記事一覧
低温オタクと高温オタク、あるいはコンテンツ愛を冷蔵する戦略について
(ここ数回真面目に仕事っぽい投稿を続けてしまったことで、何か変なことを書かなければいけない気持ちになって書きました。いつも以上に冗長で得るものがない長文になる予定です)
昭和オタクの残党として、かつてあった弾圧の歴史を語る……という多少ありがちなテーマにもちょっと興味があります。平成の到来とともに中学生になったくらいの世代なので相楽左之助と赤報隊みたいな引きずり方をしていると言えなくもないかもし
仕事術、3つめの神器を求めて③ 〜WBSについての補足
いつまで経っても本題に入れません。前回、念のために、既選の2つについて書いたつもりだったのですが、
WBSについて、ある意味で当たり前過ぎて言及し忘れている観点があることをに気がつきました。
WBSはとても重要で、応用が効く技法だし、その技法自体の特性を分析することでも得るものが大きい、という信念自体については書いたつもりなのですが、そもそも私がその話をしたくなったのは、WBSが過小評価されて
仕事術、3つめの神器を求めて② 〜複式簿記とWBS
中年コンサルタントが考える仕事術、的な話の続き。
複式簿記とWBSは当確として、3つめを何にしようかという探索を行うつもりなんですが、今回はとりあえず当確のものについて簡単に触れておきたいと思います。特にWBS。
複式簿記はまあ常識ってことでいいと思うんですよね。単式ではなく複式にしたことで生まれる表現能力には、若者なりに刺激を受けるところがあると思います。勘定科目にカスタマイズ性というか、裁
信頼を得ると仕事がしやすいけど、仕事をすることで信頼を得るのは遠回りなのかもしれない
若者に迎合したタイムパフォーマンス向上ライフハックみたいなタイトルになってしまいました。が、多分そういう内容にはならないと思います。
仕事で高いパフォーマンスを発揮できるかどうか、を個人の資質に帰着して語る場合に昨今特に人気なのが「コミュニケーション能力」です。私は、よく喋るタイプのコミュ障を自認しているので、コミュニケーション能力に対してこのようにわかったようなことを書き散らすことには気が引け
「他人と比較する」ことのすすめ
タイトルに偽りありというか、積極的に自分と他人を比較して辛くなりましょう、ってことを主張したいわけではないのですが、世の中には安直に「他人と自分を比較するなんて不毛」みたいなことを繰り返す説教臭い言説が溢れすぎてると思うんですよね。
確かに、他者と比較した結果はざっくりいって以下の3パターン、どれもぱっとしないと言えばしません。
パターン①「自分の方が優れている」
いかにも印象が良くない。そ
言葉狩り界のキャッチアンドリリース 〜〜『言語化』『解像度』『期待値』など
「事例が欲しい」なんていう誰でも言いそうなことを言っただけで残念感が漂うとか、のべつ幕なし無差別であちこちを見下して喧嘩を売っている様に見られてしまっている可能性が無視できないので、あんまりこういうことばかり書かない方が良いのかもしれないですけど、便利だし周囲でもよく聞くけど個人的にはあまり使わないようにしている言葉について書きたいと思います。馬鹿にしたいのではなくて、むしろこれらの言葉を使う人の
もっとみる「事例が欲しい」と言ってしまうことの危うさについて
かつて就職活動中によく出る疑問の典型として、「全員がリーダーになるわけでもないのに『リーダー経験』が歓迎されるのは何故か?」というものがありました。その説明の一つが、多くの人ができることなら「リーダーの苦労を理解できる人」と一緒に働きたいと考えているから、でした。従業員に気軽に経営者目線を求めることの不条理に通じる面がなきにしもあらず、という気もしますが、やはり似たような立場に立たないとその視点に
もっとみる(続)メタな見栄張り
想定読者数1桁の記事でもやはり類は友を呼ぶと言いますか、不用意に「初級編」なんて言い回しをしてしまうと、では中級編はあるのか? なんてことを言われたりするわけです。
前回はざっくり言うと、「自分の発言に重みを持たせようとして滑るアンチパターン」について書きました。相手の話の信憑性を推し量る時に、お互いに相手が持ってる物差しを推定しあうはずだけど、ついそこを直接的に操作したくなっちゃうよね。でも、
メタな見栄張り、あるいは「真に受けてもらう」ことを巡る闘争について
(ある種の話し下手についての原因分析、のようなことを試みている記事です)
「話半分」の負の連鎖
話半分、という言葉があります。物事は誇張されて語られることが多いから、他人から聞かされた話は割り引いて受け止めた方が結果的に真実に近い、というような意味で使われます。こういう言葉がすでにあるわけですから、話し手の立ち場に立った場合、聞き手はこちらの言うことを半分くらいしか信じてくれない、という予想の