメンバーともSlackでこまめにコミュニケーションを取っていた。しかし、経営陣とはだんだんと歯車が噛み合わないように感じることが増えていった。

今自分がやっていることは果たして何のためなのか。たとえば会社の売上や利益を増やした先に実現したいことは何なのか。イノベーションという言葉がよく使われるが、そもそも何のためのイノベーションなのか。究極的にこの会社は何をしたいのか。それはこの世の中にとってどういう意味があって、私の人生とどういう関係があるのか。

イタリア旅行を経て自分がそんなことを考え始めたからなのか、物事は以前ほどスムーズには進まなくなった。立ち止まって考えたい私と、とにかく物事を早く進めたい会社の間にできた溝。サンフランシスコを去った直後に感じていた、少し居場所がないような心細さはどんどん大きくなり、もはや途方に暮れたような気持ちになっていた。

まだビザの審査結果を待っている身としては、アメリカに戻りたい気持ちは当然あった。一方で、戻ることが正解なのか、もはやわからなくなっていた。アメリカで暮らすこと自体はとても楽しいし、居心地の良さを感じるのは変わりない。しかし、そこでの仕事に対して充実した気持ちで取り組めるかは疑問だった。

アメリカで暮らすことを優先して仕事に関して妥協するのか、それとも仕事を優先してアメリカで暮らすことを諦めるのか。仕事を優先したとしても、今更日本の企業カルチャーのなかで働けるのだろうか。私はまた岐路に立った。

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ある日有楽町で、ゼクシィ時代の同僚だった友人と飲んでいた。「たとえ会社を辞めて本帰国しても日本の企業で働ける気がしない」と言った私に、彼女は「フリーでやればいいじゃん。ライターならできるでしょ。ライターの名刺作ったら今日からライターだよ」とこともなげに言った。

それまで私はライターになろうと思ったことはない。それどころかフリーランスで仕事をしようと思ったことすらなかった。しかし、実はイタリア旅行中に父に言われた「いつかは一国一城の主に」という言葉が心の隅にひっかかっていた。さらに、その前の週にご飯を食べたベネッセ時代の友人が半年前にフリーランスとして独立したという話も聞いていて、自分の力で仕事を取れる彼女を羨ましく感じていた。

そういう背景もあって、私は「フリーでライターやれば」という友人の言葉を真に受けて考えるようになった。今思えばまた少しずつ私は流され始めていたのだろう。

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サンフランシスコでマーケティングの仕事をしていて、一番自分が力を発揮できたのがコンテンツ作りだ。海外のサービスが日本に進出する際のウェブサイトコピーやマーケティングメッセージ作り、コンテンツマーケティングプロジェクトの監督や記事編集など、考えてみると結局「文」に関わるのが一番得意だった。

実は子供の頃の夢は「作家」だった。小さいときから本を読むのが好きだったし、模試で小説文が出たら出題範囲の続きが読みたくなって書店で買って読んでいたほどだ。文にまとめるのも得意で、学生時代には読書感想文やレポートで何度か賞を取った。国語を勉強した記憶はほとんどないがいつも成績は良かった。ちなみに理数系は全然ダメで、センター試験直前に受けた模試で叩き出した地学の偏差値は36だった。我ながらよく国立大学に行けたものだと思う。

編集者になったのはそんな背景から、ではない。もともと新卒のときからBtoCメーカーでマーケティングの仕事をやってみたかった。化粧品、自動車、生活消費財、食品等何十社と受けたメーカーだが、書類・一次面接落ちは当たり前。どこからも内定はもらえなかった。一方メディア系企業の選考では常にそこそこいいところまでいった。それでたまたま内定したベネッセに入り、たまたま編集職に配属されただけだ。

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しかし改めて自分の得意分野を棚卸してみると、明らかに「文」だ。急にフリーランスのライターという選択肢が現実味を帯びてきた。しかし、まだ結果待ちとは言え、アメリカで働く権利があるかもしれないのに、それを放棄していいのか。

悩んだ私はまた例の元上司に会った。彼女は今回も忙しい合間を縫って表参道の丸山珈琲まで来てくれた。ちなみに彼女のことはサンフランシスコに行く相談に乗ってもらって以来、勝手にメンターと呼ばせてもらっている。

彼女に「もしビザが出なかったらどうするの?」と質問された私は「それだったらもうしょうがないですね」と答えた。すると彼女はまたしても解を見つけた。「え、『どうしよう』じゃないの?だったらもう答え出てるじゃん」。

翌週私は半年前にフリーランスとなったベネッセ時代の友人と外苑前でランチをしていた。そこで「私、会社を辞めてライター業を始めることにした」と宣言した。彼女は驚きつつも、ちょうど新しく始まる案件でライターを探していたという。決断した先に道が開けた。(つづく)

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