見出し画像

白玉の美しいお団子は、わたしにはまだ作れない

家の食糧BOXに、白玉粉を発見した。
だいぶ前に思い立って買ったようで、
半分使ってそのままになっていた。

そろそろ使い切らないと。
食べるモノもないし、今作ってしまおうか。

めずらしくやる気を出して、
袋の裏面に書いてあるとおりに材料を集め始めた。

まずは、お団子を作るところから。
「本品にぬるま湯を少しずつ加えて‥」
と書いてある。

「少しずつ」ぬるま湯を入れた。

しかしなぜだろう。
「耳たぶ程度の柔らかさ」になるはずのソレは、めちゃくちゃ伸びている。
トロトロだ。

おかしい。

「少しずつ」の受け取り方は、
人それぞれなのだと思った。

うーん、、

白玉粉はもう残ってない。
このままではさすがに茹でられない。
仕方ないので、家の中にある粉で
水分吸ってくれそうなモノたちを探した。

片栗粉と麹の粉があったので、
それらを混ぜ合わせることにした。

みんなの力で、
なんとか「耳たぶ程度の柔らかさ」に
辿り着くことができた。
ひとまず安心。

シンプルなものほど難しいらしい。
慎重さが大切だと胸に刻んだ。


沸騰したお湯に、成形したお団子を投入。
無事に形を維持していてほしい。

ぷくぷくと湧き立つ泡に、
お団子たちが泳がされている。
それを静かに見守った。

そしてなんとか形を保ったまま、
お団子たち全員がお湯から浮き上がることができた。

ほぉ、よかった。

そして珈琲を入れて、食卓についた。


みたらし団子が出来上がった。

出来上がったソレは、ボコボコしている。
ニョッキみたいな様相だ。
しかも柔らかすぎて形を保つのがやっと状態だった。(写真を撮るのは控えることにした。)


でも味は思った以上に
美味しいみたらし団子になった。
味がいいので、よしとしよう。

それにしてもお団子作るのって、
こんなに難しかったのかなぁ。

昔、お盆になると祖母が
白玉団子をこしらえていた。

お墓に供えるためと、お仏壇と、仏様と。
そして、わたしたち兄弟が食べる用と。
その量は尋常じゃない。

お供え用のお団子たちは、
白いお粉でおめかしして、
写真のように美しい形で、積み上がっていた。


(https://taishido-b.jp/note/)より
お写真お借りしました

そして祖母の優しいところは、
孫たちが食べる用もちゃんと用意してくれるところ。

しかも、成形から自由なのだ。

わたしたち兄弟は、
動物やハートの形を作ったりして楽しんだ。
そういえばこの時も丸い形を作ったが、
今日みたいにいびつだった気がする。
丸は一番難しいのかな。

わいわい作っているとなりで、
祖母はせっせとお団子をこしらえていた。
その手際の良さといったら。

丸くて小さくて、ころころした形のモノが、
どんどん出来上がっていった。

見ていると簡単にできそうだが。
やはりシンプルなことは
ちょっとした技と経験が必要なのだろう。

白玉の美しいお団子は、
わたしにはまだ作れない。


その団子職人のような祖母は、
もうすっかり認知症が進んでしまった。

80歳近くなってもキレイに髪を染めて、
身だしなみを整えていた。
けれどここ数年で認知症が進んでからは、
髪を染めることを止めたようだ。

初めて見た時は、結構衝撃だったな。
「おばあちゃん」というよりは、
「おばあさん」という雰囲気だった。

今や「あんた誰やったかいなー?」と
聞かれることは定番だ。

「侑子だよ」と答えると、
「あぁ、侑ちゃんかぁ。えらいべっぴんさんになったなぁ。」と言う。
これを毎回繰り返している。

悲しいけれど、
今の祖母の世界には、わたしはいない。

でもちゃんとわたしが覚えているから、
それでいい。
今は、会いに行かなきゃ、とか
思ったりはしていない。

もともと元気なときから
会っていた回数も少なかったから、
忘れられていても仕方がないと思う。

祖母とあんな思い出あったなぁ。
祖母の家であんなことして遊んだなぁ。
こんなことで怒られてたなぁ。

そうやって想いを馳せることがいくつかある。
それだけで十分だと、
今ある思い出を噛み締めた。

今日も暑いとか、しんどいとか、
文句言いながらも、
元気でいてくれたらいいな。

お皿を見ると、さっきのみたらし団子は
きれいに完食していた。

はぁ、美味しかった。
ごちそうさまでした。

この記事が参加している募集

おじいちゃんおばあちゃんへ

つくってみた

夏の思い出

いつも楽しく読んでくださり、ありがとうございます! 書籍の購入や山道具の新調に使わせていただきます。