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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第11話「晴れた日」約5000字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門




 降り続いた雨が嘘のようにからっと晴れた日だった。今日はかなり温かくなるらしい。私は買ったばかりの半袖の服を着た。

 鏡の中の顔を見る。うん、たぶん、大丈夫。

 大学へ行って、講義を受ける。半日の講義が終わると、私は急いで地下鉄に乗り、大通駅へ向かった。

 地下鉄を降り、階段を上る。足にうまく力が入らない気がした。地上へ出ると、青空には雲一つなかった。私はそのまま空まで飛んでいってしまいそうな感覚を覚えた。

 今日はお店の前ではなく、大通公園の端、テレビ塔の下で待ち合わせようと言われていた。私が着くと、彼がすでにそこで待っていた。

「すいません、お待たせしちゃって」

「ううん、時間ぴったりだよ。大丈夫」

 彼が私の顔を見る。

「今日は、コンタクト?」

 私は今日、あの歪んだ眼鏡を掛けていない。修理する代わりにコンタクトレンズを買ったのだ。

「あ、はい……」

「いいね」

 彼が笑うと、私達の間を風が吹き抜けた。私は思わず顔を伏せる。春の終わりの温かな風だった。

「えっと」

 私は顔を起こし、鞄を見せる。

「それだけじゃないんです。これ、見て下さい」

「お。何これ。かわいい」

 鞄自体はいつもと同じだったが、今日はそれにストラップを一つ付けて来ていた。オレンジ色でまん丸のマスコットキャラクターのストラップだ。

「これは……いくらの妖精、『いくららちゃん』です」

 私がにかっと笑顔を作ってみせると、彼もつられて笑った。

「もしかして、福島さんが好きなお話に出てくる子?」

「そうなんです。あの、森さんっていう、私が憧れてる女の子が付けてるのと同じものです。今日は思い切って私も付けてみました」

「いいね」

「ありがとうございます」

 たっぷり彼に見せ付けてから、私は鞄を戻した。

「じゃあ、早速行こっか」

「あ、あの」

 歩き出そうとした彼の横顔に、更に私は話し掛けた。

「ん?」

「今日は、お店じゃないから、その、『マスター』って呼ばなくてもいいですよね……?」

「あぁ。そうだね」

「じゃあ、私、今日は、『大和さん』って、呼びます……」

 彼はそれを聞いてきょとんとした。

「あの……やっぱり……」

 彼はまばたきを繰り返した後、笑顔に戻り、私に一歩近付いた。

「わかった。じゃあ僕は菜々恵さんって呼びますね」

 大和さんは、少し照れながら私にそう言った。







 平日の昼間だというのに街は人が多かった。お祭りは先週だったはずなのに、と私が不思議に思っていると、今日からまた別のお祭りがあるのだと大和さんが教えてくれた。先週行われていたようなイベントとは違い、今度は北海道神宮が行う、昔ながらのお祭りだそうだ。

 じゃあまたお店が混みそうですね、と私が話し掛けたが、大和さんは無言のまま笑うだけだった。その表情はどこか寂しそうだった。私も、もう手伝うことはできないのかと考えると、胸がきゅっと苦しくなった。

 まずは昼食をとる予定だった。食べるのは今回もスープカレー。大和さんがまたおすすめのお店を紹介してくれることになっていた。

 狸小路商店街を通り過ぎて更に南へ進み路地へ入ると、一階部分がスープカレー屋になっているビルがあった。

「この辺りは来たことがありましたけど、スープカレー屋があるなんて知りませんでした」

 私が言うと、彼は笑った。

 フィッシュフライカレーというメニューがあったので私は悩んだ末にそれを注文した。大和さんはラム肉とハーブのカレーを頼んだ。ここは前に行ったお店とはまた違い一風変わったスープカレーなのだと聞かされていたが、運ばれてきた料理を一目見て驚いた。今まで食べたスープカレーはスープの色が濃い茶色だったが、このお店は薄暗い店内でもわかる程に明るい黄色のスープだった。しかし明るい色だからといってあっさりしている訳ではない。クリーミーで濃厚なスープだった。目を丸くしている私を見て、大和さんは嬉しそうにスープカレーを頬張った。

「そういえば、スープカレー屋さんって結構特徴的な名前のお店が多いですよね。ここのお店もそうですし。あとは、『がぶがぶ』とか、『虎カレー』とか」

 大和さんは大好きなスープカレーの話にうんうんと頷いた。

「大和さんは、どうしてお店の名前をKIBAにしたんですか?」

「うーん……さっき菜々恵さんが言ったような、他のスープカレー屋の特徴的な名前の雰囲気に憧れていたっていうのと……」

 大和さんは少し考えた後、こう答えた。

「力強い響きが好きだったから、かな」









 スープカレーを食べ終わった後はいよいよ私の趣味に関する場所へ向かう。

 再び狸小路商店街を通り過ぎ北へ戻ったところにその本屋はあった。

「僕も知らなかったな。近くの大きな書店には入ったことがあるけど、こんなところにも本屋さんがあったなんて」

 私達はくすくすと笑い合った。

 大和さんはビルの看板を興味深そうに眺めた。

「すごい。このビル、地下から四階までマンガのお店が入っているんですね」

「あ、二階以外はダメですよ」

「え、何でですか」

「いえ、何となく。さぁ行きましょう」

 私はそう言ってビルの中を覗いた。大和さんがにこりとして先に進んでくれたので、私はそれに続いた。

 階段で二階に上がると、そこに書店があった。

 大和さんが「ここですかー」と言いながら進んでいくが、私はその光景を目の前にして思わず足を止めた。

 そこは、見る人によっては、ただのこじんまりとした本屋だろう。

 それでも私にとっては、やはり憧れの場所だったのだ。

「わぁ……」

 私は辺りを見回しながら声を漏らした。

 大和さんはそんな私に気付き、近くまで戻ってきてくれた。

「来てよかったですね」

 大和さんはにこりと微笑んだ。

「それじゃあ、好きに買い物してきて下さい。僕は僕で見て回りますから」

 少し心細い気もしたが、私は何度も小さく頷き、大和さんと離れた。

 私はふわふわとする足でゆっくりとマンガコーナーを歩いた。歩いているだけで心が弾むようだった。気になっていたマンガを手に取ったところで、反対側から大和さんがやってきた。

「菜々恵さん、ちょっとこっち来て」

 そう言って私の腕をつかんでずんずん歩き出した。

 私は動揺しながらも小走りでそれについていった。グッズコーナーとCDコーナーを通り過ぎたところで、大和さんは振り返り「ほら」と言った。

 そこにはウィッグやカラーコンタクト、それからマンガのキャラクターの衣装などが並んでいた。

 「すごい」と私が呟くと、彼も「すごいね」と言った。私達は顔を見合わせて笑った。







 私は集めているマンガの新刊と、気になっていたマンガの一巻と、大好きなマンガのグッズを買った。初めてアルバイトをして給料をもらった記念であり、せっかくこのお店に来た記念だ。自分なりに奮発した。

 大和さんには流行っているマンガをいくつか紹介したが、最終的には一冊だけでもキリがいいライトノベルをおすすめした。大和さんは最後まで読めるかなと不安そうにしながらも、記念に、と言って会計を済ませた。

 その後、私達は近くのデパートまで移動した。エスカレーターで最上階まで上がると、とある少年マンガ雑誌のグッズストアがあった。

 少年マンガは大和さんが元々知っているものも多かったので、会話は一層盛り上がった。

「これ、さっき菜々恵さんが教えてくれたマンガですね」

「大和さん、このキャラの格好、似合いそうですね」

 彼が笑うと私も笑う。私が笑うと彼も笑う。

 表情筋を使い過ぎて顔が火照っているような、そんな感覚がした。

 楽しくて楽しくて、この時間が永遠に続けばいいと思った。






 元々予定していたのはそこまでだったが、大和さんは私に「まだ時間ありますか?」と聞いた。

 彼が言い終わる前に私は頷いた。

 行き先を決めていなかった私達は、とりあえず近くのゲームセンターへ行ってみることにした。

 二人とも下手くそだったが、いくつかのゲームを楽しんだ。そして店内を歩くうちに、クレーンゲームが立ち並ぶコーナーに辿り着いた。

 私はその一つに心を惹かれ、ガラス窓に顔を近付けて覗き込んだ。

「これ、欲しいんですか?」

 それは、私が大好きなマンガのキャラクターの、小さなストラップだった。私が鞄に付けているものと似ているが、こちらはオレンジのまん丸ではなく黒いまん丸だ。

 私はこくりと頷く。すると大和さんが財布を取り出そうとするので私は慌てた。

「クレーンゲームって、全然取れないんじゃないですか……?」

「一発では難しいかもしれないけどね。何回かやってれば……」

 結局、大和さんは三回でそのストラップを取り、私にくれた。私はそれをすぐにはしまわず、抱き締めるように持って歩いた。鞄に目をやると、オレンジ色のストラップが嬉しそうに揺れていた。








 少し早めの夜ご飯は、スープカレーではなく軽いものにしようということになり、私達は蕎麦を食べた。

 それを食べ終わると、「じゃあ、そろそろ帰ろうか」と大和さんは言った。






 地下鉄へ乗るため、私達は再び大通公園へ向かった。

 どうやら大和さんはまた、私を家まで送ってくれるらしい。

 きっと、地下鉄の中や道端ではじっくり話すことはできないだろう。

 私は、今しかない、と思った。

 今日しかない。今しかないんだ。

 大通公園へ着いたタイミングで、もう少しお話してもいいですか、と尋ねると、大和さんはにこやかにそれに応じた。

「すごい色だね」

 大和さんが空を見上げている。

 夏至が近いため日が長い。空はまだ明るかった。大通公園が続いていく西の方の空は、ブルーとオレンジが混ざったような幻想的な色をしていた。

「そうですね」

 一日浮遊感のあった足が、ここに来て尚更感覚がなくなってきていた。

 血液が沸騰しているかのように頭が熱い。

「ベンチ、座ろうか」

「あ、はい」

 私達は噴水の側のベンチに並んで座った。ずっと手に持って歩いていたストラップを、そっとベンチに置いた。

 公園には人が多かった。一人でのんびり過ごす人もいれば、観光客や家族連れもいる。それから男女二人組も。この人達は、この後二人で同じ部屋に帰るのかな。来週にはまた一緒にどこかへ出掛けるのかな。

 喧騒の奥に、噴水の音が静かに聞こえていた。

 もし、少しでも困らせてしまったら、その時は走って逃げよう。もし、受け入れてもらえなかったら、その時は、最初から全部なかったことにして、もうお店には行かずに元通りの生活を送ればいいのだ。でももし、受け入れてもらえたら……。

「あの」

 思考がまとまらないままに私は話し始めた。

 眼鏡を直そうとしたが眼鏡がなかった。私は慌てて前髪を撫で付けた。

「大和さん、今日は本当にありがとうございました。お昼に食べたスープカレー屋さんはとっても美味しかったし、一人では行けなかった本屋さんに行くことができたし、その後も、ゲームセンターも、全部全部楽しくて……」

 声は小さく、口はのろのろとしか動かない癖に、心臓は忙しなく騒いでいる。

「全部、全部、ありがとうございます。最初にKIBAに行った日も、その次の日にスープカレー屋さんに連れて行ってもらった時も……。それから、アルバイトも、一ヶ月だけでしたけど、色んなことを教えてもらいました……」

 手がひんやりしている。何故だか涙が溢れそうだ。

「あの日、初めてKIBAに行くまでは私、正直、辛かったんです。でも大和さんに出会って、カレーを食べさせてもらって、私の話を聞いてもらって、何度も『頑張って』って言ってもらって、それから……他の人と比べたらまだまだかもしれないけど、ちょっとずつ自分に自信を持てるようになってきた気がするんです」

 知らぬ間に私は固く目をつむっていた。ありがたい。これで大和さんの反応を見なくて済む。

「大和さんは優しくて、いつも笑顔で、目がきらきらしていて……それがとても素敵で……だから……」

 息を吸い込む。風に吹かれて木々が音を立てた。

「私、大和さんのことが……!」

 私が言い掛けたその時、彼の大きな手が、私の口を塞いだ。









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