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頼み方で分かる自己肯定感

困ったときに「〜してくれない?」と他人にお願いする人がいます。これは、一見何気ない日常の友人との会話に聞こえ、何も問題はない気がします。

勿論その友人と良好な信頼関係にある場合、このやりとりが2人の関係に大きな影響を及ぼすことは稀でしょう。

信頼関係がない場合…?

ですがどちらか片方が「この人は信頼できない」とか、「仲良くなりたくない」と思っている場合、問題が起きます。


①お願いする側の場合

例えばお願いする側がそう思っている場合、相手の都合を考えなくなります。

そのため無茶な要求をして、都合の良い「俺たち友達だろ!」理論で相手を無理矢理言うことを聞かせようとします。相手が渋ると逆ギレし、「〜しろよ!」とか、「はあ?友達辞めるわ。」とか言ってくるのもこのタイプです。

また、「自分なんかが貴方の時間をお取りして本当に申し訳ない」と、過度に自分を卑下しながらお願いするようなパターンもあります。


②お願いされる側の場合

お願いされる側がそう思っていると、その場を荒立てないように穏やかでいながらも、心の中では「ちっ、都合のいい奴め」とか、「私の時間を取らないでよ」と思ってそれからお願いしてきた人とは距離を置こうとするでしょう。


「承認のバケツ」の話

この2パターンの人のどちらにも共通して言えるのは、承認のバケツが満たされていない状態である、ということです。

承認のバケツとは、自分は人に認めてもらえているという感覚を蓄積させるものの喩えで、当然ながら実際に存在するものではありません。

そしてその承認のバケツが満たされている状態だと、自分のこの幸福を誰かに分けてあげたい、誰かの役に立ちたいと願うようになります。


バケツが満たされるとどうなるか?

例えば先ほどのようにある人がまたある人に、やって欲しいことを伝えたとしましょう。

その時、お願いしている人の承認のバケツが満たされていると、お願いするときに相手の利益になることを考えることができるようになります。

そのため、そもそもお願いするということをしなくなり、その光景は側から見れば「お願い」などではなく、「交渉」に見えるでしょう。つまり、win-winの関係を生み出して自分の要求を通すのです。


お願いされる人の承認のバケツが満たされていると、自分は既に満たされているので相手に見返りを求めたり、自分の時間やモノが奪われたと感じて憤慨したりすることはありません。

むしろ、相手の役に立てたことに喜び、それが実感となってまた自分を好きになります。


自己肯定感が高い人たちは幸福になる

このような人たちは、

自分を大切にする→人を喜ばせたいと思う→人の役に立って感謝される→他者に認めてもらえた感覚を得る→自分を大切にする→…

というループを辿ることになり、また、彼らは多くの人に感謝されます。そして感謝される度に幸せを感じ、彼らは沢山の幸福を受け取って生きていくのです。


最後に

是非皆さんも幸せに生きていきませんか?それなら、まず自分を大切にしてあげましょう!

それでは今回はこれで終わります。この記事がいいと思ったらスキをお願いします!

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最後にこの言葉を残して終わります。

大丈夫!貴方はできる!貴方は素敵だ!貴方は運がいい!

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