(良い)「問い」には多分少なくとも3種類はある

こんな記事を書いたりしているので、「問題解決より問題発見!」みたいな言い方を嫌っていたり馬鹿にしていたりすると思われがちなのですが、「問い」の話をしている人たち全般に関して言えば、むしろ尊敬の念の方が強いということを予め言い訳しておきます。「問い」が大事、っていう発言は大抵の場合、妥当で適切なものであることがほとんどだと思います。ただ、一方で、言っていることは正しいけれども、はたしてそこで言うところの「問い」という語がいったい何を指しているのか、その言説を聞いてる側に伝わっているのだろうか、という点については、少し不安を感じるということがしばしばあります。完全に余計なお世話なのですが、大事だと言われる「問い」にはどのようなものがあるのかについて考えてみました。

とりあえず、私が思う良い「問い」には3つの可能性があります。発想の射程距離を拡大するもの、発想の量を増やすもの、仮説検証を効率化するもの、の3つです。

発想の射程距離を拡大するもの

おそらく、最もオーソドックスな解釈です。ここでいう発想というのは個別のアイディアで、「問い」に対する「答え」、解答候補の束と言っても良いかもしれません。アイディアを出すにあたって、お題の設定があまりにも具体的で小さいものだと小さいアイディアしか出てこない、であるとか、予めお題の設定が偏っていると偏ったアイディアしか出てこない、というのは理解しやすい構造であると思います。その意味で、お題の設定=「問い」が最終的に良いアイディアが生まれるかどうかを規定している。つまり、「問い」が大事、ということになります。(小さいとか偏りとかを、何を基準に判断するのか、とか、お題→解答という順序自体に疑う余地はないのか、など細かい議論はありえますが、ここでは踏み込みません)

発想の量を増やすもの

ちょっと現代的かつテクニカルな解釈になります。いわゆるマクドナルド理論が参考になります。これを理論と呼ぶのが適切かどうかについては今ひとつ釈然としないものがありますが、アイディアを引き出すテクニックとして、「最悪の選択肢をとりあえず提示する」というものが知られています。ランチの店を決めようという状況で誰も具体的なお店の候補を挙げてくれない時に「マクドナルドにしよう」と最初に言えば対案がどんどん出てくる、という話です。(ちなみに外交のジャンルで、マクドナルドがチェーン展開しているくらいに中間層が経済力を持っている国は戦争をしたがらない、という意味でのマクドナルド理論という言葉もあるらしいです。いずれにしてもあまり良い名前ではないと思うのですが、良くない名前だからこそ人口に膾炙することになったのかも、という気もします)

マクドナルド理論が有用とされるのは、それが多くの対案を生み出す生産性が高いテクニックだからです。アイディアは互いに触発する性質があるので、量が質に転化する期待の高いものだと思います。最初の「射程距離を拡大するもの」は意図的にやろうとするとハードルが上がってしまったり話が抽象的になったりして解がまとまらないリスクが大きく博打的な要素のある方向性ですが、こちらの解釈ではもう少しシステマチックに勝率を高める期待があります。

仮説検証を効率化するもの

これはちょっと職業的に偏った解釈であるかもしれません。いわゆる仮説思考において、仮置きした前提を問いとしてそれを検証するという場面において、検証の答えが出しやすく、その結論によって大本の課題における探索範囲を大きく絞り込める仮説は良い仮説であり、良い仮説の真偽は良い「問い」であると言えます。

かなり抽象的な話になりました。以前はマインスイーパーを引き合いに出した喩え話で説明したのですが、最近ではそれも通じなくなってきた感があります。(開いてみたら一気に盤面が開けるようなマス、のイメージです)

4カード問題(ウェイソン選択課題)が良い例になるかもしれません。

4枚のカードがテーブルに置かれている。それぞれのカードは片面には数字が書かれ、もう片面には色が塗られているものであり、3・8・青色・赤色が見えている状態である。このとき「カードの片面に偶数が書かれているならば、その裏面は赤い」という仮説を確かめるためにひっくり返す必要があるカードはどれか?

上記リンクのWikipedia記事

カードをひっくり返すのは、「そのカードの裏は何か」という問いに対する答えを求める行為です。裏面を確認したことで結論に近づけるカードと、そうでないカードがある時、前者のそれは良い「問い」であると言えます。

違う良さ、違う問い

私には形式上もちょっと離れた3つ目だけでなく、1つ目と2つ目も本来は全く異なる性質の「問い」であり、異なる良さを持っている様に思えます。しかし、時として言葉としては同じ「問い」が、ここでいう意味合いにおいては複数の良さを同時に兼ね備えるということもあるかもしれません。そうでなくても「問い」というのは曖昧な言葉なので、「問い」が大事、とだけ言われた時には、どのような意味での良さを指摘し、どのような方向に導こうとしているのかが分かりにくくなってしまうのではないか、と思うわけです。

(これが余計なお節介なのは、多分よく分からない状態で「問い」が大事とだけ言われた方が、ここに冗長に書かれたことを逐一全部説明されるよりもよっぽど相手に伝わるものがありそうだ、ってことに尽きるわけですけど)

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