25日の魔法

11月の24日。25日が土曜日のため、一般的な給料日は1日繰り上がる。
ついにこの日から一定額のお金が振り込まれなくなった。

この25日を迎えられるから生きていけたし、この25日を軸にスケジュールを立てることが出来ていたが、ついにこの日が自分にとってこれまであったルーティンの動きのある日ではなくなったのだ。

どんな働きでもこの日に振り込まれる給与にとって私はこれまで生きていくことが出来たのだと思う。
その額に変動はなくても、なんとか今日まで生きる糧を与えてくれていたのは給料日だった、ということに気がついた。

10月から仕事をしていた案件の運営が案の定雲行きが怪しくなっており、その雲行きはそのまま自分の精神と何らかの連動をしているのがわかる。だから不安を拭うことが出来ない。本当に働いた分は振り込まれるのか?請求書はきちんと受理されてるのか?と疑心暗鬼になる。精神健康に悪い感じがしたぜ。

自分は美術大学出身なのだが、当時の先生たちから感じ取れる雰囲気に「あまり就職をしてほしくない」
というものがあった。

親に申し訳ないほどの授業料を支払ってもらいながら、先生方は"芸術の力で社会を乗り越えていってほしい"と本気で願っていたのである。

「なんて無責任な」と思う気持ちが当時の自分にはあった。
アーティストとしての自覚、それで食っていけるほど甘くないだろうとの認知が自分にはあった。
当時23歳だった自分は一度しか効力を発揮しない"新卒"というカードを使い切ることに必死になっていた。

映像も勉強出来て、尚且つ給料もいいはずだろうという認知がマスコミ関係のエントリーシートを書かせていた。片っ端から書いては送りつけていった結果、中京テレビ放送の最終面接まであっという間にいってしまった。
今、思えば就職というのは25日に給料が与えられるという安堵と約束を含んでくれるものだった。
おそらく将来がどうなるか?どうスキルアップするか?よりも25日の確約が欲しかったのかな‥とも思う。

そこから転げ落ちていく感覚も忘れられない。
転げ落ちた際にかろうじてもらえた不労所得のボーナスは東京への出戻りの引越しや、アパートの違約金などであっという間に消えた。
しばらく自作のDVDを売って糊口を凌いでいたこともあった。

こうした25日への約束がなくなったことは自分が自力で25日のような日を作っていかなくてはならないことに他ならない。
今、こうして感じる不安もまた10年以上味わっていなかった。

日々、不安に対する解像度が上がる。
25日に振り込みがなかったら、いつ振り込みなのよ。
そんなことを日々過らせてはなんだかんだと忙しいのである。

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