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とてもわかるNote

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#宗教

他人の心まで一律に「正しく」したがる全体主義者たちのこと

他人の心まで一律に「正しく」したがる全体主義者たちのこと

 というわけで、5月も終わりである。なんだかあっという間のひと月であった。

 これはリンクした過去記事に詳しく述べてあるとおりのことであって、従来から何度も語ってきた話ではあるのだけど、今月の諸エントリに通底する問題意識に関わるテーマでもあるので、新たな観点も入れながら、いちおう再説してみることにしよう。大切なことは、やはり2回でも3回でも、繰り返し書いておいて悪いことはない。

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「狂う狂う」と警告するのはいいけれど

「狂う狂う」と警告するのはいいけれど

 先日の Youtubeライブ放送で「非リア充なのでGWがきつい」という旨のコメントをしてくれた方がいた。もちろん、このコメントが「ガチ」なものなのか、それとも(インターネットの作法に則った)「ネタ」なのかということは不明だが、放送中にもいちおう応答した話ではあるし、一般論としていいたいこともないわけではないので、noteのほうでも少しコメントしておきたいと思う。

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彼/女たちは、何を「保守」して、どこに「同化」してほしいのか

彼/女たちは、何を「保守」して、どこに「同化」してほしいのか

 note更新再開も5日目になって、やっとペースがつかめてきた感がある。文章を書くということのためには、その内容ごとに独特のリズムを身体に起動させる必要があって、そのリズムを久方ぶりに想起しようとすると、やはり一定の時間はかかるのだ。

 一昨日、昨日と、つい(私自身の立場でもない)「保守」について長々と書いてしまったのだが、こういうことに私が関心をもつのも、上のツイートで紹介した記事にふれられて

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「人権の真の理解」なるものを誰が有しているのか

「人権の真の理解」なるものを誰が有しているのか

 昨日のエントリでは「人権の新たな基礎づけ」の問題についてふれたけれども、そのことに関連して思い出すのは、「人権観念の基礎にあるのは共感だ」といった言説である。

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教理的に正しいとは必ずしもいえない対応が、宗教を支える機序について

教理的に正しいとは必ずしもいえない対応が、宗教を支える機序について

 楽しく進行中の『仏教と儒教』読書会であるが、そこで「僧侶は世俗的問題に関する相談について、どのように対応すべきか」という話題が出た。

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