yumi kadota

武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科卒業(2020年3月)、卒業論文を公開しています…

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武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科卒業(2020年3月)、卒業論文を公開しています。 Twitterアカウント:@mlz_08

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論文:芸術におけるカタストロフ表象 —ひとりひとりの記憶の中の裂け目— (Representation of Catastrophe in Art: the lacerations in our own unconsciousness )

武蔵野美術大学 造形学部 芸術文化学科 卒業論文(2019年度) 所属ゼミ・主査教官:春原史寛先生 副査教官:髙島直之先生 副査教官:中島智先生 ※著作権上の関係で、図版を省略しています。何卒ご理解ください。 目次 論文 抄録 序章 研究の動機、研究の目的、先行研究の検討 第一章 カタストロフの定義と諸相 ・アート、ないし個人的なものからの逃亡・捨てられた手紙(草稿)・孤独と内省 ー傷つくとはどのようなことか・カタストロフへの期待と恐れ・カタストロフのゆらぎ

    • 参考文献目録

      ・小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮社、1962年) ・イマヌエル・カント著、篠田英雄『判断力批判』(岩波文庫、1964年) ・『荘子 内篇』(岩波書店、1971年) ・野口広『カタストロフィーの理論 その本質と全貌』(講談社、1973年) ・ジャン・コクトー著、秋山和夫訳『ぼく自身あるいは困難な存在』(筑摩書房、1991年) ・シャルル・ボードレール著、渡辺一夫訳『人工楽園』(角川書店、1993年) ・ビヴァリー・ラファエル著、石丸正訳『災害の襲うときーカタストロフィの

      • あとがき

         なにか特定の出来事についてお話ししようと思うと、どこから話したらよいのかわからなくなります。発語とは、頭のなかのスクリーンにうつしだされた像を、言語などのツールを用いて拾っていく行為、そして同時に像を分断する行為でもあります。わたしは、できればイメージを分断させたくないのです。言語化には常にそのような困難さが伴いますが、いま頭にうかぶ光景をあえて言葉として拾うならば、ひらけた交差点、建物と建物の間から差し込む、未だ白い光の混ざる夕日、その眩さに目を伏せるわたしのTシャツの背

        • 終章 傷と気配

           特定の作品に惹きつけられ、高揚を覚え、唐突な所有欲に駆られることがある。それに対し、惹きつけられているのは確かだが、どうしても相容れない感触が拭えず、直視できないこともある。前者の場合、ポストカードや複製原画をはじめとしたアートグッズを購入することで、一時的に昂ぶった欲求が満たされる。  どちらも惹きつけられているにも関わらず、ポストカードを買いたくなるときと、そうではないときの違いが生じる。これに関しては、ロラン=バルトによるプンクトゥムとストゥディウムで理解できると考え

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        論文:芸術におけるカタストロフ表象 —ひとりひとりの記憶の中の裂け目— (Representation of Catastrophe in Art: the lacerations in our own unconsciousness )

          第四章 写真実験

          ・浄化しえないもの ・痛みの知覚 ・浄化しえないもの  自身の鑑賞体験が、カタストロフ〈裂け目〉の理解のはじめの一歩となることを期待し、マグナムフォト【註19】に掲載された写真のうち、心に引っかかるもの100枚以上の写真を選択し、漠然とした分別を行った。(マグナムフォトでは報道写真を含む多くの図像が厳選されて載っており、様々な国のそれぞれに異なった生活環境を持つ写真家たちが所属している。)写真群は大きく4つに分類することができた。しかし、18枚の写真だけは、ほかの4種類の

          第四章 写真実験

          第三章 アート受容の可傷性とカタストロフ表象

          ・「傷ついた」という声 ・抗議電話 ーあいちトリエンナーレ『表現の不自由展・その後』をめぐって ・〈傷〉と振る舞い・文脈に抗するもの ー『un/real engine ーー慰霊のエンジニアリング』より ・リテラシーが失わせるもの ー愛する(to love)の次元・ 渦中、そして表象(ヴェール) ・ひとと、場所 ー被災の分断 ・「傷ついた」という声  アートをみて「傷ついた」と言えることは、一体なにを意味するのだろうか。表現の自由という言葉は決して、作家による無遠慮な

          第三章 アート受容の可傷性とカタストロフ表象

          第二章 カタストロフ表象と鑑賞

          ・変身とアイデンティティ ・わからないものへの理解 ー映画『アナと雪の女王』より ・鑑賞における逃避 ・目眩(イリンクス)とカタストロフ ・変身とアイデンティティ  「あなたにとって美術館はどんな場所か」という問いに対し、「癒しの場所である」と答える人が多いという。癒しとはどういうことか。  自分にとっては、美術館とは「もうひとり、もうふたりめの自分に出会ってしまう場所」である。と、ここで、ドッペルゲンガーを思い起こす。ドッペルゲンガーの場合、自分の分身を目撃してし

          第二章 カタストロフ表象と鑑賞

          序章

          ・研究の動機・研究の目的・先行研究の検討 ・研究の動機  昔から、〈傷つく〉ということについて考えてきた。小学校の道徳の授業では、やってはいけないことのいくつかを教えられたが、幼少期は「自分がされていやなこと」への感度が鈍かったため、なかば鵜呑みにするように理解していた記憶がある。それでも、できるだけ相手を傷つけることはしたくないと思い、ひとが傷ついてしまうメカニズムについてなるべく思量してきた。友人が、自分を見て悲しんでいたり怒っているときは、そのひとがその特定の感情へ導

          第一章 カタストロフの定義と諸相

          ・アート、ないし個人的なものからの逃亡 ・捨てられた手紙(草稿) ・孤独と内省 ー傷つくとはどのようなことか ・カタスロフへの期待と恐れ ・カタストロフのゆらぎ ・アート、ないし個人的なものからの逃亡  カタストロフは一種の傷である。カタストロフから目を逸らしたいとき、ひとは自らの正当性を保証するストーリーによって、自らを心地よく騙すことができる。言い換えれば、カタストロフにあるストーリーを与えることによって、それを一般化/外部化し、自分に無関係な事象であると思い込

          第一章 カタストロフの定義と諸相

          抄録

           芸術鑑賞時に、作品の保有する複数の眼に視られるような感覚や、呼吸数の増加に伴う息苦しさ、耳鳴り、平衡感覚の喪失などの身体反応が引き起こされることがある。このことを、個人ひとりひとりの記憶の中にあるカタストロフ(原義は古代ギリシア語で「決定的な転換や転覆、反転」) に触れたと仮定する。カタストロフとは、言うなれば〈裂け目〉である。〈裂け目〉とは、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが表象を分析するために用いた言葉である。「あらゆる言葉が身動きを止め、あらゆるカテゴリーが頓挫する」