ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略
ヴェネツィア、バルセロナ、ベルリン、アムステルダム、サントリーニ島(ギリシャ)、京都、由布院、倶知安(ニセコ)――
市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズムの状況下にあった国内外の著名観光地8都市を取材。地域の不満や分断を招く“場所の消費”を助長せず、むしろ居住環境の改善に資するような観光戦略のあるべき姿を探った一冊です。
編著者は、龍谷大学の阿部大輔さん。各事例の執筆者は、立教大学の西川亮さん、三菱UFJリサーチ&コンサルティングの沼田壮人さん、静岡文化芸術大学の石本東生さん、九州大学の江口久美さん、東京都立大学の岡村祐さん、日本交通公社の後藤健太郎さんです。地域政策・観光政策を研究されている素晴らしい専門家の方々に執筆いただけました。
企画構想のスタートは遡ること3年前の夏、観光客の殺到が特に歴史的な町並みの維持に悪影響をもたらす状況を指した「観光公害」という言葉が、ややセンセーショナルにテレビや新書等で用いられはじめたころでした。そうした、観光への敵視や域内外の対立を煽る視点ではなく、むしろ観光と地域生活との調和的なありようを模索する手掛かりになる事例集はつくれないか――そんな思いで阿部先生にご相談を持ち掛けました。
単著から共著への方向転換、収録事例の検討、海外取材と少しずつ進み、原稿も揃い始めたなか、突如として勃発したのが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでした。本企画の出版は一旦ペンディングを迫られ、練り直しの方針について阿部先生らと議論を重ねることに。そして、オーバーツーリズムのさなかに展開された様々な行政施策や住民運動の軌跡は、コロナ禍によるオーバーツーリズム収束後の世界における観光政策の方向性、とくに人々の暮らしが息づく「界隈」との共存を検討するうえで、実は非常に示唆的なものになっている、という点で一致。各事例に加え、俯瞰的に解説する章の原稿は、大打撃を受けた各地の観光都市の最新動向も踏まえてギリギリまでアップデートを重ねていただき、完成に至りました。
緊急事態宣言が解除され、GoToトラベル事業がスタートして以来、私が暮らしている京都も、コロナ禍以前よりかえって観光客が増え、すでについ数か月前まで目にしていたかつての光景が再現されつつあります。単なる余暇活動としてだけでなく、人生に必要な営みとしての旅の大切さを痛感するいま、一歩踏み込んだ目線でその価値や影響を考える手掛かりとして、ぜひ手に取ってみてください。
ところで本づくりにおいては、著者の力強い原稿に感動することが編集者の醍醐味の一つですが、本書のプロローグ・エピローグにおける阿部先生の言葉を読んだ時のそれはひとしおでした。いずれも締めくくりの部分なので本来はすべて通読した先で目に触れるべきものですが、本書のメッセージが詰まった一節としてここに引用します。
“わが国のパンデミック発生後の政策対応を見るにつけ、観光への期待が経済的観点に偏重している感を強くする。観光は経済活動であると同時に、わたしたちの日々の生活にゆとりをもたらし、多様な社会や文化の存在を再確認し、ひいては自らの出身地の魅力なり課題なりに思いを馳せ、人生そのものを豊かにしてくれる営為である。パンデミックがわたしたちの日常生活に大きな変化を迫り、身近な環境に対する発見を促したり、異文化に触れる海外旅行体験の貴重さを改めて知らしめてくれたりした。人間の根源的な活動としての観光のありようを改めて丁寧な眼差しから捉え直し、地域を豊かにする観光がいかに可能か、政策的な知見を集約していくことが急務である。”
――「まえがき」より
“わたしたちは、旅することなしに生きていくことはできない。旅をすることは、旅先の共同体の多様な資源をそこの居住者とシェアする営為でもあるが、オーバーツーリズム時代にはそれがシェアではなく、一方的な消費にとどまっていた。限られた資源を分かち合うことは、観光に限らず今後の社会が基本的視座に据えるべき概念だ。人生に不可欠な余暇活動である観光のまなざしから、ともに生きる知恵を絞ることは、図らずもわたしたちの人生の育み方を充実させていくことにもつながっていくことだろう。”
――「あとがき」より
内容紹介
市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズム。不満や分断を招く“場所の消費”ではなく、地域社会の居住環境改善につながる持続的なツーリズムを導く方策について、欧州・国内計8都市の状況と住民の動き、政策的対応をルポ的に紹介し、アフターコロナにおける観光政策の可能性を示す。
著者紹介
●編著者
阿部大輔(あべ・だいすけ)
(まえがき、第1・3・4・5・8・11章、あとがき 担当)
龍谷大学政策学部教授。博士(工学)。1975年ホノルル生まれ。早稲田大学理工学部土木工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程・博士課程修了。カタルーニャ工科大学バルセロナ建築高等院博士課程DEA取得。政策研究大学院大学、東京大学都市持続再生研究センターを経て、現職。バルセロナ自治大学客員研究員(2018~ 19年)。著書に『バルセロナ旧市街の再生戦略』(2009年、学芸出版社)、共編著に『アーバンデザイン講座』(2018年、彰国社)、『小さな空間から都市をプランニングする』(2019年、学芸出版社)など。
●著者(執筆順)
西川亮(にしかわ・りょう)
(第2・10章 担当)
立教大学観光学部助教。博士(工学)。1985年東京都生まれ。2008年東京大学工学部都市工学科卒業、2010年同大学院修士課程修了。(公財)日本交通公社研究員を経て、2018年同大学院博士課程修了後、現職。専門分野は観光政策・計画史。著書(共著)に『観光地経営の視点と実践』(2013年、丸善出版)、『観光学全集第8巻』(2019年、原書房)など。
沼田壮人(ぬまた・そうと)
(第6章 担当)
三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社政策研究事業本部主任研究員。博士(地球環境学 京都大学)。1977年大阪府生まれ。2003年京都大学大学院経済学研究科博士前期課程修了。専門分野は自治体計画、地域政策。著書に『いま、都市をつくる仕事』(2011年、学芸出版社(共著))など。
石本東生(いしもと・とうせい)
(第7章 担当)
静岡文化芸術大学文化・芸術研究センター教授。博士(Doctor of Philosophy)。1961年長崎県生まれ。ギリシャ国立アテネ大学大学院歴史考古学研究科博士後期課程修了。ギリシャ観光省ギリシャ政府観光局日本・韓国支局、奈良県立大学地域創造学部、追手門学院大学地域創造学部を経て、2018年4月より現職。専門分野は国際観光政策、EUの観光政策、初期ビザンティン史。著書(監修)に『世界遺産検定公式テキストブック第2巻・第3巻』(2008年、世界遺産アカデミー)、『すべてがわかる世界遺産大事典(下)』(2020年、世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局刊)など。
江口久美(えぐち・くみ)
(第7章 担当)
九州大学持続可能な社会のための決断科学センター(助教)。博士(工学)。東京都生まれ。東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻博士課程修了後、フランス国立科学研究センターフランス政府給費研修生などを経て現職。専門分野は都市工学。著書に『パリの歴史的建造物保全』(単著)(2015年、中央公論美術出版)、『Vocabulaire de la spatialité japonaise(日本の生活空間)』(共著)(2014年、CNRS)など。
岡村祐(おかむら・ゆう)
(第7章 担当)
東京都立大学都市環境学部観光科学科准教授。博士(工学)。1978年生まれ。東京大学大学院博士課程修了後、首都大学東京特任助教・助教を経て、2016年4月より現職。この間、2013年にウェストミンスター大学(英国ロンドン)に客員研究員として在籍。専門分野は都市計画、観光まちづくり。共著書に『観光まちづくり』(2009年、学芸出版社)、『まちをひらく技術』(2017年、学芸出版社)ほか。
後藤健太郎(ごとう・けんたろう)
(第9章 担当)
公益財団法人日本交通公社観光地域研究部主任研究員。1981年岐阜県生まれ。2005年京都大学工学部建築学科卒業。2008年東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修了。同年、財団法人日本交通公社入社、現在に至る。専門分野は観光まちづくり、観光政策・観光計画。共著書に『観光地経営の視点と実践』(2013年、丸善出版)、『観光学全集 第7巻 観光計画―理論と実践』(2018年、原書房)、『観光学全集 第8巻―事例に学ぶ』(2019年、原書房)、『観光文化 240号 特集 観光客急増で問われる地域の“意思”』(2019年、(公財)日本交通公社編)。
目次
第1章 オーバーツーリズムとは何だったのか
1. パンデミックに揺れる観光
2. 巨大産業化しつつあった観光産業
3. 現代的都市問題としてのオーバーツーリズム
4. オーバーツーリズムの遠因
5. オーバーツーリズムの近因
6. オーバーツーリズムが地域にもたらす弊害の現代的側面
7. 都市社会運動の展開
第2章 日本の観光政策の現段階
1. 近代以降のわが国の地域と観光の関係史
2. 平成の観光史
3. 新型コロナウイルス感染症流行後の観光政策
4. 歴史から見る現代の観光政策とオーバーツーリズム現象
第3章 ヴェネツィア──テーマパーク化からの脱却を目指す古典的観光都市
1. 観光都市ヴェネツィアの輪郭
2. 「ディズニーランド化する」ヴェネツィア
3. 観光に抗議する住民運動の展開
4. 過熱する観光の抑制を目指す政策的対応
5. 観光のプライオリティを下げることのできないジレンマ
第4章 バルセロナ──都市計画を通した観光活動適正化の試み
1. 豊富な観光資源で観光客を魅了し続ける都市
2. 観光都市としての急成長:背景と政策の経緯
3. オーバーツーリズムの状況
4. 「都市への権利」を問う自律的市民運動
5. 界隈の居住環境保全を図る観光戦略
6. 観光の包摂的発展に果敢に挑む
第5章 ベルリン── DMOを軸に観光の質を追求する
1. ‘Capital of Cool’─刺激的な文化発信の拠点
2. ベルリンの観光のトレンド
3. オーバーツーリズムの状況
4. 市民からの反応
5. 市行政による政策的対応
6. 質の高い観光の成長を前提とした穏健な政策モデル
第6章 アムステルダム──住民生活の優先を明確化した網羅的な政策対応
1. アムステルダムのオーバーツーリズム前夜
2. アムステルダムにおけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの問題提起
4. オーバーツーリズムに対する政策的対応
5. City in Balanceの評価と課題
第7章 サントリーニ島──歴史的町並み保全制度の奏効と観光インフラ整備の推進
1. サントリーニ島の盛衰と観光発展の背景
2. サントリーニにおけるオーバーツーリズム
3. オーバーツーリズムと地域住民
4. 新行政によるオーバーツーリズムの緩和・回避対策
5. 歴史と伝統の上に描く観光地デザイン
第8章 京都──オーバーホテル問題に直面する世界的観光都市の岐路
1. 日本を代表する伝統的観光都市
2. 京都市におけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの異議表明と共存を探る試み
4. さらなる成長を促す政策的対応
5. 多用される「地域との調和」とは何か?
第9章 由布院──生活型観光地が模索する暮らしと観光の距離感
1. 定住人口と1日当たりの交流人口がほぼ同じ町
2. 生活と観光の均衡変化と想定外の環境変化
3. 観光計画に基づく地域間の戦略的互恵関係の構築と官民協働体制の再構築
4. 環境変化への対応と地域の意思の明示
5. 交流を通じた持続可能な地域づくり
第10章 倶知安── 外国化した地域の主権を取り戻す地域住民の模索と努力
1. 国際的なスキーのまち
2. ニセコひらふ地区が国際観光地に至るまで
3. 過度な観光開発がもたらした地域の変化と取り組み
4. 外国人による土地・建物所有や事業がもたらした地域の変化と取り組み
5. 中心市街地への影響波及
6. 倶知安町一体となった観光マネジメント
第11章 オーバーツーリズムから包摂的な観光へ
1. オーバーツーリズムの教訓
2. 先行報告におけるオーバーツーリズム改善の方向性
3. COVID-19は観光にどのような影響を及ぼしているか
4. オーバーツーリズムからパンデミックへ
5. 界隈を再生する観光戦略
6. 観光の脱成長へ
紙面見本
書誌情報
体 裁 A5・240頁・定価 本体2500円+税
ISBN 978-4-7615-2760-0
発行日 2020/12/25
装 丁 中川未子(よろずでざいん)
企画・編集 松本優真
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