低温オタクと高温オタク、あるいはコンテンツ愛を冷蔵する戦略について

(ここ数回真面目に仕事っぽい投稿を続けてしまったことで、何か変なことを書かなければいけない気持ちになって書きました。いつも以上に冗長で得るものがない長文になる予定です)

昭和オタクの残党として、かつてあった弾圧の歴史を語る……という多少ありがちなテーマにもちょっと興味があります。平成の到来とともに中学生になったくらいの世代なので相楽左之助と赤報隊みたいな引きずり方をしていると言えなくもないかもしれないので。ですが、ここではちょっと違う話をします。

平成に入って中学生になった頃、まだオタクというのは排斥と弾圧の対象だったと思うのですが、さすがに自分の属性がそちら側であるということを自覚しはじめました。しかし、弾圧されたくないのはもちろんですが、自分自身の感情としても「彼らと同じカテゴリには入りたくない」という気持ちもありました。見た目が冴えないのは仕方がないし、直接的に「自分はオタクではない」と主張することの説得力の無さにも耐えられないので、「悪い意味であればオタクと言えるかもしれない」と自分で言うことにしていました。当時としてもオタクには深い情熱(あるいは愛)と知識が求められてもいたので、オタクを自認するということは自ら「知識を持つ者」であると喧伝するという面もあったからです。だから悪い意味では、と限定せざるを得なかった。

一方で、メディアで取り上げられるようないかにもな上の世代のオタクだけでなく、同世代のオタク属性持ちの友人達の中でも、「この人と同じカテゴリに入れられるのはきついな」と思わせる人達がいました。これはもう知識の過多の問題ではなくて、情熱や愛の側面での話であったように思います。彼らは、自らが愛するコンテンツの素晴らしさを疑っておらず、時としてその(メインカルチャーとの比較における)優位性を主張しすらしていました。排斥をものともしない愛だったのか、排斥故の反作用だったのかはわかりませんが、その熱には付き合いきれないものを感じました。当時は年齢の影響かいまよりもずっと自分一人分だけの少ないサンプルでの感想を根拠に何かを言うことに強い忌避感を感じていたということもあります。結果的にバンダナを巻いて紙袋を持ち歩くような強さを身につけることはできず、極力色味の地味な、いかにも親に買ってきてもらってそうなデザインの洋服を積極的に選択する人生でした。メガネこそかけてしませんでしたが、今なら「チー牛」と言われる感じの姿です。悪口扱いされているようですが、多分、当時の私であれば面倒な外見についての表記が一発で決まる便利な語彙があることを歓迎したような気がします。

さて、私が同じカテゴリに入ることに抵抗感を感じていた人達というのは、言ってみれば自己の美学に忠実な人達で、非常に火力が高い高温のオタクとも言うべき存在であると思います。熱い。そういう人達を見ると、相対的に冷めている自分を自覚する、ということはあります。それで「引いて」しまったことが、線を引きたくなった理由ではないかと想像される方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私の理解は少し違います。

これまで特にどのジャンルと言うことを指定せずにオタクという語を使ってしまいましたが、ここでは漫画・アニメ・特撮・ゲームなどのいかにもそれっぽいジャンルであればほぼ当てはまるつもりで書いています。自分には興味がありませんでしたがアイドルなども親和性が高そうですし、鉄道などであっても基本的な構造は同じだと思います。そこに社会的な排斥がどの程度影響しているかはわかりませんが、我々は自分達のジャンルが社会の大多数にとっては価値の低いものである、ということを常に意識し前提としていたと思います。それに対抗し直接的に実は高い価値を持つと主張するのが熱い高温のオタクたち、というわけです。では、そうではない低音の我々はどういう気持ちであったのか。

斜に構えてシニカルなことをいうオタクキャラというのはある種のテンプレですので、それほど違和感のある設定ではないと思います。我々は自分達が愛するコンテンツに対しても時に批判的に、距離をとったようなことを言いたがり、冷静さをアピールしたがります。それは、コンテンツに対しての愛が相対的に少ないからでも、自分のキャラクターをアピールしたいからでもありません(いや、そういう面がゼロだったかはわからないですけども)。今にして思えば、あれは愛故のある種サウザー的な反応だったのではないでしょうか。

世間では価値がないと思われているコンテンツを愛するものという自覚のもと、我々は常に「同胞達の卒業」を意識していました。漫画やアニメなどは大人が楽しむものではなかったのです。今となっては子供の頃にはそうしたものが世の中に満ちあふれていた人達が大人の多数を占めているので、そうはなっていませんが、当時の大人はアニメもゲームも履修せずに大人になった人ばかりだったのです。儂(わし)という一人称は今では高齢者を示す記号として機能しているが、実際にはかつては若者も使う言葉で、そのブームが去って下の世代が使わなくなったことにより使用者の平均年齢が上がって行った結果年寄りっぽい言葉使いと認識されるようになった、という話を聞いたことがあります。あるいは高齢者らしいファッションなんかも実は若い頃の格好を続けているだけ、とも聞きます。我々も恐らくジーンズにパーカーに身を包んだ「ありふれた老人」になるのでしょう。話を戻すと、つまり我々は、いつかは自分も仲間もそのコンテンツを「卒業」してしまう、という想定を持ってそれらのコンテンツと向き合ってきたわけです。

高温のオタク達を見ると、その愛はいつまで持続するのだろうかと不安になったものです。私は自分の興味が変遷していくであろうことも織り込む必要を感じていました。なので、自己の全体重をそこに乗せてはいない振りをして、後で手のひらを返した様に見えなくするための布石を打ったりもしていました。(そういえば自己の発言の一貫性を気にしすぎる人は詐欺などにもひっかかりやすいらしいので、私は相当なカモではないかとよく思います)

自らに冷や水を浴びせるポーズをとっていたとも言えるかもしれません。その様な時は、高温のオタクたちが冷めて去って行った後のことを考えているわけで、こちら側の愛や情熱の方が時間的には長期に渡って持続してしまうというシナリオを意識していました。

はしかの様に、というクリシエの癖に全く直観的で無い表現がありますが、短期間に一気に燃え上がり、さっさと冷めてしまう、という心理的な軌跡は広く共有されているモデルだと思います。自分以外のファンがそのような状況になり取り残される未来に怯え、布石を打つ。その繰り返しは、「卒業」をつまりは回復を遅らせます。文字通りの拗らせです。私自身、なぜ、そのようなことを恐れる様になったのかはよくわかりません。例えば小さい頃仮面ライダーやプリキュアが凄く好きだったけど同年代がさっさと卒業してしまって寂しかった。子供扱いされてショックを受けた、みたいなトラウマがあれば分かりやすいんですが、特に思い至るものがありません。(幼稚園児の頃にはすでに周囲の卒業をケアしてコンテンツ愛の表明には慎重になっていた気がします)

と、ここまで書いたようなある種の葛藤については、「本当に何のことを言っているのかわからない」という感想を持たれた方も多いと思います。ほとんどがそうだと思います。無駄な時間を使わせてしまって申し訳ありませんでした。逆に僅かでも理解できる部分があった人には、残念でした、としか言いようがありません。頑張って生きていきましょう。

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