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ぶこつでやさしいスープカレー屋さん KIBA 第6話「前田森林公園にて」約3000字/全17話/創作大賞2024恋愛小説部門




 階段を上って振り返ると、眼下に今まで歩いてきた道のりがよく見えた。ポプラ並木と水路がまっすぐに伸びている。その周囲は森になっており、改めてとても広い公園であることがわかる。奥の木々が街を隠しており、正面には手稲山が見えた。雄大な山はまだ冠雪している。その白と、大地の緑と、空の青、それらのコントラストが美しかった。

「きれいな景色ですね」

 何か話さなきゃ。そう思って私が言うと、市来さんはポケットからスマートフォンを取り出した。

「写真。福島さんも撮ってあげましょうか」

 私は先程のきらびやかな服を着た女性二人を思い出し、自分のスカートを握った。

「いえ、私はそんな……」

「あ。じゃあ、二人で撮りましょうか。もしよかったらですが」

「え、あ……それなら……まぁ」

 私が答えるや否や市来さんは私の隣に立ち、スマートフォンを持った腕を伸ばして写真を撮った。

「あとで送りますね」

 写真を見てみると、ずり落ちた眼鏡の奥に見える私の目は焦点が定まっていなかった。それでもきれいな景色の中でのツーショットは、私の表情など気にならない程にいい写真だった。

「さっきの方達」

 市来さんはスマートフォンをしまうと柵に肘を付き、景色を眺めながら話し始めた。

「すごくこの景色とマッチしていましたね。まるで物語の中に入ったみたいでした」

「……そうですね」

 私は何を話せばいいのか思考を巡らせたが、春風がそれを邪魔した。木々が揺れ、鳥が鳴く。焦ろうと思っても焦ることができない程に、穏やかな時間が流れていた。

 大学に入ってからのこの一ヶ月間、こんな時間はなかったかもしれない。目まぐるしかった。嵐のようだった。でも今、その嵐でできた心の中の大きな水溜りが、そっと心の土壌に染み込んでいくような、そんな感覚を覚えた。

「福島さん。昨日も今日も、僕の話を一杯聞いてくれてありがとうございます」

 市来さんはまっすぐ前を向いたまま言った。

「もしよかったら……今度は福島さんの好きなものについて、教えてくれませんか?」

 私も柵に手を置き、遠い景色に目をやった。

 話してもいい気がする。話してみようかな。話したい。

 そう思ったが、言葉はすぐに出てこなかった。噛んだ唇が少しだけじんじんした。

「頑張れ」

 風の音の中に、微かに市来さんの声が聞こえた。その声をきっかけに、私の口はようやく開いてくれた。

「あの……市来さんは、さっきの方達の服装、何だかわかりましたか?」

 私もまっすぐ前を向いたままだったが、市来さんが隣で首を振るのがわかった。

「あれは……アニメにもなった、ゲームのキャラクターの格好なんです」

 市来さんが頷く。

「私は……マンガとかアニメとか……それからゲームとか……あと、舞台とか……そういうのが好きなんです」

 今度は近くに目をやる。先程の二人が移動しているのが見えた。次は小さな噴水のところで撮るらしい。きっと素敵な写真が撮れることだろう。

「……自分もああいう服が来たいという訳ではないんですが……あんな服を自分で作れたらなぁって、ちょっと憧れるんです」

 市来さんが、頷く。

 そして「僕も」と話し始めた。

「もちろんマンガもアニメもゲームも大好きでしたよ。たぶん、福島さんみたいに詳しくはないし、今はあまり触れる機会がなくなってしまいましたけど。きっと今も面白いものが一杯あるんでしょうね。アニメの映画とか、とても人気があるって聞いたことがあります」

「そうですね……同じような趣味の人はきっとたくさんいるんでしょうね」

 目を細めると、女性二人組が、撮った写真を確認しながら和気あいあいと話しているのが見えた。

「高校までは、意識しなくても、一緒にマンガを読んで、一緒に趣味を深めていった友達がいたんです。でも、大学に入ってから、新たに出会った人に対してそういうお話をするのは……勇気が出なくて」

「……昨日、憧れている人がいるって言っていましたね」

「……はい」

 今度は視線を上に向けた。ずっと見ていると、雲がゆっくりと動いているのがわかった。

「……私は、『森さん』って呼んでいるんですけど、みんなからは『八雲』って、名前で呼ばれてて。名前からしてかわいいですよね。マンガのキャラクターみたい」

 青空の高いところで大きな鳥がぐるぐると回っていた。自由自在に飛ぶことができたら気持ちよさそうだな、と思った。

「いつか話してみたいなぁ……」

「……いつか、話せますよ、きっと。何かきっかけさえあれば、共通の趣味があるんですから、大丈夫です」

「……そうですね」

 市来さんは私の方へ顔を向けた。私もつられて市来さんの方を見ると、いつものように優しく微笑んでいた。そして握り拳を作って、私の方へ掲げた。

「頑張って下さいね」

 その言葉を聞いて、私は思わず顔が綻ぶのを感じた。

 私はぺこりと頭を下げる。

「ありがとうございます。……市来さん、昨日も、さっきも、『頑張って』って言ってくれましたよね。市来さんの『頑張って』は、何だか、まっすぐで……すごく、パワーをもらえます」

「そうですか。そう言ってもらえてよかった」

 市来さんは少し照れながら「『頑張れ』って言葉は」と続けた。

「『頑張れ』って言葉は、最近では悪者扱いされることが増えたと思うんです。『もう頑張っているのに頑張れって言われたくない』なんて意見をよく耳にします。たしかに、時と場合によっては人を傷付けることもあるんだと思います。それでも」

 市来さんは自分の手を見つめ、また拳を握り締めた。

「応援が力になることは、やっぱりあると僕は思うんです」

 市来さんは静かに力強くそう言った。

「慎重に状況を見極めることが求められる時代なのかもしれませんが……僕は迷うくらいなら素直に『頑張れ』って言いたいと思っています」

 市来さんは頭を掻きながら「まぁ、嫌がる人もいるかもしれませんが」と付け加えた。

「素敵だと思います」

  私は真似して握り拳を作ってみた。

「少なくとも、私にとっては、市来さんの『頑張れ』が力になっていますよ」

 市来さんは「よかった」と言って胸を撫で下ろした。

 もう一度景色に顔を向ける。一つ一つを見直すように、手前から順に目を動かしていく。

 まっすぐ続く水路。空へ伸びるポプラ並木。風に揺れる木々。雪が眩しい山々。そして白い雲と、青い空。

 柵から手を離し、市来さんの方へ向き直る。

「今日は本当にありがとうございました。明日からまた、頑張れそうです」

 市来さんはいつもの笑顔だけど、いつもよりもほんの少しだけ幸せそうにも見えた。

「そうですか。それじゃあ今日は、そろそろ帰りましょうか」

 とてもいい日だった。大満足だ。これ以上を望んだらばちが当たる。それくらいに幸せだった。

 なのに、心の奥底ではまだまだこの時間が続いて欲しいと思ってしまう。もっともっと話がしたかった。たくさん話を聞きたかったし、たくさん話を聞いて欲しかった。

 私が歩き始めたその時、市来さんが「そうだ」と言った。

「今日は僕が好きな場所に行ったので、次にお出掛けする時は、福島さんが好きな場所に連れて行ってくれませんか」

 市来さんの長い髪が風にくすぐられ、無邪気な子犬のようにじゃれついていた。









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