抄録

 芸術鑑賞時に、作品の保有する複数の眼に視られるような感覚や、呼吸数の増加に伴う息苦しさ、耳鳴り、平衡感覚の喪失などの身体反応が引き起こされることがある。このことを、個人ひとりひとりの記憶の中にあるカタストロフ(原義は古代ギリシア語で「決定的な転換や転覆、反転」) に触れたと仮定する。カタストロフとは、言うなれば〈裂け目〉である。〈裂け目〉とは、ジョルジュ・ディディ=ユベルマンが表象を分析するために用いた言葉である。「あらゆる言葉が身動きを止め、あらゆるカテゴリーが頓挫する」ところと「諸々の命題が文字通り不意をつかれる」ところにおいてこそ生じるイメージ、これを〈裂け目〉と呼ぶ。 
 昨今の『表現の不自由展・その後』問題では、作品の表層部を記号化することによって優劣を判断する、一部の人々の価値観が露呈された。アートを視ることと、鑑賞時に生じる〈裂け目〉の類縁について考察し続ける必要がある。 共通体験としてのカタストロフは存在しない。
 〈裂け目〉とは事実そのものに存在するのではなく、我々の感受によってあらゆるところに正体を現す、遍在的なものである。芸術におけるカタストロフの表象について、出来事そのものに留まらない、イメージの受容としての側面を明らかにする。

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