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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第5話「これはデート?」約5500字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門




 翌日になっても、曇天のせいか、気温は低いままだった。

 私は玄関を出てからそれに気付き、上着のファスナーを一番上まで締めた。

 ちょっと寒かったかな。私はひらひらするスカートを見下ろしてそう思った。

 部屋を出て鍵をかける。この動作には慣れてきたが、今から行く道のりにはまだ慣れていない。昨日歩いた記憶を辿りながら私はふらふらと進んでいった。昨日とは違う理由から来るふらふらだ。夢の中にいるような非現実感と、今までに経験したことのない出来事への緊張感のせいだ。

 角を曲がり、首を伸ばして覗き込むと、お店の前に彼が立っていた。昨日出会った、スープカレー屋のマスターだ。

「あ。こんにちは」

 彼はすぐに私に気付き小さく頭を下げた。

 私が返した会釈はきっと、彼よりももっと小さかったと思う。

 近付いてみると、マスターの様子は昨日と少し違った。まず第一に服装。昨日は黒いシャツにエプロンを付けた、飲食店の店員らしいスタイルだった。しかし今日は普段着のようだ。そして髪型。昨日とは違い今日は髪をうしろで結んでいない。伸びた髪が正面からでも覗いていた。

「それじゃあ行きましょうか」

 彼はそう言うと駐車場へと歩き出した。

 意識していなかったが、駐車場には昨日と同じように車が一台停まっている。真っ黄色の軽トラックだ。

「あの……車で行くんですか……?」

「あれ? 言ってませんでしたっけ? えーっと……この辺りにもたくさんスープカレー屋はあるんですが、せっかくなら一人では行けないようなところに連れて行ってあげたくて」

「あの、いえ、全然大丈夫なんですけど……」

 私が口をもごもごさせているとマスターは「あぁ」と言った。

「すごい色ですよね。この車。元々タイキのだったんだけど、仕事で使いたいから譲ってもらったんです。その名もスープカレー号。スープカレーの色をしてるから」

 マスターは車に目をやってくすくす笑った。

「ごめんね、こんな車しかなくて」

「いえ、あの、大丈夫です」

 マスターが助手席の扉を開けてくれる。乗用車と違い少しだけ高さがあって乗るのが大変だった。

 マスターは運転席に乗り込むと、車を発進させた。






 私は更に困惑していた。

 真っ黄色の軽トラックだというのは置いておくとしてもだ。

 昨日出会ったばかりの男性が運転する車の、助手席に座ってお出掛けしている。その状況がおかしかった。しかもそれを言い出したのが私自身だなんて。そのことが自分で信じられなかった。

 本当に昨夜はどうかしていたのだ、と改めて思う。

 そして、横目で運転手の表情を伺う。が、自分の眼鏡のフレームが邪魔でよく見えない。

 私の提案を受け入れる彼も不思議だ。私が「スープカレー屋さんに連れて行って下さい」とお願いした時、彼はちょっと驚いた顔をしたが、その後嬉しそうに「もちろん」と答えた。

 アルバイトが落ち着いた頃に、と思ったが、話はとんとん拍子で進んでいった。

 お店の定休日、つまり、彼の仕事が休みの日は月曜日と木曜日だった。

 私は平日には大学がある。が、今日だけは違っていた。ゴールデンウィーク中、大学の都合で一日登校日があった分、本来はゴールデンウィーク明けであるはずの今日が休校日となっていたのだ。

 そして、昨日出会ったばかりの男性と、今日お出掛けすることになったのだった。

 彼は車を運転しながら、自分の名前は市来 大和(いちき やまと)だと教えてくれた。私は福島 菜々恵(ふくしま ななえ)だと名乗った。お互いの名前もろくに知らないままアルバイトを決め、食事に行く約束をしていたことを市来さんは笑った。

 それから昨日お店にいたのは広尾 大樹(ひろお たいき)だと説明してくれた。大樹さんとは、市来さんが大学生の時に知り合ったらしい。でも大学で出会った訳ではないそうだ。大樹さんは大学に行かず、その頃からふらふら生活していたのだと、市来さんは楽しそうに語った。

 今から行くのは札幌の最も西に位置する手稲という地域らしい。同じ札幌市内でも、車で三十分程掛かるとのことだった。

 市来さんはそれから色々なことを話してくれた。

 札幌というのはそもそも河口付近の三角州であり、その果てである手稲は元々湿地帯だったらしい。テイネという地名はアイヌ語で湿地を意味する言葉から来ているとのことだが、稲という字が当てられている通り、海に近い砂地では稲作しかできず、野菜を育てるのは難しかったそうだ。

「大樹の父親は手稲でかぼちゃ農家をやっているんだ。不毛の地と呼ばれた手稲で力強く育ったブランドかぼちゃは、札幌を代表する農作物なんです。うちのスープカレーで使っているのも、タイキの実家が作ったかぼちゃなんだよ」

 敬語だったりそうでなかったりする彼の言葉に相槌を打ちながら、私は市来さんの横顔を盗み見ていた。

 両親以外が車を運転する様を見る機会は今まであまりなかったように思う。

 彼の話は、彼自身が話したいことでありながら、私を楽しませようとしてくれているものだった。

 緊張感から来るドキドキの中に、確実に高揚感から来るドキドキが紛れ込んでいるのを感じた。

 赤信号で車が止まると、彼は私の顔を見て微笑む。

 私の視線は、見知らぬ土地を観察する振りをして窓の外へ逃げる。

 男性と二人で車に乗って食事へ。これは、デートという奴なのだろうか。いや、店長がアルバイトに仕事を教えるための、一種の研修のようなものなのかもしれない。

 私は胸の前のシートベルトをぎゅっと握った。






 川沿いの広い道を走っていくと、左手に大きな山が見えてきた。市来さんの話によると、手稲山という名前の山で、山頂に立っているいくつもの鉄塔はテレビの電波を送信している施設らしい。

 交差点で左に曲がり、更に少し進んで右に曲がると、スープカレー屋の看板が見えてきた。

 まだ正午前だというのに駐車場はすでにほとんど満車だった。平日の日中にも関わらず混んでいることから、余程人気のお店であることがわかった。

 市来さんは私を先に車から下ろした。狭い駐車スペースに軽トラックを停めるのは至難の技に思えたが、市来さんは慣れた様子でそれを済ませた。

 店内はおすすめメニューやイベントのポスターなど張り紙だらけで、陽気な音楽が流れていた。市来さんが言っていた通り、スープカレー屋にも色々あるのだと私は思った。

 席についてメニューを選ぶ。私が迷っていると市来さんがまたアドバイスをくれた。

「どれも美味しいんだけど、おすすめはこれかな。辛さはお店によって違うから、まずは辛くないものを選ぶ方が無難だと思う」

 市来さんは目の前に座って、私と一緒にメニュー表を覗き込んでいる。その距離の近さに気付き、私は顔を上げ、壁に貼られたおすすめメニューに目をやったりした。

 市来さんはにこにこしながら私を見ていた。どうやらメニューを決めるのを待ってくれているらしい。私が小さく頷くと、市来さんは店員さんを呼んだ。

 私は市来さんがおすすめしてくれたチキンカレーを、市来さんは期間限定メニューを注文した。

 料理が来るまでの間、市来さんは流れている音楽のことなどを話してくれた。たまに「福島さんは音楽聞く?」といった質問を投げかけてくるが、私が「そうですね。少し」などと曖昧な返答をすると、それ以上は踏み込んでこなかった。私に興味がない訳ではなく、口下手な私の負担にならないようにしてくれているのだろう。

 料理が運ばれてきて驚いた。カレーの皿からは十五センチ程もありそうな棒状のものがはみ出していた。私が驚いていると、市来さんが「すごい豪快だよね。素揚げしたゴボウなんだよ」と教えてくれた。

 チキンカレーは、スープカレー屋の店主がおすすめするだけあってとても美味しかった。

 市来さんは先に食べ終えると、水を飲み、額の汗を拭った。

 私が食べ進めていると、市来さんの視線を感じた。見ると、テーブルの上で腕を組むように肘を付き、こちらを見て微笑んでいた。

「あ……すいません、食べるの遅くて」

 私がそう言うと市来さんははっとして視線を逸らし、店内を見渡す素振りをした。

「ごめんね、見られてたらプレッシャーだよね」

 だがすぐに私に視線を戻し、再び微笑んだ。

「僕、好きなんだよね」

「え?」

「美味しいものを幸せそうに食べているのを見るのが。悪趣味かもしれないけど。職業病かな」

 私はうまく返事ができないまま、またカレーを食べ始めた。視線を感じながら食べるのはちょっと照れくさいが、かといって早く食べ終える術を私は知らない。どうせゆっくりしか食べられないのなら仕方がない。また好きな食べ物を最後まで残したりしながら、じっくりと味わって食べることにした。






「どこかで涼もうか」

 スープカレーを食べ終え店を出ると、市来さんは車を少し車を走らせ、公園の大きな駐車場に停車した。

 外に出ると陽が射しており、春らしい小さな雲が澄んだ青空に浮かんでいた。スパイシーなスープカレーのお陰で体がぽかぽかになっていたが、吹く風が汗に当たるとひんやりとして気持ちがよかった。

「前田森林公園……」

 私は看板に書いてある公園の名前を読み上げた。

「そう。札幌の端っこにあるから他の公園より人は少ないけど、広くてきれいですっごくいい公園だよ」

 駐車場から木々の間を進んでいくとすぐに開けた場所に出た。

 両脇を並木がずーっとずーっと続いていっている。百メートルどころではない。五百メートル、いや、一キロメートルくらい続いているように思える。

 並木はポプラだ。緑が眩しい葉っぱが、根本からてっぺんまで生い茂っている。背の高いポプラの木からは上へ上へと伸びていこうとする生命力が溢れていた。

 右側のポプラから左側のポプラまでは二十メートル程だろうか。そしてその真ん中を十五メートル程の幅がある水路が流れている。ほとんど波打つことのない人工の川は水面が鏡のようになっており、青い空と白い雲とそれからポプラ並木が映り込んでいた。

「すごい……」

「ね。僕も最初来た時はびっくりした。大学では写真サークルに入ってたから、その活動の一環で来たんだけど」

 市来さんはそう言って歩き始めた。

 どこまでも続いていくかのような道だったが、その美しさのせいか、まったく苦痛ではなかった。

 しばらくは鳥のさえずりに耳をすましていたが、私は沈黙に耐えきれずに話題を探した。

「あの……すいません、先程は、ご馳走になっちゃって」

「いえいえ。……で、どうだった? 美味しかったでしょ」

「はい。……チキンのスープカレーは初めてでしたが、パリパリに揚げられていて……それから、あんなに大きなゴボウが入っているなんてびっくりしました! ちょっと器からはみ出しちゃってて……あ、すいません」

 興奮して喋りすぎた、と思って顔を上げると、市来さんは私よりも興奮した様子で「そうなんだよ!」と言った。

「うちより値段は高い分、具沢山で、ああ贅沢なもの食べているなーっていう満足感があるよね」

「そ、そうなんです! ゆで卵や、炙ったキャベツも入っていて……」

 私も嬉しくなってつい声が大きくなるのを感じた。

「結構スープがドロドロだったでしょ。ルーカレーではなくて、あくまでもスープカレーではあるんだけど」

「そうですね、昨日市来さんが作ってくれたのは本当にサラサラした感じでした。あ、私は……昨日のカレーの方が……」

「スープカレーって本当に色々あってね。でもどれも誰かにとっての定番なんだよ。サラサラしたスープこそスープカレーの王道だっていう人もいるし、ちょっとトロトロこってりしているものの方が好きだっていう人も多いし」

 私は頷きながら、市来さんの顔を見た。

「そこがまた、面白いところなんだよ」

 市来さんは嬉しそうに目を細める。

 ダメだ、と思った。私はどうやらこの瞳に弱いらしい。好きなものについて語っている、この瞳に、つい惹き付けられてしまうのだ。






 十分程掛けて石畳を歩いて行くと、ようやく水路とポプラ並木が途切れるところまで辿り着いた。そこから更に少し進んだ所に、白い壁の建物があった。

 それは石を積み上げたような五つのアーチに支えられており、正面から入ることはできないようだ。左右に階段があるのでそこから上へと行くらしい。左右対称で、大きな窓があり、弧を描いた屋根のあるそれは、まるで西洋の歴史的建造物のようだった。

「あ……」

 近付いていく途中、アーチの下のところに人影を見つけた。

 それは二人組で、どうやら一人がもう一人にカメラを向け、写真を撮っているらしい。

「あれって……」

 私の声を聞いた市来さんも気付いたらしい。市来さんはまばたきを繰り返して二人を見ていた。恐らく、二人の服装が気になったのだろう。

 更に近付いていくことでよりはっきりと見えてきた。二人はどちらも女性で、二人ともとてもよく目を引く格好をしていた。一人の髪の毛は茶色で、もう一人は金色。ウィッグだろうか。服もカラフルで、そしてあちこちがひらひらしていて、非日常的な作りだった。現代の服装としては明らかに非日常的だが、彼女達の背後にある中世ヨーロッパを思わせる建物にはよく似合う服装だった。

「素敵……」

 ふっと風が顔を撫でる。私は我に返り、立ち止まって見惚れてしまっていたことに気が付いた。

「あ……行きましょうか」

 眼鏡を掛け直し、私は階段の方へと進んだ。

 私にはその二人が何の格好をしているのかよくわかった。市来さんはどうだろう。気になったが、私は市来さんの顔を見れなかった。


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