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田舎の主婦です。学校卒業後5年ほど就労。結婚し子育てを経験。 その間ずっと人の心につい…

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田舎の主婦です。学校卒業後5年ほど就労。結婚し子育てを経験。 その間ずっと人の心について探求してきました。鳥を見て、虫に驚き、葉の緑の美しさに心奪われる毎日を過ごしています。

最近の記事

もうひとつのその6 確かな思い

 見つけた文献と法華経解説の本の見比べ作業をし始めて気づいたのは、先の陀羅尼の場合は多少の違いがあるにせよ、通し訳をするのにほとんど影響はないことだった。要はどう繋げていくかの問題で、それは並行して現実に起こってきたことから得たものの助けを借りることでなんとか解決できた。けれど、今回の陀羅尼はそうじゃない。その一部が省かれていたのだ。その重要度に気づいたのは、通し訳が見えてきてからのことだった。 ‘’もうひとつのその4‘’で各単語の意訳を並べたが、省かれていることが分かった

    • もうひとつのその5 他の意訳

       今回の陀羅尼(普賢の陀羅尼)と、先の陀羅尼(陀羅尼品の陀羅尼)の仏教的通し訳。それぞれができた時の喜びは大きかった。 けれど、‘’釈迦は呪文の類を否定していた‘’という情報を得たこと、現実に様々なことが起こり始めたことで、その通し訳に対し徐々に違和感を感じて始める。(‘’もうひとつのその4‘’で記した思いは、その頃の言葉にならなかった違和感が、今になって抑えられずに出てきたものである。) そんな中でふと、‘’個々の単語の他の意訳ってないのかな__。‘’ と思いつく。そして

      • もうひとつのその4 これじゃない

         もう一つの陀羅尼を構成する各単語の意訳は、次のようなものだった。 勿論これは、仏教経典解説の書物による。 ①無我 ②徐我 ③方便 ④仁和  ⑤甚だ柔軟 ⑥甚だ柔弱 ⑦苟見 ⑧諸仏廻 ⑨諸総持廻  ⑩衆に行じて説く ⑪皆廻転す ⑫尽く集会する ⑬衆趣を除く ⑭無数 ⑮諸句を計す ⑯三世の数等し ⑰有為を越える ⑱諸法を学す ⑲衆生の音を暁る ⑳師子娯楽 そして、10年以上前に繋げていた最初の訳が以下である。 無我の心で 除我を行う 方便をもって 仁による和を図る その心

        • もうひとつのその3 無条件の愛への道

           必要条件のない愛。無条件の愛__。 これまでに私は、自身に纏わりついていたいくつもの固定観念に気づき、時間をかけてそれらを一つずつ剥がしてきた。その結果今ここを、過去の感情の中から見るのではなく、今のまっさらな感情で見ることができるようになった。そして自分に嵌めていた枠も感情の重さを感じては外し、随分楽に息ができるようになって、人への愛も深まった……気がしていたけれど。 こんなふうにそのまま丸ごと受け入れるような愛を感じたことはなかった……。 相手の行動に対する捉え方を

        もうひとつのその6 確かな思い

          もうひとつのその2 観えてきたもの

           事務処理等に私は全く関与していない。その全てはある人が一人で進めていた。彼はそれにずいぶん時間がかかっていたが、何かを一つ仕上げるたびに現状報告をしてくれていた。勿論、彼には自分の仕事もあった。そちらの方となんとか並行して進めている。 忘れてはいないが忘れそうになるほど時間が経ってから届く報告を毎回確認し、了解の文字を送る。送る。送る……。 いや、期限が無いものならもう少し楽だったろう。けれどまるで夏休みの宿題に追われる小学生の親のように、はらはらしながら少し離れて彼の様子

          もうひとつのその2 観えてきたもの

          もうひとつのその1 その後のこと

           前回の投稿から一年半が経つ。 あっという間だったように思うが、濃厚な時間を過ごしていた。 一つ目の陀羅尼の訳を纏め上げようとした頃、一つの出来事が起こったんだ。自分にとってとても大きな問題で、とにかくそれに向き合うしかない状況になった。 本当は、法華経のもう一つの陀羅尼__普賢菩薩勧発品第二十八の中の陀羅尼に続けて取り組みたいと思っていた。 これの仏教的訳は、実は10年以上前に出来ていた。陀羅尼品のものよりも簡単に文章になった。けれどあまりにも嵌まったものだったので、そ

          もうひとつのその1 その後のこと

          その15 あとがき

           このブログを書き始めた頃は、まだこのような訳になるとは思ってもいなかった。陀羅尼の意味を、‘’これだ!‘’と思ったのもつい最近のことである。 けれどそれさえ、また時を重ねれば変わっていくのかもしれない。 自分の人生において、陀羅尼は‘’鍵‘’のような役割だったと思う。自分の心を開くものだった。そしてその鍵を見つけたのは、自分自身の性格だった。 面白いものである。 しかし一体誰が、このような言葉を選び綴ったのだろうか。 私には、具体的なことは何も分からない。 けれど同じ心

          その15 あとがき

          その14 今の自分の訳(構成2~5)

          (構成2) 光り輝いている とても大きくて 炎のような光 私の心の灯 誰もがそうなっていくもの とても美しく 喜びに溢れ いつでも満足している それを一度でも感じられたのなら 自分の心を見つめ浄化し続けよう そうすれば、ずっとその状態に居ることができる 合わせることも 集まることもないんだ (構成3) 全てが具わっている 張り合おうにも 張り合うものなどない 無始より永久に存在するものである これより富むものは無い 何が富むだろうか (構成4) 無数に見えても その数に限

          その14 今の自分の訳(構成2~5)

          その13 今の自分の訳(構成1)

          自分の心を見つめ 重く異和を感じる所があることに気付く その奥の自分の本当の思いを見つけて 物事を捉え直す その捉え方を何度も何度も繰り返し心に留めていれば そのうちそれは初めからそうしていたように 当たり前になっていく そんな風に 心を洗い清めて整える 動じず執われない心の平静を目指して 本当の自分でないものを 心から一つ一つ解き そこから脱して 自分自身を救い出そう 皆同じ 偽りの自分が無ければ 心は調和して一つになるもの 全く皆同じだと知って 偽りの自分が全く無

          その13 今の自分の訳(構成1)

          その12 本当の意味

           陀羅尼━━。その意訳は「総持」。総てを持つということ。 幾つかの仏教的訳の中の一つが、 「あらゆる善を持ち失わず、あらゆる悪を持ち起こさず。」 である。 この‘’善‘’と‘’悪‘’がわからなかった。 仏教経典の中の言葉は、現在使われている日本語とはニュアンスが違うと感じるものが多々ある。また、比喩のようなものも多い。仏教に寄らない訳をするには、善悪のように相対的な概念だけれどもっとニュートラルなもの、後付けの解釈をできるだけそぎ落としたものがいいと思っていた。 直感通り、

          その12 本当の意味

          その11 振り返って

           高校生の時、身近な人を4人亡くした。 一人は大切な友人。入学してすぐ、突然のことだった。 一人はその悲しみの最中に生まれた、知り合いの赤ちゃん。 (どうか元気で、長く生きれますように……。) そう祈ったけれど、2歳になる前に熱を出して亡くなった。 他に伯父と祖母。 「人は年齢に関係なく死ぬんだ。」 そう理解した。 確かなものは何もない。 友人が風邪をひき発熱するだけで、動揺した。 一生懸命作ったものがちょっとした不注意で壊れた時も、深いショックを受けた。 ‘’動じる‘

          その11 振り返って

          その10 心の奥

           心の奥深く……そこに霧はもう無く、鮮明に視界が広がっていた。 その表層には、透明な何かが厚く重なっている。 薄くて冷たい、まるで雪片のような記憶と感情でできた層。 (幼かった私に親がした‘’これ‘’や‘’あれ‘’は、躾だったのかな。単なる感情の発散だったのかな……。 あの頃は、自分の思いしか見えていなかった。けれど私自身が子育ての時にそうだったように、彼らもただ精一杯自分を生きていただけなんだ。 皆……きっと同じ……。) 流れる涙と共に、雪のひとひらひとひらが溶けていく

          その10 心の奥

          その9 透明な枠

           心の庭が整ってきたとはいえ日々色々あるもので、特にあの頃の体調は良くなかった。毎日の作業さえはかどらない状態だった。こんな時に限って心に負担がかかるようなことが起こる。 初対面の人に、自分のあずかり知らぬことで不満をぶちまけられたのである。何とかしてほしいという要望とともに。 (なんでそんなに感情的になってんねん。) その人は明らかに余裕がない様子だった。仕方なく話を持ち帰り色々と調べたり人に聞いたりしたものの、こちら側に出来ることはなかった。それよりも相手の方に対処で

          その9 透明な枠

          その8 黒い塊

           陀羅尼呪【構成1】①から⑥の行程(所行奉修)を実践していると感じたのは、その真っただ中にいる時だった。 ‘’奇異‘’という言葉に、この‘’自己矛盾の一種‘’がぴったり当てはまった気がした。そして好‘’奇‘’心のままに心の内に入っていくと、そこにあったのは何の手入れもしていない荒れ果てた庭だったのだ。  その庭に手を入れ始め少し様になってきたと思った頃、別の違和感に気付き始める。 それはこんな出来事からだった__。  学生生活がうまくいっていなかった子供のことで、親からあ

          その8 黒い塊

          その7 思う所

           その感情を頼りに自分の記憶を探ると、そこには幼い頃の自分がいた。 兄弟がいる。けれど皆、私を無視して話し笑う。どんな会話も私の上を素通りして、話しかけても聞こえないふり。まるで透明な箱の中に入れられて、泣いても訴えても届かない感じ。苦しくて悲しくて。……どれくらいの期間それが続いたのかわからない。けれどその時の自分には長すぎる時間だった。  その出来事の原因は私自身の行動にあった。それが兄には許せなかった。けれどその私の行動にも理由があった。けれどそのことを、やはり幼か

          その7 思う所

          その6 起こり始める

           (どういうこと……?これが本当なら、この陀羅尼は一体誰が言葉にした?) 色々と調べてみても、‘’釈迦が呪文の類を否定していた‘’ことは真実のようだった。                                (別の誰かがこの単語を選び並べた。それが釈迦以前のことなのか伝播の途中のことなのかはわからないけれど、他の教えとともに仏教として日本に持ち込まれたんだ。) そう理解した頃、私は体調を崩し寝込むことが多くなっていた。家族のために継続して何かをすることができな

          その6 起こり始める