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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第13話「大学祭にて」約5000字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門




 次の日は大学祭の初日だった。

 強制参加の行事ではない。しかし、家にいても落ち着かない。せっかく初めての大学祭なのだから一日くらいは。そう思い私はのそのそと家を出る支度をした。コンタクトレンズを付ける気力はない。私は歪んだ眼鏡を掛けた。まるで今日も講義があるかのように、いつも通りの時間に家を出た。

 しかし、大学に着いてすぐに後悔した。

 大学構内はお祭りムードが充満していた。お祭りなのだから当たり前だ。数多くの模擬店が並び、学生達が陽気に盛り上がっていた。一般客も多く、人が溢れ返っていた。私の気持ちとその空気がまるで違い過ぎて、心が捻じ切れそうになるのを感じた。

 歩いているとすぐに、店番をしている顔見知りに声を掛けられた。愛想笑いをしているうちに、気付けばフランクフルトを買っていた。次はドリンク、その次は焼きとうきびを買うことになった。これ以上食べることはできない。結局、知り合いに会わないように私は道を外れ、小さな段差に腰を掛けた。

 もう帰ろうか。買ったものを食べ終えて、私はぼんやりと考えていた。

 見上げると、ポプラ並木が風に揺れていた。以前よりも緑が濃くなっているなと感じた。

 その時、突然横から声がした。

「あれ、『いくららちゃん』だ」

 声のした方を振り返って私は驚いた。そこには毛先を青く染めた女性が立っていた。森さんだ。視線は私ではなく、私の隣に注がれている。

 私もその視線を辿って自分の隣を見る。そこには私の鞄が置かれていた。鞄には、オレンジ色のストラップが付けたままになっていた。昨日だけ付けようと思っていたのに、外し忘れていたのだ。そのことに私は今気が付いた。

「あ、これは、その……」

「見て。ほら、アタシもおんなじストラップ付けてるんだ。お揃い」

 森さんは鞄を持ち上げてストラップを揺らして見せた。「お揃い」という言葉が私の心をくすぐった。

 私は言葉に詰まった挙句、「森さん、ここで何してるの?」と尋ねた。

 森さんは笑って「福島ちゃんこそ」と言った。

 森さんが私の名前を覚えていてくれただけで何だか背中がむずむずした。

「アタシ、帰宅部だからやることないんだけどね。せっかく初めての大学祭だから一日くらいは、って思って来てみたんだけど。知り合いに見つかって飯買わされそうになって逃げてきた」

 森さんは頭を掻いておどけた。

「わ、私も! そうなの。おんなじ……」

 私がそう言うと、森さんは、傍に置かれたごみを見て、「もう買わされてんじゃん」と言って笑った。それから私の顔を見て自分の口元を指差し、「とうきび付いてるよ」と教えてくれた。私は慌てて口を拭った。

「ねえねえ、そんなことより。もしかして福島ちゃんもあのマンガ好きなの?」

 森さんは私の隣に腰を下ろし、ぐいっと顔を近付けてきた。

「う、うん……アニメから入ったんだけど、マンガも」

「へぇ、そうなんだ。ねぇ誰推し?」

「え? うーん、みんな好きなんだけど……一周回って主人公の……」

「おー。いや、わかる。わかるよ」

「……森さんは?」

「アタシは……」

 森さんはとある男性キャラクターの名前を答えた。

「え、渋い」

「そうなの。アタシ、頼り甲斐のある渋ーいおじさんに弱いのよ」

 言い方が面白くて私は笑ってしまった。すると彼女もいひひと笑った。

「好きなものはどうしようもないよね」

 私が呟くと、森さんはちらりと私の顔を見て頷いた。

 私達はそれから大学祭などそっちのけで会話を続けた。

 好きなマンガや好きなアニメの話から始まり、それから好きな声優や好きなアニメ制作会社まで。

 所々知っているもの、好きなものに差はあれど、こんな会話をするのは久し振りだった。それも、憧れの女の子との会話だ。私は今まで溜め込んできたものを吐き出すように喋り続けた。彼女のフランクな喋り方が私のことをより素直にさせた。

 衣装を作ることに興味がある、と恐る恐る私が打ち明けると彼女は益々ヒートアップした。

「アタシの衣装作ってよ!」

 一瞬、彼女が物語の登場人物に扮する姿が頭に浮かんだ。間違いなく似合うと私は思った。

「いや、でも……興味があるってだけで実際には何もできないの」

「うーん、そっか。私も興味はあるんだけどね、一人じゃどうしたらいいかわかんなくて、まだやったことないんだよね」

「そっか……。森さんは、マンガ研究会とか入らないの?」

「あー。見学は行ったんだけどね。ちょっとアタシの肌には合わないわ」

「そうなんだ……ちょっと意外かも。森さん、誰とでも仲良くしてるイメージだから。……森さん、同期とも仲良いよね。私、あんな風に話せなくて……。私はマンガが好きなこととか、隠しちゃってたし……。森さん、すごいよね。私、実は憧れてたんだ」

 私がそう言うと、森さんは苦い表情を見せた。

「憧れてもらってありがたいけど、別に誰とでも仲良い訳じゃないよ。仲良いとか仲悪いとか面倒臭いから、適当に愛想笑いしてるだけ」

 彼女がそっけなく言い放つので、私は目をぱちくりさせた。そんな私を見て、彼女は再び笑顔を作った。

「でも、好きなものには正直でいたいよね」

 森さんは穏やかにそう言った。

 私は頷いた。

 彼女は大きく伸びをした。

「そのためにアタシは大学だってバイトだって頑張ってんのよ。軍資金がなきゃ推せないからねぇ」

「森さん、何のアルバイトしてるの?」

 私はふと気になって聞いてみた。

「ん? 居酒屋だよ」

「すごい! 大変そう……」

「福島ちゃんは? アルバイトしてる?」

 彼女は何気なく聞き返してきたが、私はそこで言葉に詰まってしまった。何て答えていいのかわからなかった。そして、今まで会話に夢中で忘れていたことが不意に脳裏に蘇ってきて、私は硬直した。

「えっと……」

 そんな私の顔を、森さんがそっと覗き込んだ。

「……なした? 話聞くよ?」

 私は躊躇した。しかし彼女がこちらを見つめたまや辛抱強く私が話すのを待つので、私は一つ、また一つと話し始めた。







「何その男」

 話している最中、森さんはほとんど口を挟まなかったが、私の話が終わると吐き捨てるようにそう言った。

「乙女が想いを伝えようとしているのにそれを遮るなんて、デリカシーがないよ」

「そ、そうかな……」

 私は首を縦に振るとも横に振るとも言えない動きをした。

「もし断るにしてもさ、最後まで聞いた方がいいし。せめて口を塞ぐなんてやり方しなくてもいいじゃん」

「で、でも、私も夢中になってて、そうでもしなきゃ止まらなかったかもしれないし……あと、大和さんにも事情がありそうだったし……」

「それに、本当はその気がないのに、思わせぶりな態度取ってたってこと? それもどうなの?」

「それは、誰にでも優しい人なだけなのに、私が勘違いしてたのかも……」

「福島ちゃん……その人のこと庇うんだねぇ」

 森さんは呆れ顔で溜め息をついた。私が身を縮こまらせる様を見て、森さんは柔らかく笑った。

「好きなんだね。その人のこと。今も」

 私は唇を噛んで下を向いた。

「うーん。そうだなぁ」

 森さんはあごに手を当てた。

「脈はありそうだった。お友達の情報によれば、恋人はいないはずだった。でもその人は『もうちょっと待って』『僕の話を聞いて』って言ったんだよね?」

 私は頷く。

 彼女は腕を組んで唸る。

「ど、どういうことだと思う……?」

「どうってそりゃ、離婚調停中なんでしょうよ」

 私は思わず飛び跳ねた。目が飛び出るかと思った。下あごががくがく震えるばかりで声が出なかった。

「間違い無いね。それならお友達のお話とも矛盾はしていない。つまり、今現在はパートナーはいないけれど、まだ関係性を完全に整理し切れていない状況ってことだ。それで、福島ちゃんに『ちょっと待って』って言った訳。きっとちゃんと過去のことが片付いてからお付き合いしたかったんだよ」

「そ、そんな……」

「うん。十中八九間違いない」

 そして森さんは「アタシが今まで読んだマンガの知識を基に考えれば」と付け加えた。

 言葉を失った私を見て森さんは笑った。組んでいた腕をほどき、大袈裟に手を動かした。

「でもそれってやっぱり付き合えそうってことじゃない?」

「え? え? えっと……そ、そうなの?」

 森さんのポジティブな考え方に私の思考は付いていっていなかった。

「そうそう。今度福島ちゃんの気持ちの整理が付いたら、ちゃんと話を聞きに行ってみたらいいよ」

 私は地面を見つめて黙り込んでいた。

「ま、無理にとは言わないけどさ。福島ちゃんがまだその人のこと、好きならね」

 私は顔を上げて、森さんの目を見た。お祭りの騒がしさが、一瞬遠ざかったような錯覚を覚えた。

 彼女は立ち上がり、腰に手を当てて胸を張った。

「ほら。アタシ達が大好きなマンガの主人公だったら、こんな時どうすると思う?」

 森さんはにっと歯を見せる。

「……最後まで、諦めない」

 私がそう言うと、森さんは満足そうに首を縦に振った。

「……あの、ありがとう。森さん」

「どういたしまして。ねえ、八雲って呼んでよ。アタシのこと」

「え?」

「マンガのキャラクターみたいでかわいいでしょ。アタシの名前」

 私は一瞬きょとんとしたが、彼女の笑顔につられて笑ってしまった。そして大きく頷いた。

 彼女は大きく伸びをしてから、スマートフォンを取り出した。恐らく時間を確認したのだろう。

「えっと……八雲、ちゃん。ごめんね、いっぱい話を聞いてもらって。せっかくの大学祭なのに……」

 彼女は画面と私の顔を見比べて、そして、私のことを「菜々恵」と呼んだ。

「それじゃあ行こうか」

「え? 行こうって……どこに?」

「どこってそりゃあ、狸小路一丁目の横の……」

「わ、私、昨日も行ったよ?」

「じゃあ三階行こう、三階」

「さ……」

 彼女は私の手を取って立ち上がらせた。

「相手からは『ちょっと待って』って言われちゃったんだし、菜々恵は今はまだ元気がない。どうしようもないけど、忘れられない。そんな時はね、何か他のことに没頭するのが一番なんだよ」







 彼女は「このために稼いでるから」と言って次々に商品をカゴに入れた。様々なキャラクターのグッズがランダムに入っている商品を手に取り「あとで開封式しよう」と言った。私も勢いに押され、いくつかの商品を買うことにした。

 昼過ぎになり、何か食べようという話になった。どこかいいお店を知っているか聞いたが、彼女は首を振った。そして私達は近くの牛丼屋に行くことにした。一人だとなかなか入れない空間に、私ははしゃいだ。

 書店に行った時も、昼食を決めた時も、大和さんのことが頭をよぎった。「もし彼がいたら……」と気付けば考えていた。

 私は昨日の自分の考えを思い出した。

『もし、受け入れてもらえなかったら、その時は、最初から全部なかったことにして、もうお店には行かずに元通りの生活を送ればいいのだ』

 そんなことを考えていた自分を笑った。元通りになんて、戻れるはずがなかった。

 帰り道、八雲ちゃんが買い物したいというのでコンビニに寄ることにした。

 私はコンビニの壁に貼られていたポスターに気付き、あ、と思った。







 八雲ちゃんと別れ、私は部屋に帰った。窓を開けると風が部屋に吹き込んできた。私はベッドの上でスマートフォンを操作した。

 コンビニでポスターを見て思い出したが、父の日が明後日に迫ってきていた。

 今からプレゼントを買って送るのでは間に合わないかもしれない。しかし、地元の花屋に頼んで花束を届けてもらうことならできるだろう。

 手続きを終え、今度は床に座りローテーブルに向かう。

 そして先程コンビニで買っておいたはがきにメッセージを書き込んでいった。







『お父さん、いつもありがとう。

先日、アルバイトのお給料をもらいました。すごいでしょ。初めて働いて自分でお金をもらった記念として、この手紙とは別に、お花を贈ります。母の日には何もできなかったから、二人分のつもりです。

一ヶ月前、電話した時、たぶんお母さんは気付いていたよね、私は見栄を張りました。

本当は、初めての土地で、初めての一人暮らしで、初めての大学生活で、不安で一杯でした。何も食べたくなくなるくらいでした。友人関係も、へたくそでした。

でも最近はしっかり食べています。今日は大学の女の子と趣味のことをたくさん話しました。

今も不安がなくなったわけではないですが、自分なりに頑張ってみます。

心配かけてごめんね。これからもよろしくお願いします。

菜々恵より』











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