参考文献目録

・小林秀雄『Xへの手紙・私小説論』(新潮社、1962年)
・イマヌエル・カント著、篠田英雄『判断力批判』(岩波文庫、1964年)
・『荘子 内篇』(岩波書店、1971年)
・野口広『カタストロフィーの理論 その本質と全貌』(講談社、1973年)
・ジャン・コクトー著、秋山和夫訳『ぼく自身あるいは困難な存在』(筑摩書房、1991年)
・シャルル・ボードレール著、渡辺一夫訳『人工楽園』(角川書店、1993年)
・ビヴァリー・ラファエル著、石丸正訳『災害の襲うときーカタストロフィの精神医学』(みすず書房、1995年)
・網野善彦『無縁・公界・楽』(平凡社、1996年)
・テオドール・W・アドルノ著、渡辺祐邦・三原弟平訳『文化批判と社会』(ちくま学芸文庫、1996年)
・マーティン・ハーウィット著、山岡清二監・渡会和子・原純夫訳『拒絶された原爆展 歴史のなかの「エノラ・ゲイ」』(みすず書房、1997年)
・篠原資明『ドゥルーズ ノマトロジー』(講談社、1997年)
・ジャック・ラカン著、小出浩之訳『フロイト理論と精神分析技法における自我』(岩波書店、1998年)
・岡本太郎『今日の芸術』(光文社、1999年)
・中島智『文化のなかの野性』(現代思潮社、2000年)
・カルロ・ギンズブルグ著、竹山博英訳『ピノッキオの眼 距離についての九つの省察』(せりか書房、2001年)
・藤野寛「アドルノの文化理論」、「文化の双面性について」(『高崎経済大学論集』43巻、2001年)
・古俣智洋・臼井嘉一「戦争被害における加害・被害の扱い方」(『福島大学教育実践研究紀要』41巻、19ー26頁、2001年)
・ジョルジョ・アガンベン著、岡田温司・岡部宗吉・多賀健太郎訳『中味のない人間』(人文書院、2002年)
・渡辺公三『レヴィ=ストロース 構造』(講談社、2003年)
・高橋洋一『ジャン・コクトー 幻視の美学』(平凡社、2003年)
・中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房、2004年)
・甲田純生『美的判断は本当に普遍性をもつのか?』(『メタフュシカ』第35号別冊、105ー120頁、2004年)
・ミハイル・バフチン著、川端香男里訳『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(せりか書房、2005年)
・日高敏隆「環境と環世界」(『本田財団レポート』101号、2005年)
・中沢啓治『はだしのゲンはヒロシマを忘れない』(岩波書店、2008年)
・安藤裕子『ヒロシマ・ナガサキはどのように表象されてきたか』(早稲田大学大学院アジア太平洋研究科博士論文、2008年)
・ジークムント・フロイト著、門脇健・須藤訓任訳『フロイト全集〈十二〉トーテムとタブー』、岩波書店、2009年)
・Chim↑Pom『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(河出書房新社、2009年)
・イマヌエル・カント著、、中山元著『純粋理性判断』(光文社、2010年)
・マルセル・プルースト著、吉川一義訳『失われた時を求めて』(岩波文庫、2010年)
・中井久夫『災害がほんとうに襲ったとき 阪神淡路大震災五十日間の記録』(みすず書房、2011年)
・村山匡一郎『ひきずる映画 ーポスト・カタストロフ時代の想像力』(フィルムアート社、2011年)
・ジャック・デリダ著、高橋允昭・阿部宏慈訳『絵画における真理〈上〉』(法政大学出版局、2012年)
・鷲田清一・熊谷晋一郎「痛みの哲学(第三回)予測不可能性を飼いならす」(『現代思想』41巻1号、133ー145頁、青土社、2013年)
・矢野摂士「原爆の記憶をめぐるメディア表象の政治社会学」(『政治学研究』49号、301ー322頁、2013年)
・ロジェ・カイヨワ著、秋枝茂夫訳『戦争論』(りぶらりあ選書、2013年)
・東浩紀・井出明・開沼博・津田大介・速水健郎ほか『チェルノブイリ ダークツーリズムガイド』(株式会社ゲンロン、2013年)
・岡村幸宜『非核芸術案内』(岩波書店、2013年)
・西山雄二『カタストロフィと文学』(勁草書房、2014年)
・竹田信平『α崩壊 現代アートはいかに原爆の記憶を表現しうるか』(現代書館、2014年)
・赤塚若樹『グロテスク・リアリズムの感性』(首都大学東京大学院 PHASES5 70―90頁、2014年)
・松本俊彦『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版、2014年)
・守中高明「詩論の現在(36)カタストロフィーと言葉(上)「フクシマ」以後、詩を書くことは可能か?」(『現代詩手帖』57巻5号、124―131頁、2014年)
・同上『詩論の現在(37)カタストロフィーと言葉(下)「フクシマ」以後、詩を書くことは可能か?』(『現代詩手帖』57巻6号、138―149頁、2014年)
・ロラン・バルト著、石川美子訳『零度のエクリチュール』(みすず書房、2015年)
・春日菜穂美「アート表現を用いた震災トラウマ・カウンセリング ナラティブ技法としてのアート・フォーカシングの意義」(『心理臨床学研究』33巻4号390―399頁、2015年)
・野坂昭雄「カタストロフィ後に〈詩〉を書くということ(特集「戦後七十年」連続ワークショップⅣ カタストロフィと〈詩〉)(『原爆文学研究』14号、74―82頁、書花院、2015年)
・山口真一「ネット炎上の実態と政策的対応の考察」(『総務省 情報通信政策レビュー』11号、2015年)
・前場理恵子『ヒロシマ・フクシマはどのように表象されてきたか』(早稲田大学政治経済学部政治学科学士論文、2015年)
・ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著、橋本一径訳『イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真』(平凡社、2016年)
・甲田純生「カントの美的判断―現代社会における意義」(『武庫川女子大学美学研究所紀要』26号、61ー69頁、2016年)
・カンタン・メイヤスー著、千葉雅也・大橋完太郎・星野太訳『有限性の後で 偶然性の必然性についての試論』(人文書院、2016年)
・長谷川唯・桐原尚之「他人の介入によって立ち現れるカタストロフィ:ディスアビリティの解消をめぐって」(『立命館言語文化研究』28巻1号、243―254巻、2016年)
・服部正「障がい者の創作行為を個人モデル化しないために」『芸術批評誌REAR 38巻』(文方社、2016年)
・石谷治寛『トラウマの美学と芸術実践のマトリクス』(京都大学学術情報リホンドリ紅、2016年)
・佐竹直子『わたしと統合失調症』(中央法規出版、2016年)
・沢山遼「抽象表現主義と絵画、あるいは絵画以上のものーポロック、ニューマン、ロスコ」(田中正之編『現代アート十講』、武蔵野美術大学出版局、2017年)
・ロラン・バルト著、花輪光訳『明るい部屋』(みすず書房、2018年)
・ジル・ドゥルーズ著、堀千晶訳『ザッヘル=マゾッホ紹介 冷淡なものと残酷なもの』(河出文庫、2018年)
・寺田匡宏『カタスロトフと時間=Catastrophe and Time:記憶/語りと歴史の生成(環境人間学と地域)』(京都大学学術出版会、2018年)
・森美術館『カタストロフと美術のちから』(平凡社、2018年)
・宮下達哉・木村敦・岡隆「審美的価値観は名画と駄作に対する美的評価と関連するか」(『日本感性工学会論文誌』17巻5号、561ー566頁、2018年)
・井出明『ダークツーリズム拡張』(美術出版社、2018年)
・千葉雅也・二村ヒトシ・柴田英里『欲望会議「超」ポリコレ宣言』(KADOKAWA、2018年)
・イーヴァル・エクランド著、南條郁子訳『予測不可能性、あるいは計算の魔 あるいは、時の形象をめぐる瞑想』(みすず書房、2018年)
・Chim↑Pom『We Don’t Know God: Chim↑Pom 2005ー2019』(ユナイテッドヴァガボンズ、2019年)
・卯城竜太・松田修『公の時代』(朝日出版社、2019年)
・藤田直哉他『ららほら』(響文社、2019年)
・柴山英樹『アートの語り手としてのパウル・クレー―画家と教師のあいだ』(渡辺哲男・山名淳・勢力尚雅・柴山英樹編『言葉とアートをつなぐ教育思想』、晃洋書房、2019年)
・熊谷晋一郎他『臨床心理学版第11号 当事者研究をはじめよう』(金剛出版、2019年)
・小田原のどか『Look at the sculpture』(「あいちトリエンナーレ2019」配布資料、2019年)
・伊藤亜紗『記憶する体』(春秋社、2019年)
・中島智『亡霊としての芸術 〈眼のブリコラージュ〉のための覚書』(http://genbaken.web.fc2.com/essay/nakashima/nakashima2.html

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