三谷悠月

17歳から精神科通院開始 2020年に1ヶ月間精神科開放病棟に入院 2021年7月に5…

三谷悠月

17歳から精神科通院開始 2020年に1ヶ月間精神科開放病棟に入院 2021年7月に5年8ヶ月一般企業障害者枠で働いた会社を退職し、今は人生冒険中。 カメラとファッションが好きな1992年生まれの女子 いつかは一般企業障害者枠で働くことです

最近の記事

第12話:障害者雇用で働いていた仕事辞めました。

私は私なりに頑張っていた。 けれども、信頼の壁が崩れてしまった。 寝れない。 睡眠薬飲んでも寝れない。 限界を感じた私は辞めたい。しかよぎらず 5年8ヶ月働いた会社を退職した。 しばらく、休もう。 精神的に来ていた私はただただ休むことにした。 失業保険と、障害年金で生活成り立つかな… 不安はあったけど、そうやって生きるしかなかった。 同棲していたAは私が仕事辞めて危機感を持ったのか ハローワークに行き、共同作業所に通い出すことに。 しかし、Aは自分の障害年金も作業

    • 第11話:最近のおはなし。

      過去の話だけでなく、たまには最近のおはなしでも◎ カメラとファッションがお好きな私ですが、先日から撮影のことで嫌なことがありまして。 あんまり深く言っちゃうと、同じ土俵に立つことになるので、言いませんが…。 なんていうか、ああいう人が居るから、『障害者はこれだから嫌』って思われるんですよね。 Twitterにもボロくそ書かれてメンタルやられてました。 ブロックしても無駄だよ。複数垢持ってるから⟵ ってか、相手も障害を持ってるんですけどね。 Twitter…垢変えたいなぁ

      • 第10話:男性=怖い の土台のきっかけ。

        職場復帰する直前くらいに、私は配信アプリを始めた。 顔出ししないで、声だけで配信出来る。 何回かしていたら、同じ市に住む男性(以下A)がコメントしにきて、Twitterでやり取りして、コメントしにきた日の夜にLINEで告白されて、いきなり、家に来たのだ。 正直、私は仕事の復帰時期と重なり、不安しか無かった。 その夜は泊まると言い出し、いつ帰るのかな?と思ったら荷物まで持ちこみ、同棲がスタートしてしまった。 Aは私と同じ精神疾患を持っていて、当時は働いてなかった。 障害

        • 第9話:職場復帰までの3ヶ月間

          退院後、すぐに職場復帰とはいかなかったので、病院に併設されているデイケアサービスを利用することになった。 バスで送迎場所まで時間まで行き、送迎バスに乗ってデイケアサービスのところに行った。 プログラムが決まっていたが、参加は自由だった。 私はデイケア利用にあたり、決めていたことがあった。 それは、“友達を作らない”こと。 入院のときに、人間関係などで疲れてしまっていたので、正直、もうコリゴリだった。 だから、話しかけられたら、話す。程度の関係でいいや。と思っていた。

        第12話:障害者雇用で働いていた仕事辞めました。

          第8話:精神科へ入院しました。

          周りの友達から、「主治医に入院の話、したほうがいい」と言われたので、主治医に相談すると、入院することになってしまった。 私自身、自覚が無かったので、『周りから見たら、入院レベルなのか…』と思ってしまったが、少しでも良くなれば。という気持ちで入院することにした。 私は開放病棟だったが、看護師に反抗的な態度取っただけで閉鎖病棟に連れていかれたり、男性の入院患者さんからのちょっとしたストーカーみたいな行為をされたので、前述とは別の看護師に言ったところ、「○○さん(私)も悪いとこ

          第8話:精神科へ入院しました。

          第7話:好きって何??

          前述で出てきた県外の友達から、男性を紹介された。 どういう流れかは覚えてないけど、付き合うことになった。 勿論、私が精神疾患を持ってるのは伝えていた。 県外に住んでいた男性だったので、『電車代かかるから。』って言われて(というか丸め込まれて)私がデートに必要なお金を全て出していた。 (このときから、男性に対する金銭感覚が麻痺していたのだろう。) 恋人になる。私たちは大人。となれば、やることはやってた。 ただ、相手にどれだけ避妊を求めても、してくれなかった。 まぁ、私は

          第7話:好きって何??

          第6話:精神障害者の一人暮らし。

          1番、何が大変だったかというと、物件探し。 いい物件があっても、身分証明が障害者手帳しかなかったので、審査が通りにくいと不動産会社さんに言われてしまった。 けど、担当のお姉さんは諦めず、今の住んでるところを探してくれた。 引越し当日。 バタバタしたけど、なんとか今の住んでるところに荷物搬入完了。 同じ市内でも全く知らないところだったので、慣れるまでが冒険のようだった。 毎日、好きなものを食べることが出来る。 毎日、好きな時間にしたいことが出来る。 それだけで幸せだっ

          第6話:精神障害者の一人暮らし。

          第5話:責任よりも自由を得た。

          家庭の事情で、父の実家を建て直して、そこに両親と私だけで住むことになった。 とは言っても、週末には姉と姪っ子が新しい家に来る。 母は私が仕事が終わって、いつも、同じ電車に乗って帰るのに、毎回毎回『○○時の電車に乗って帰ります。』と連絡を要求するし、お風呂から上がってひとりになりたくても『2階(私の部屋)に行ったらダメ』 会社の人にご飯誘われたので行ったら『何時に帰ってくる?』としつこい連絡。 私も、もう20歳後半に入る頃。そっとして欲しかった。 父からは『免許取れ』『いつ

          第5話:責任よりも自由を得た。

          第4話:姪っ子と共に成長した自分。

          私が契約社員として働き出したのは11月中旬。姉の子ども(姪っ子)が産まれたのは、私が働き出してから、約10日後。 あまり、触れたくないので、詳しくは書かないが、姪っ子は私の父、母、姉、私と暮らすことになった。 父は仕事、母は姉に料理など家事を教えていた。 私は自分からやると言った覚えはないが、成り行きで姪っ子の遊び相手になっていた。 仕事から帰ってきて、自分で仕事のノートを書いて、赤ん坊ながら姪っ子と遊んで…いつの間にか姪っ子が私の心の支えになっていた。 仕事は障害者

          第4話:姪っ子と共に成長した自分。

          まーた、noteおサボり(´;ω;`)頑張って更新しなきゃなー……

          まーた、noteおサボり(´;ω;`)頑張って更新しなきゃなー……

          第3話:私、働きます!

          当時の主治医は、快方してきた私に働くことを勧めてきた。 あまりにもしつこく感じた私は、いつか言ってやろう!と思っていた。 それは年明け初めての、診察日でした。 『働きたいんですけど、皆と同じようには働けないんです!』 主治医に思い切ってぶつけてみた。 いつも、診察を同席してくれてる母も、この発言にはかなりびっくりしたみたいだった。 ケースワーカーさんを呼んでくれて、障害者手帳を取って、障害者雇用で働こう!となった。 まずは、障害を持ってる人が働くための準備支援に3ヶ月間

          第3話:私、働きます!

          noteサボってた_(┐「ε:)_ 変な時間に起きたし、書きたかったのに、タブレット電源切れてた…(´;ω;`)

          noteサボってた_(┐「ε:)_ 変な時間に起きたし、書きたかったのに、タブレット電源切れてた…(´;ω;`)

          第2話:私は障害者だけど。

          障害者だけど、障害者だから出来ない。とは言いたくない。 noteのプロフィールにも書いてあるとおり、私は17歳のときから、精神科に通院してる。 何が引き金で精神科に通院し始めたかはあまり思い出せないが、きっと下手くそながらスポーツの部活に入り、少し仲間外れを感じ始め、クラスでも独りになってしまった。でも、負けたくなかったからか、勉強はしっかり真面目にして、自分で言うのもアレだが、成績は良かった。 だけど、そんな私を褒めてくれず、出来て無いところを見つけ指摘する家族。逆に

          第2話:私は障害者だけど。

          第1話:始まりはいつもここから。

          書いては記事削除、を繰り返している。 きっとその先の道が無かったんだろうな。 今は、道は長く長く続いてる。 だから、今、またnoteを書いてるんだろうな。 改めて、noteのプロフィールにある自己紹介を読み返してみた。 そうか、入院したのは2020年だったんだ。 障害者雇用で働いてた会社を退社したのも、2021年だったんだ。 もうそんなに経つのか。 時が経つのは早いな。と改めて実感している。 心機一転、名前も変えた。 プロフィール画像も変えた。 変えた。というよりも、

          第1話:始まりはいつもここから。