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がん闘病青年の強さに触れた

今、彼が好きだったバンドSUPER BEAVERの音楽をおもい浮かべる。私が彼に会う口実に名古屋ライブにいくため予習で覚えようと購入したアルバムが視界に入る。

ツイッター@0430kuroクロさんについて、今から書いていきたい。わたしは彼に一度しか会ったことがない。でも、確かに私の目の前でキラキラ笑っていた、今は亡き青年。私の気持ちの整理のためも含め、ご家族にお願いして執筆させていただいている。私の無理なお願いに、ご家族は、本人はきっと了承するはずですと、メッセージをくださり、今に至る。彼の何を伝えたいのか、何が伝わるのか、将又、私が書くことで歪ませてしまうんじゃないかと様々な不安がよぎる。ただ、わたしは彼に感謝してやまないのだ。確かに同じ時を生き、不器用で歳も親くらいの私に彼は生き方を教えてくれた。感謝してやまない。

今からは、時折、私の文章もはいるが、彼のツイートから文字をおかりし、闘病生活をなぞりながら、彼の49日に気持ちを飛ばしたいと思っている。この場をかりて、承諾してくださったご家族にお礼を申しあげたい。

彼のツイートより。

2019年3月19日
がんになってました。これから絶対に負けないし勝ちます。


わたしは、ツイートの遡り方がうまくできず、全てツイートを拝見できなかった、だので私ができる範囲での内容になる。その点もご了承いただきたい。

彼のツイートに触れてみる。
2019年3月27日大腸がん、横行結腸の手術。            2019年4月10日退院。その次の日の記録には、以外の記載がある。

2019年4月20日妹や兄、父や母に我慢させてしまっている分、僕は必ず治すし、治ったら沢山のありがとうを伝えていきたい。

彼は家族を愛してやまない。
彼は両親についても自身のブログで綴っている。

2019年10月16日[僕の人生のお手本]と題して父親について。また10月23日、今日は母について、とし[最高な母]と題している。確か、彼が最後にいったSUPER BEAVER名古屋ライブ一日目には妹さんが付き添い、二日目にはお兄さんが付き添われていたと聞いた。彼の、家族を思う気持ちと同じくらい暖かいご家庭を想像するとき、わたしはどうしても、最後の入院日となった2021年11月20日の自宅を出る時の彼の気持ち、ご家族の気持ちを想うと痛くて仕方ない。彼もご家族も、もうここには一緒に生きて、もどれないと覚悟されていたことだろう。どんな愛が病院に向かう車の中で流れたことだろう。

彼のツイートより。

2019年4月30日今日、平成で最後の誕生日をむかえて23歳になりました。

この日から亡くなるまで、彼は数え切れない戦いにも増して、感謝という感情を幾度となく記載している。彼の強さの一つには大好きな家族の他、友達、野球、音楽といった、あたりまえの日常があったのだとおもう。その気持ちを出すかのような言葉たち。

2019年7月8日まだまだ人と共に生きて生きたい。
2021年8月18日がんと分かる前の生活が恋しい。戻れないとわかっていてもその過去にしがみついて、、、。でもそれ以上に絶対負けたくないと思う今日この頃。

と、記されている。大学生で病気がわかり、周りは青春を楽しむ中、彼は終わりの見えない戦いにずっとずっと向き合ってきた。約3年弱。計り知れない不安と恐怖の中で、彼は微かな光を求め続け、信じ続けてきた強い青年。彼は終わりの見えない期間をトンネルに例えている。

2020年11月19日長いトンネルには、きっと出口があって、長い治療にもきっと出口がある。そんなことを想いながら通ったいつかのトンネル、

としてツイートに写真を添付している。

彼はどんな恐怖と不安でこの写真をとったのだろうか。自分の治療、副作用、痛み、先の見えない不安と闘いながら彼は常に他人のことに思いを馳せられていた。

2019年10月30日人付き合いに疲れた時に読んで欲しい話、とタイトルを付けブログをかき、また、2020年10月20日には、戦っている仲間がいつまでも元気で笑っていられる世界が一日でも早く訪れてほしい。悔しいな。涙があふれる。僕には前を向いて生きていくことしかできないのだから少しでも人の心を明るくできるようにやっていこう。

と抗がん剤を受ける部屋の患者たちをみて綴っている。

時には、あたりまえに、弱音もみせてくれている。

2019年12月19日余命宣告されたことはないけれど、きっとカルテには何かしらそのことは書いてあるんじゃないかと思う。でも人の命の最後は誰にもわからない。
2020年11月24日痛い 痛い 痛い 助けて 助けて 助けて この苦しみの先に何があるんだ?(まだまだまだまだまだまだ負けない、負けてたまるもんか。生きてやる。絶対生きてやる。)
2020年11月30日将来がない。もうすぐ終わりがやってくる。どこか痛い。こんな時、この世の終わりかのような最悪な感情が押し寄せる。(そんな時、自分の好きな歌を下手でもいいから全力で歌うとちっぽけなことに思えてきて、よっしゃ!って気持ちになる)
2021年8月18日がんと分かる前の生活が恋しい。戻れないと分かっていてもその過去にしがみついて、、、楽になりたいと思う。でもそれ以上に負けたくないと思う今日この頃。
2021年9月26日数日痛みが酷い、まともに寝れないし絶望の日を過ごしている。何のために生きているのか分からなくなるほど最近は辛い。
2021年11月7日泣いた。生きてるのが辛すぎて。痛みがすごくて叫びに叫ぶ自分が情けなくて。でもたまにそんな風に泣いたおかげか今日はだいぶ調子がいい。まだまだ死にたくないし生きてるぞって今日もおもった。

彼のツイートの最後から2日目になったツイートの最後の一文。

2021年11月17日早く楽になりたい。


彼のツイートのいいね、ボタン欄をみると、彼は2021年11月21日まで、自分のツイートにくれたリプライに対し、いいね、をおしつづけていた。涙でうまく文字がうてない、私がいる。ここで、一旦、筆をおく。

彼は彼は、弱音とおもえるツイートでも、カッコにかいたように、プラス思考で、どんな底にいようが、また立ち直ってはきついきつい治療を生きるために、愛する家族や仲間、愛犬といるために受けてきた。彼は常に周りのことをみてきた、ツイートしてきた。彼は彼は強い人。優しい人。

最後のツイートはご家族が、彼の旅立ちをしらせている。

2021年12月11日  
12月10日 13時43分に旅立ちました。ありがとうございました。

と、、

また、彼自身の最後のツイートに触れると、

2021年11月20日右手がうまく動かせない、
同日夕方には、脳転移してました、複数箇所

との記載がある。どんな思いで、このラストの文字をうったのか、想像するだけで苦しい。


私と彼が知り合ったのはSNSだ。たまたま私の仕事柄、若い世代のがんAYA世代について学んでいた時に彼のツイートに出会い、フォローした私に、彼は丁寧にも私のツイートを読んでくれ、当時書いていた絵をほめてくれた。それから彼とつながり、約一年半、彼の生きるをみせていただいた。2020年12月7日に一緒に知り合いと3人の作品集、いうならば本をかいた。その件で2020年の夏に一度、彼と電話したことがある。彼は夢を語っていた。ツイートにも立派に生きた証を残している夢。


夢について。
2020年10月30日闘病者が自分のやりたいことにもっともっと夢中になれる社会を作りたい2020年11月30日簿記2級合格(彼は後に簿記1給付にも合格している)2021年5月7日税理士試験申込、チャレンジあるのみ(しかし試験当日、抗がん剤の副作用で断念されている)

彼はずっとずっと諦めなかった。夢も生きることも。どれだけ、怖かっただろう。でも彼は後に触れるが感謝のツイートを数多くのこしている。治療の苦しみ、先の見えない苦しみ、痛み、全てに耐えながら、ときに上手くつきあいながら彼は生きることを最後まで諦めなかった。これは、私のワガママだが、どうか、生きてることが辛い人や、死に憧れる人に彼の、生きた証の光が差し込んだらいいなと願いを込めて書いている、いや、書かせていただいている私も確かに存在する。

彼を語る上で、ツイートを拝見する上で、野球、の文字は離せないものである。彼がいつから野球をされていたのか、など、私にはわからないが、ツイートを読ませていただいた。

2019年7月6日久しぶりにプロ野球をみにいった。2020年10月24日マスターズ甲子園の練習試合に参加しています!

と、彼は当時の写真をツイートに添付している。笑顔のキラキラした、青年だ。愛しい。

2021年6月28日がんと戦う元主将が二塁打、マスターズ甲子園愛知県大会、と題されて朝日新聞のデジタルに掲載されたツイート。

また、彼の大学からプロ野球選手が輩出されたことを自分のことのように喜ばれている。2019年中日の育成1位、名古屋大学、松田選手。

彼は本当に野球が純粋に好きだったんだろうなとしみじみ、手に掬いとれる。きっと、ご家族もそんな彼の野球時代を精一杯、応援されていたことと推測する。

以下、私が1番伝えたかった、彼の周りに対する彼の思いだ。

2021年4月2日苦しいことや辛いことを何度経験しても、ほんの些細なうれしさや幸せが訪れた時に笑顔が連鎖して広がっていく。ありがとう。感謝が、気持ちが広がっていく。こんな幸せを積み重ねていきたい。2021年4月12日どんどん時が過ぎていく。楽しいこと、頑張らないといけないこと、頑張りたいことが交互にやってくるけど、それが生きてるという証。2021年4月14日働いてきた、すごく新鮮でとても楽しかった。働ける幸せ。2021年4月19日痛みがないだけで気持ちが上を向く。2021年4月30日今日は、がんとわかってから三度目の誕生日。25歳になりました(翌日のツイートには、感謝の気持ちを忘れないようにと、リプライをした方々のアカウントをメモに記されている)2021年5月8日には、1日早いけど母の日ギフト、感謝を伝えられる時に伝える。来年も母の日を迎えられるようにいきてくぞー。2021年9月6日季節を感じながら歳を積み重ねていきたいな。ありがとうがいっぱいつまった夏が終わり、ありがとうがあふれる秋がやってきた。2021年9月19日早くがんで苦しむ人がいない世界がやってきますように。2021年10月2日めっちゃ久しぶりに痛みを軽く眠ることができました、本当に幸せです。2021年10月7日車椅子をつかうようになって、ありがとうという気持ちがあふれる、、

上記について2021年ばかりのチョイス、しかも亡くなる直前のチョイスばかりになってしまっているが、どうしても、最後の年のツイートに私の目がいく。ご了承いただきたい。彼はどの年にも感謝のツイートをちりばめられている。彼のツイートに、生きる、に、生きた証、に、ふれてほしい。

そして、

2021年10月10日昨日どうしてもいきたかったビーバーのライブにいった。生きててよかった。今日もいく。

この、ツイートの、スーパービーバーライブ名古屋1日目。わたしはその日、彼に最初で最後の出会いをした。SUPER BEAVERのライブを口実に彼にあいにいって、会話をした。彼の人生の5分くらいだが、直接視界にいれてもらった。私はキラキラした、瞳の彼を直視できなかった。隣には笑顔の素敵な妹さん。私は離れた席から、舞台をみたり、彼らの席をながめたりして、感情を解放した。(あの光景が涙をひきつれてくる。また、一旦、執筆を止めたいと思う)


何千とあるツイートの何百分の一のピックアップしかできていない。でも彼なら笑顔で許してくれる気がしてやまない。あなたをわすれません。

いきるとはなんだろう。彼から命がけでまなばせていただいた。

彼の世界一好きな曲、SUPER BEAVERの、美しい日、が彼に届きますように。

最後まで、よんでくださりありがとうございました。何度も書きますが、彼のツイートの100分の一も掬えてません。彼のツイートに触れてみてほしいです。きっと、きっと、きっと、生きていくことを感じられます、背中を押してもらえます、どうか、どうか、どうか、彼の生きた日々が、美しい日になり、空に散りばめられますように。

クロさん、ありがとう。
クロさん、大好きだよ。
クロさん、これからもよろしくね。

彼が好きだったコーヒーを飲みながら彼に、空に思いを馳せたいとおもいます。彼のツイートの写真にあったもの。後ろには彼の愛する愛犬。二匹目がきたときのこともツイートしている。2019年8月17日新しいお友達、マルチーズとトイプードルのミックス。仲良くしてほしいな、、と書かれている。二匹の写真も沢山アップされている、、本当に大好きな家族だったんだろうな。。

ありがとう、クロさん。
痛みから解放され、ゆっくり休まれてくださいね。

クロさんのお母さんから、言葉をいただいた。

息子と出会ってくださり、ありがとうございました。


涙がこぼれた。決して寂しいだけの涙ではない。出会わせていただき、本当にありがとうございました、、、
              

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