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株式会社イージフ、副社長 CTO。 二児の父。マペット好き。 座右の銘は「ああ言えば…

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株式会社イージフ、副社長 CTO。 二児の父。マペット好き。 座右の銘は「ああ言えば、こう言う」 キャッチフレーズは「ノリは悪いが、付き合いは良い」 「『言語ゲーム』にやたらとゲーム性を求めるタイプ」

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    #目黒で40番目くらいの日常会話

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論理的思考力の取り扱い方についてのお勧め 〜やたらと「論破」してしまうことを避けるため

はじめに ここでいう「論理的思考力」の位置づけは、巷に溢れる誤用や誤解を駆逐するための最終版定義などではありません。ただ、なにかと毀誉褒貶の激しいこの言葉について穏当な受け止め方をすることが、多くの、特にこれから自身の意思の力で勝負をしていかなければならない若い世代の人達にとって有用なのではないか、という着想から、その穏当な受け止め方の具体的内容について書き連ねたものになります。私は大学修士課程を終えた後でいわゆるコンサルティングファームに入社し、主にITの分野でコンサルテ

    • 仕事術、3つめの神器を求めて④ 〜二軸思考とフレームワーク

      noteからは月1回のペースでの投稿を促す通知が来るのですが、今回もあっというまに期限が到達してしまいました。 いつまでも3つめの話が始められなかった連載(?)ですが、ようやく新しい話を。まず、ミニマムなフレームワークとしての二軸思考からいきたいと思います。書籍も出ているみたいですが、「二軸思考」というのが一般に共有された名前なのかはちょっと自信がありません。多数のものを分類整理する時に縦軸と横軸を設定して、平面座標の形に図示するやり方です。さすがにもう喩えとしての有効性が

      • 仕事術、3つめの神器を求めて③ 〜WBSについての補足

        いつまで経っても本題に入れません。前回、念のために、既選の2つについて書いたつもりだったのですが、 WBSについて、ある意味で当たり前過ぎて言及し忘れている観点があることをに気がつきました。 WBSはとても重要で、応用が効く技法だし、その技法自体の特性を分析することでも得るものが大きい、という信念自体については書いたつもりなのですが、そもそも私がその話をしたくなったのは、WBSが過小評価されていると感じているからだと思います。では、何故そう感じるのか。 もちろんプロジェ

        • 仕事術、3つめの神器を求めて② 〜複式簿記とWBS

          中年コンサルタントが考える仕事術、的な話の続き。 複式簿記とWBSは当確として、3つめを何にしようかという探索を行うつもりなんですが、今回はとりあえず当確のものについて簡単に触れておきたいと思います。特にWBS。 複式簿記はまあ常識ってことでいいと思うんですよね。単式ではなく複式にしたことで生まれる表現能力には、若者なりに刺激を受けるところがあると思います。勘定科目にカスタマイズ性というか、裁量の余地があり得るとか、決算という手続きを経て「一定期間を区切った」結論というか

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          仕事術、3つめの神器を求めて① 〜はじめに

          あれは中高生の頃だったと思うのですが、読んでいた本の中でちょっと脱線したこぼれ話として、人類史上最も偉大な3つの知的発明、というようなものが載っていて少し感銘を受けた記憶があります。感銘を受ける、なんていう大げさな言い回しに「少し」がつくのは我ながら居心地が悪いのですが、その本がどのような本だったのか、小説なのか技術書や学習参考書の類いなのか、あるいは中学時代に妙に嵌まって多読をしていたビジネス書なのかもまったく覚えていませんし、「3大発明」という言い回しだったかどうかも定か

          仕事術、3つめの神器を求めて① 〜はじめに

          (良い)「問い」には多分少なくとも3種類はある

          こんな記事を書いたりしているので、「問題解決より問題発見!」みたいな言い方を嫌っていたり馬鹿にしていたりすると思われがちなのですが、「問い」の話をしている人たち全般に関して言えば、むしろ尊敬の念の方が強いということを予め言い訳しておきます。「問い」が大事、っていう発言は大抵の場合、妥当で適切なものであることがほとんどだと思います。ただ、一方で、言っていることは正しいけれども、はたしてそこで言うところの「問い」という語がいったい何を指しているのか、その言説を聞いてる側に伝わって

          (良い)「問い」には多分少なくとも3種類はある

          人が人を馬鹿にするとはどういうことか。 アンマウンティング論

          「人を馬鹿にする」ということについてそれなりに真剣に考えたことがある人は、もしかするとそれほど多くはないのかもしれません。そもそもポジティブな概念ではないので、考えたいという欲求もあまりわいてくるものではないような気もします。が、どういうわけか私は長いことこの後ろ暗い営みについて考えて来ました。生まれや育ちに原因がありそうですが、恐らくそうしたものが好きなのだと思います。 まず、大抵の言葉には複数の意味があります。言葉の意味というのは曖昧な広がりを持ち得ますが、広義と狭義、

          人が人を馬鹿にするとはどういうことか。 アンマウンティング論

          信頼を得ると仕事がしやすいけど、仕事をすることで信頼を得るのは遠回りなのかもしれない

          若者に迎合したタイムパフォーマンス向上ライフハックみたいなタイトルになってしまいました。が、多分そういう内容にはならないと思います。 仕事で高いパフォーマンスを発揮できるかどうか、を個人の資質に帰着して語る場合に昨今特に人気なのが「コミュニケーション能力」です。私は、よく喋るタイプのコミュ障を自認しているので、コミュニケーション能力に対してこのようにわかったようなことを書き散らすことには気が引けるところもあるのですが、今回は主にこのコミュニケーション能力の話をします。 コ

          信頼を得ると仕事がしやすいけど、仕事をすることで信頼を得るのは遠回りなのかもしれない

          [書評?]仮説とデータをつなぐ思考法 DATA INFORMED(田中耕比古)

          友人の本の紹介です。ここ十年で知り合った人の中では突出した回数一緒に飲みに行っているので、友人と言ってもよいでしょう、多分。献本も頂いていますが、何しろ友人なものですから紙でも電子でも購入もしています。書評めいたことは自腹を切って購入した本に対してのみ行うべきである、というストイックな縛りが仮にあったとしてもギリギリのところでクリア出来ているのではないかと思います。まあ、友人が真面目に書いた本を貶すというのも通常は考えにくいので、評価についてどう受け止められるかはまた別ですが

          [書評?]仮説とデータをつなぐ思考法 DATA INFORMED(田中耕比古)

          掃除と幹事は何かのオブリージュ? フリーライド問題の辛さ

          小さい頃から「身の回りの整理整頓ができない」子供でした。小学校低学年の頃はいつも教室のあちこちに私物を放置してしまっていて、クラスメイトがそれを回収してくれるための専用のポストまで用意される在り様でした。そんな私だからこそ、その頃から、あるいはそれよりも以前から納得がいかない日本語表現があります。「きれい好き」です。きれいなこと、清潔であること、散らかっていないこと、は基本的にはほとんど全ての人にとって好ましい状態のはずです。私も、好きです。「きれい好き」と言われる人達と比べ

          掃除と幹事は何かのオブリージュ? フリーライド問題の辛さ

          「他人と比較する」ことのすすめ

          タイトルに偽りありというか、積極的に自分と他人を比較して辛くなりましょう、ってことを主張したいわけではないのですが、世の中には安直に「他人と自分を比較するなんて不毛」みたいなことを繰り返す説教臭い言説が溢れすぎてると思うんですよね。 確かに、他者と比較した結果はざっくりいって以下の3パターン、どれもぱっとしないと言えばしません。 パターン①「自分の方が優れている」 いかにも印象が良くない。その相手だけでなく、一般論として自分のことを優れた存在だと思ってしまうと、その後の

          「他人と比較する」ことのすすめ

          言葉狩り界のキャッチアンドリリース 〜〜『言語化』『解像度』『期待値』など

          「事例が欲しい」なんていう誰でも言いそうなことを言っただけで残念感が漂うとか、のべつ幕なし無差別であちこちを見下して喧嘩を売っている様に見られてしまっている可能性が無視できないので、あんまりこういうことばかり書かない方が良いのかもしれないですけど、便利だし周囲でもよく聞くけど個人的にはあまり使わないようにしている言葉について書きたいと思います。馬鹿にしたいのではなくて、むしろこれらの言葉を使う人のことを別に嫌っているわけではない、というか大抵はむしろどちらかというと好ましく思

          言葉狩り界のキャッチアンドリリース 〜〜『言語化』『解像度』『期待値』など

          「事例が欲しい」と言ってしまうことの危うさについて

          かつて就職活動中によく出る疑問の典型として、「全員がリーダーになるわけでもないのに『リーダー経験』が歓迎されるのは何故か?」というものがありました。その説明の一つが、多くの人ができることなら「リーダーの苦労を理解できる人」と一緒に働きたいと考えているから、でした。従業員に気軽に経営者目線を求めることの不条理に通じる面がなきにしもあらず、という気もしますが、やはり似たような立場に立たないとその視点に立って物事を考えるのは難しい場合が多いということなのでしょう。プライベートな話題

          「事例が欲しい」と言ってしまうことの危うさについて

          (続)メタな見栄張り

          想定読者数1桁の記事でもやはり類は友を呼ぶと言いますか、不用意に「初級編」なんて言い回しをしてしまうと、では中級編はあるのか? なんてことを言われたりするわけです。 前回はざっくり言うと、「自分の発言に重みを持たせようとして滑るアンチパターン」について書きました。相手の話の信憑性を推し量る時に、お互いに相手が持ってる物差しを推定しあうはずだけど、ついそこを直接的に操作したくなっちゃうよね。でも、そんなのすぐバレて逆効果だから止めようね、というような話でした。(それで済む話に

          (続)メタな見栄張り

          メタな見栄張り、あるいは「真に受けてもらう」ことを巡る闘争について

          (ある種の話し下手についての原因分析、のようなことを試みている記事です) 「話半分」の負の連鎖 話半分、という言葉があります。物事は誇張されて語られることが多いから、他人から聞かされた話は割り引いて受け止めた方が結果的に真実に近い、というような意味で使われます。こういう言葉がすでにあるわけですから、話し手の立ち場に立った場合、聞き手はこちらの言うことを半分くらいしか信じてくれない、という予想の上で話をしなければならないことになります。 語り手は常に倍の程度で語り、聞き手

          メタな見栄張り、あるいは「真に受けてもらう」ことを巡る闘争について

          私家版「陰キャ」の定義とその生存戦略

          「陰キャ」「陽キャ」は私が若い頃にはなかった言葉なので、勝手にそれに乗っかるのはある種の文化の剽窃にあたる可能性もあるのですが、「根暗(ネクラ)」「根アカ」では意味合いが違ってきてしまいますし、何より現代では言葉として通じない可能性すらあるのでひとまずこのタイトルで行きたいと思います。 「努力は夢中に勝てない」も「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」も、正しく有用な言葉だと思いますが、これを年長者が不用意に押しつけていくの

          私家版「陰キャ」の定義とその生存戦略