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本に価値はあるの? ネットにとってかわられるの? 生産性と不便益から考える本の価値。

みなさんは、なにを求めて本を読みますか? それは本でないといけない理由はありますか?

頭の整理もかねて、本を読む価値というのを考えてみた。
これから考えていく本を読む価値については、書籍編集が長い方はご存じなのかもしれないし、主にビジネス書や実用系の書籍に限る話かもしれない。
ただ今回ぼくは、本を読む価値というものを、「生産性」という概念と、最近読んだ『ごめんなさい、もしあなたがちょっとでも行き詰まりを感じているなら、不便をとりいれてみてはどうですか? 〜不便益という発想』から考えてみた。

■本の価値って何だろうか?
本を読むことは、楽しい。学びもある。自分と向き合える。いろんな人生と、世界と出会える。紙をめくる感覚も、においも、ひらいたときのワクワクも好き。
だけど、不安になる。毎日、インターネット上のあらゆるところで、ノウハウや知見のコンテンツがつくられ、物語も発表され、SNSでシェアされているのをみると、ふと、「あれ、本はこれから必要とされないのではないか」と思ってしまうのだ。
本を買わずともいろんな経営者のアイデアや、仕事術を知ることができるのではないか。
たくさんの物語と出会うことができるのではないか。
本を読まずとも、いろんな分野の知見を得られるのではないか。

そうすると、なんで、本でないといけないのか、本を読むといいのだろう。そもそも、本にある価値はなんなのだろう。そもそも読者は何を求めて本を買うのだろうか、と考えてしまう。
懐古主義的でなく、「なんとなく」でなく、自分自身が本の価値をもっと理解して、その価値を高めることや、その価値を伝えることをしていかないといけないのではないか。

■ちきりんさんのイベントに参加してきた
そんな疑問を持っていたときに見つけたのが、先日参加した、ちきりんさんのイベントだった。

「読み手」「書き手」「作り手」の立場から「本の未来」を考えよう!
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20170330

「読み手」「作り手」「書き手」が「本」に期待する成果はなにか、その成果をもっとも高い生産性で手に入れられる方法はなにかを考えていくことで、「本」の生産性について考えていく。高生産性シフトが起きたとき、本はどうなっていくのかを考えるものだ。
本に生産性はないだろう、これから先「何か」に置き換わっていくだろうと考えていたから、イベントでの新しい視点のいくつもの質問に、頭の中をぐらぐら揺らされた。刺激的な数時間だった。(詳細は、上記ブログ記事をご覧ください。)
このイベントを通して、「作り手」「書き手」の生産性が高いことは、とてもよく理解できた。本をつくる過程は、求める成果に対して、他のものに置き換わらない価値があることが見いだせた。
ただ、最後まで個人的にずっとモヤモヤ消化しきれなかったのが、「読み手」の視点での「生産性」だった。
上記ブログにもあがっている「読み手の求める成果」を達成するためには、ほかの手段がたくさんあるのではないか、そうすると、生産側はたくさんいるけれど、読み手が少なくなる状況となり、市場として小さくなっていくのではないか。そんな疑問が消えず、それからもずっと、ずーっと考えていた。

■「不便益」という考え方
そこで出会ったのが、『ごめんなさい~』という不便益の本だった。
これは、「不便だけど効用がある」ということを工学やシステムの観点から研究している京都大学の教授が一般向けに書かれているものだ。時短、効率化、自動化などなど、便利さを追い求める社会で、便利=豊かさなのかという疑問から、「不便であるからこそ得られる益」=「不便益」を研究しているというおもしろいアイデアの本だ。
京大限定商品の「素数ものさし」もこの研究室がかかわった商品。(素数の目盛しかなく、ある長さを測るには計算が必要になる=計算力があがる、数字に関心を持つなどの効用がある、とのこと)
http://fuben-eki.jp/

本書に詳しく書かれているが、例えば、「秘湯」という簡単にアクセスできないということが、かえって観光的価値を生み出していたり、あえて段差や坂などの障害を残した高齢者施設が認知症防止、事故率の低下につながったり…などなど、こういった「不便だからこそ益がある」ということを集めて、整理して、システムとして研究している。
この本では、便利とはどういうことか、不便とはどういうことか、便利になると変わることは何か、不便だからこそ得られるものとは何かということを、整理し、まとめていき、「不便益」という概念を考えいく。とても優しく書かれているが、ワクワクさせる刺激的な一冊だった。

■不便≒労力をかけることは、なにを生み出すのか。
不便なこと、労力をかけることは、なにを生み出すのか、著者は、むかし少年誌の裏に載っていたような、”睡眠学習機”を例に挙げながら、以下のようなことを述べている。
"学習とはすべて、「自分の時間や手間をかけて、自分が変わることにリアリティーを与える作業」です。努力をせずに自分が変わる。そして、自分を変えた主体が自分ではない。そのような状態を、本当に人は喜ぶのでしょうか?"
また別のところでは、
“手間をかけ頭を使わされるという不便は、自分を変えてくれる、ということなのです。”
という。
そうか、自分の身体を使って、労力をかけることが、主体性をつくっていくのか、と発見した瞬間だった。

また、不便ではないと得られないものとして、以下のようにまとめています。

①おっ、と気づいて
②ふらっとやれる
③触って、使って、わかる

①は、気づきや出会いを拡大させる。紙の辞書で他の単語に気がつくなどが例として挙げられている。また、②は、能動的工夫の余地が大きいということだ。③は対象系の理解できるということ。車のキーをボタンで締めるのと、実際にキーを指して回すのでは、対象の理解が異なることを例にしている。
そして、これら不便でないと得られないものは、主観的な益として、動機づけ、安心感、俺だけ感、自己肯定感、(嬉しい)を与えると述べられている。

■本を読むという「労力」が与える益
この不便益の考え方を本に当てはめてみる。本の不便さは何をもたらすのか。ネット記事よりもサクッと読めず、読むのに時間も労力もかかる。
だけど、本の、まとまった一定の長さの文章を読むということは、
・読者に一定の時間と労力をかけさせ、学びのリアリティを与える。
・答えにいたるまでに連続した話があることで、フラッと異なる気づきを得て、目的とことなるものも得られる。
・結果的に、「考えることの主体性」、「問題への当事者性」、「人生への主体性」を生み出している。
・紙の本であれば、対象を読み終わるという過程があるので、達成感につながり、「自己肯定感」になる。

と言えるのではないだろうか。
なんだか、感覚的な「本っていいよ」に言葉を与えられた気持だった。本は主体性を獲得できるものなのかもしれない。

■本に必要なこと
逆に言えば、本に必要なことは、なにか。
不便益の本では、不便益(益をもたらす不便)の性質を6つにまとめている。

①アイデンティティを与える
②キレイに汚れる
③回り道、成長が許される
④リアリティと安心感
⑤価値、ありがたみ、意味
⑥タンジブルである

この中で、②と④と⑥は、物体としての「本」に備わっているものだ。物体としての本は電子書籍よりもネットコンテンツよりも、不便な性質を持つ。しかし、読んだことを身体で理解できる。
コンテンツとして必要なのは、①と③だろうか。

①は、秘湯や船に乗らないといけない温泉宿のように、「不便」ということがそれ自体にアイデンティティをあたえるということ。
コンテンツで言えば、
・目的にいたるまでに、一定の長さがあり、連続した過程(ストーリーや論理)があること。
・自分で読み進めないとわからない、議論を追わないと理解できない。
・自分の頭で思考させること
ということが挙げられるのではないか。

③は、より道をすることができる、ということ。
本の中の議論や文章が、自分の頭で一般化できることや、ほかの考えを進める余地をつくることにあると考えられるのではないか。

不便益の考え方から、本の価値が、なんとなく見えてきた。本の価値を高めるには、不便益的な発想も必要なのかもしれないと思えてきた。

■生産性 vs. 不便益
ちきりんさんは、生産性を、求める成果/希少資源(時間や労力)と述べている。
その観点からみてみても、本を読むことの価値は不便益で説明できそうだ。
読書体験というのは、自分の自由な時間で効果的に、学びと主体性を得る。
自分の自由な時間で効果的に、学びと主体性を得ることを目的としたときに、他に良い手段はあるのか。
セミナー? ネットの記事? ネットの動画講義? それらと比べても、物理的にもコンテンツとしても本の生産性は高いと言えるのではないだろうか。
つまり、何かに生産性の観点からも、何かに代替できない価値があると言えそうだ。

■まとめ
本を読む価値は、学びのリアリティを得ること、そして「主体性」を得ることにあると考えられた。
結論は当たり前のことかもしれない。
ただ、「本はいいよね」の「いい」意味を言語化できたことは個人的にすっきりしている。

みなさんは、なにを求めて本を読みますか? それは本でないといけない理由はありますか?

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