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もうひとつのその9 見つけた

 浮かんできた文章を漢字に直してみる。

‘’ 水は 水の中で 水になって 還るの ‘’

川の中の一粒の水は他の沢山の水の中にいて、集合体としての大きな水の流れになって海に還る__。そんな意味だろうか。

(きれいな言葉……。 これって、人も同じ……やね。)

‘’水‘’の部分を‘’人‘’に変えてみる。
‘’ 人は 人の中で 人になって 還るの ‘’

……気付けば、この世界に生まれていた。そしていつの間にか、自分を‘’私‘’という個人として認識するようになっていた。周りには沢山の人がいる。
その中で見えてきたのは、人は皆感情を持っているけれど、その扱い方によって心の状態が違うということだった。
自分の中の愛に気付かず外に愛を求め、起こることに対し常に反応して感情のまま行動する重い状態がある。
また、自分の感情の重さの変化を見つめながら常に心を軽くすることで、起こることに関係なく喜びの中にいて、自分の中の愛をただ放射する軽い状態もある。
その間にもその先にも無数のエネルギー状態がある。
けれどその状態が重いにしろ軽いにしろ、結局人は愛そのものなんだ。それに気付くかどうか、それに納得できるかどうかなんだ。

子供を育てながら人の中で生きていくうちに、そのことが骨の髄まで染み込んだ。自分の中に根深かく存在していた‘’正しさ‘’が、何の実体も無くなっていく。何が正しくて何が間違っているのか、人を許すとか許さないとか、それ自体に意味が無くなっていく。
誰もが皆、自分の真実を生きているだけだった。

(世界は、皆で動かしてたんやね……。)

その‘’皆‘’というのは、‘’今ここにいる人全て‘’だけではなく‘’この世界に生きた全ての人‘’を含むのかもしれない。
‘’私‘’という個人の中には、その過去の人たちの記憶がDNAとして埋め込まれている。この地球の空間には、その人たちの強い感情的記憶が刻まれている。
さらに言えば、今の自分に感知できない存在も含むのかもしれない。
‘’水‘’の言葉をくれたのは、水の精? 地球?
全体像は見えないけれど、私の意識と繋がる全ての存在達が、一緒に世界を動かしている。全てが一つで、その大きさも深さも想像さえできない存在なんだろう……。

(……もうこれ以上、必死になんのやめよう。)

全ての存在に共通の真実__ずっとそれを求めてきた。けれどこの體にいる以上、どんなものが得られたとしてもその一つの側面でしかないのかもしれない。‘’私‘’を通して得たものだから。
けれどこの先もずっと、‘’ああ、そうか。‘’と新たな何かに気付いていくだろうし、その都度私は変化し続けるのだろう。
私はそれを楽しみ、柔らかくしなやかな存在になる。
そしてその自分の真実を表現し、自分の中の光をもっと輝かせる。
せっかくこの世界に生きる體があるのだから、ここでしかできない自分を生きていく。
大いなる存在の一側面、欠片として持つ自身の能力を使い、皆の真実と調和して新しい何かを生み出していく。
違いによって重い波動を出すのではなく、違うからこそ出せるそれぞれの想像力を重ね合わせて、明るくて楽しい世界を作っていく。
……そう新たに、自分自身に誓うよ。

今、私の心には何の解釈も判断も無い場所がある。
条件のない愛で満ちている。
常にその大きさを維持できているわけではないけれど、少なくともそれが消えることは無いだろう。
誰のこともどんな価値観も観念も、そこでそのまま受け入れて、ただ抱きしめる。
それは自分のことも同じ。嘘をついた過去の自分、自信がない自分も、自分の一部としてそのまま受け入れて抱きしめる。
そこはまるで庭の木々の中にいるような、穏やかで安心できる場所。
ずっとそんな居場所を探してた。

(ここに……あったん。)

私は自分の心の中に、その場所をやっと見つけたんだ。