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認めてもらいたい思いが自分を苦しめているとき。
「頑張っているのに、上司が認めてくれない」
「親に認めてもらえていない気がする」
皆さんは、そんな、思いを抱いたことはありませんでしょうか?
わたしは、めちゃくちゃあります!
自分なりに頑張っているはずだけど、会社や上司は自分や会社を認めてくれなくて、悲しくなったり辛くなる。
自分なりの選択を、親に賛同してもらえない、なにかと認めてもらえていない気がして悲しくなる。
わたし自身も、両方の経験をして来ました。
いわゆる、承認されたい思いというものですが、これが強すぎると良くないみたいにも言われますよね。
そもそも承認されたい思いは、全然悪いものではありません(キッパリ)
ある程度、誰しも存在するものです。
承認されるということは、健全に満たせないと自己実現やキャリアに対する自信を持つのは難しかったりします。
ただ、承認を得ること自体が目的になっちゃうといわゆる「こじらせ」のループに入りやすかったりします。
こじらせも可愛いのだけれど、あなた自身を今苦しめているのであれば、きっと抜け出したいですよね。
今日の記事は、周りに認めてもらえないことが苦しい、自信をなくしてしまっている、抜け出したいなと思っている人へ届いて欲しい記事になります。
上司に認めてもらえないのが苦しかった時の話
上司っていうのは、みなさんにとってどんな存在ですか?
一般的には、自分より地位が上の人のことを指す言葉ですが、
わたしにとって上司とは、
「怖いもの」
「裏切るもの」
「完璧であるべきもの」
という考えがありました。
字面だけみて感じますが、めちゃくちゃ怯えていますね。
何に怯えていたかというと、上司のわたしに対する評価や態度によって、
「わたし自身の社会的価値を決められてしまうこと」
これが、とても怖かったです。
実際に上司に嫌われて、「できないやつ」と認定されてしまった瞬間に、会社の中での、評価が下がったり、周りから距離を置かれた経験があります。
当時は、「全て自分が悪いのだ」と感じて絶望したし、社会的価値どころか、「生きている価値」もないと思いました。
それくらい、当時の上司の声というのはインパクトのあるものだったのだと思います。
だからこそ、退職して次の職場に行ったときに、しっかりと承認をしてくれる上司に出会えたことは、わたしにとって幸運でもありました。
ただこのとき、わたしは立派にこじらせ始めていたので、自分が頑張ったと思ったのに認められなかった、評価されなかった出来事が起きると、
・認められないこと=価値がない、いる意味がないと思われている
・自分には価値がない・能力がないから認められないのだ
という思考に陥ってしまい、上司に認められるための行動に固執してしまうみたいな事が起きました(当時の上司よ、ごめんよ!)
立派な承認欲求のこじらせモンスターの完成です。
過去にある親との関係は
承認されることに固執していた原因は、上司との関係性だけではありません。
わたしは、父・母・兄の4人家族。
普通の家庭に育ってきた自覚はあるけれど、特徴は明確にありました。
親がどれくらい意識していたかはわからないけれど、男尊女卑の文化がある家庭だったことです。
特に、父の親戚にはその傾向が強く、兄を優先することが多かったです。
お小遣いは、兄だけに渡されたり、こそこそ、その話をなぜか母から聴いたり(報告いらない)。
そして、おとなしく傷つきやすい兄に比べると、わたしは比較的打たれ強さもあり、ちょっと放置気味に育てられました。
だからなのか、わかりませんが、
わたしの母に向けられる口癖はいつしか
「おにいちゃんばっかり」
という言葉になっていました。
自分なりに強く生きないといけないと思い、我慢強く育った。
親に見てもらいたくて、真面目に勉強も頑張ったし、
親や祖父母には必ず誕生日にプレゼントをあげたり、手作りのものをわたしたりしていた記憶があります。
それでも、親戚や親がいつも見ているのは、兄ばかりだと思っていました。
女だという理由で、愛されない。
努力をして、成果を出さないとこの場にいてはいけない
そんな価値観が醸成されてしまった時期だったのかも知れません。
愛されるためには、価値発揮をしなくてはならない、相手にとってのなにか良いことをしなくてはならならないと考えがわたしの中を支配して苦しめました。
価値を決めるのは自分であって、他者ではないということ
こんな承認欲求のこじらせモンスターで生きていたわたし。
事務職をしていた過去があったりします。
当時、わたしは上司から、「仕事ができない人」というレッテルを貼られていました。
当時のnoteはこちらです。
そのレッテルに対して、わたし自身も「仕事ができない人なんだ、だから駄目な人間なんだ」と信じて疑わなかったですし、上司に認めてもらうために必死に仕事をしていました。
しかしですね、環境を変えて、本当に自分がやりたかった対人支援の仕事に集中するようになってから、
「仕事ができない人」なんて言われなくなったこと
そして、むしろクライアントからは感謝されることが増え、リピートしてくれる人も増え始めたのです。
ここから、気づいたのは
「上司や親、そして他人は自分の価値を決める絶対的な存在ではない」
ということです。
親も、上司も独立したり、転職したりすれば、コミュニティを離れ、特に自分を評価する人ではなくなります。
下手をすれば、コミュニティや環境が変化をすれば、人に対する価値や評価なんて一気に180度変わったりするのです。
そうするとですね、なんとびっくり。
「だめな人」から「すごい人」に早変わりしてしまうことがあるのです。
もちろん試行錯誤することは多いですし、反省することもまだまだあります。
しかし
事務職が向いていないからって、価値がないわけではない
女だから全てにおいて価値がないというわけではない、
誰かの認められるための努力をしなくても、価値がないというわけではない
ただ、自分のやりたいことをひたむきに自分のために努力をした結果、
少しずつ結果がついてきて、思いが届いた人からは承認してもらえることは確実に増えてきました。
誰かに勝手に決められた中にわたしの価値が絶対的なものはない。
自分が大切にしてきたことを大切にする、わたしの価値はわたしで決めて良いのだと感じられ始めたのがこのときからだったように思います。
自分には価値がないと悩み苦しんでいる人へ
今の仕事をする中で
それくらい、他者からの評価なんて相対的でゆらぎやすいものなのだと気づきました。
「他者から認められる」=「自分の価値」
とするには、極端すぎる思考です。
そして、わたし自身、自分で感じられるのは、誰かに認められるために努力したことよりも、自分のために努力した結果得られたことを、
自分でしっかり承認してあげられるようになってからのほうが、人生の充実度と幸福度が一気に上がった感覚を得ています。
自分からの承認ほど揺らぎないことはないです。
自分のことを一番知っているのは自分自身ですし、一番見てあげられているのも自分です。
あなたがもし、
「他者に認められなくてしんどい」
「自分には価値がない」
と感じているのであれば、もしかしたら、自分の価値を決めるのを、自分以外の誰か、他者に重点を置きすぎているからかも知れません。
それって、絶対悪いことじゃないし、大切なことです!
時には、誰かに認められることがエネルギーになって活力になるのは間違いないです!
でも、めちゃくちゃなもったいなさを感じるのは、「他人に認められないこと」で落ち込んでしまい、「価値がない」と思い込んでしまうことです。
そんな大事なことは、他者が決めることはできません。
そんなに大切なことは、あなたが決めなくてはなりません。
口に出して、今自分に対して言ってあげてください。
「わたしにはここにいて良い存在だ」
「いてくれてありがとう」
「愛しているよ」
「生まれてきてくれてありがとう」
だって、これを読んでるあなたは間違いなく、すごいんだよ!!
だれもあなたを侵害する権利はないし、大切なあなたの価値を制限する権利なんて持っていません。
そんなふうに簡単に思えないよ!
難しいってなる人も中にもいると思います。
当然です!
わたしもしんどかったし、難しかった。
でもね、
その思考は決して悪いものではないし、あなたの今まで生きてきた糧でもあるんです。
きっとそういうふうに考えないと生きてこれなかった、頑張ってこれなかったのかもしれません。
だからこそ、大切に「今までありがとう」って言ってあげて手放してあげるプロセスも大事なのです。
やり方も、どうして行ったらいったらいいかはわたしも一緒に悩むよ。
頼り方も信じ方もわからなかったら、わたしに一回頼ってほしい。
一緒にあなたの可能性信じにいこう。
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