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何で結婚したら奥さんがご飯を作るんだろう

我が家の食生活は、いわゆる一般的な子あり家庭のものとは大分変わっており「夫婦別食」を基本としている。
正直メリットもデメリットもあるのだが、こんなやり方もあるよと気軽な気持ちでシェアしたいと思う。

菜食と非菜食

「夫婦別食」生活の理由で最も大きいのは、夫が菜食人、つまりヴィーガンであることによる。
ヴィーガンはここ数年日本でも流行してきたためご存知の方も多いかもしれないが、肉魚はもちろん、卵や牛乳、出汁などに至るまで、動物性の食品は全て口にしない、最もハードなタイプのベジタリアンのことである。

多くのヴィーガンがそうであるように、夫も以前は非菜食だった。世の中で一番好きな食べ物はチーズで、肉も私以上に食べていた。
そんな彼がヴィーガンに転身したのは、第一子が産まれてからだ。

「この子のためにも長く生きたい」という気持ちが芽生えたらしい。元々、肉食だったものの動物愛護の精神があったことも重なり、彼は残りの人生をヴィーガンとして生きていくことを決めた。

ヴィーガンの夫との暮らし、そして私のヴィーガンに対する考えは、ちょうど今「菜食への疑問に答える13章」を読んでいるので、その感想と共に別エントリで書こうと思う。


私自身は彼がヴィーガンになった後も、変わらず肉や魚を食べている。だが、彼の選択を心から素晴らしいと思っている。私もできればそんな生き方がしたいと思うほどに。だが、まだ実際にはその勇気は沸いていないし、しばらくは非菜食の生き方を辞めるつもりはない。彼もそれは理解してくれているため、子供にも肉魚はそれなりに食べさせている。
お互いの主張や生き方は違えど、家族としてうまくバランスを取りながら生活していきたいと考えている。

育った国の違い

また菜食に関わらず、私たち夫婦は育ってきたバックグラウンドがあまりにも違う。
カナダ育ちの彼と日本育ちの私の食意識、そして味覚の好みは、もうこの歳からではどうにもできないほどに違う。
私は彼の好むスパイスの効いた味の濃い料理も大好きだが、やはり毎日ではうんざりしてしまうし、カナダに数週間滞在するときは、毎度出汁の味が恋しくて恋しくて、移住は絶対に無理だ…と心が折れる。

一方彼も、味の繊細さがウリの日本料理店などに行くと、不味いとまでは言わないが物足りない顔である。
非菜食の時には寿司屋に行くたびに、ネタの上にマヨネーズを乗せてもらっていた。
私からすると(多くの日本人がそうだろうが)「なんて事を!!!」な事態である。素材の味を楽しむような発想は外国人だから…というわけではないが、少なくとも彼にはない。

もちろんこれは、どちらが正しいとかの話ではなく「違い」にしか他ならない。
結婚した以上、どうにかして受け入れていくしかないのだ。

夫婦別食な日々

理由が長くなってしまったが、「夫婦別食」生活とはどんなものかを説明したいと思う。
その名の通りなのだが、私と夫は「自分が食べたいものを、自分が食べたい時に食べる」スタイルだ。
またそれに加えて「自分で作る」というのも追加される。
子供のものはどうしてるの?と訊かれることもあるが、子供の食事はどちらか手が空いた方、もしくは気が向いた方が作るようにしている。
「している」というより「そうなった」という方が正確かもしれない。

例えばある日の一日を説明する。
朝は夫が、息子にピーナッツバターとバナナの乗ったトーストを作ってやる(我が家の子供の朝食はこれと、オートミールとの二択である)。
夫は豆乳入りの紅茶を自分で淹れ飲んでいる。食事は摂らない。
私は第二子の授乳を終えたあと、のろのろとキッチンに向かい、その時食べたいものを適当に食べる。トーストだったり、昨夜の残りのご飯だったり…最近は肉や野菜がたっぷり入った具沢山のスープを作って食べることが多い。

昼食、子供は保育園で給食を(肉も野菜も食べるが、牛乳だけはNGにしてもらっている)、彼は家から持っていったオートミールを職場で作って食べる。
私は朝大量に作ったスープに加えて、素麺を茹でたり、冷食をチンしたり、その時の気分でまた食べたいものを食べる。

夕食は先ずは子供が優先だ。以前のエントリ「産後半年で職場復帰した私が、生産性最大化のためにやった10のこと」で書いたように、我が家の子供のご飯は基本ワンプレートなのでパスタや丼などにすることが定番だ。
夫が作る料理は、いつもこれは1週間分かな?それとも10人家族用かな?と突っこんでしまうほどに大量である。なので、彼の作った料理が「食べたい」ときは、私も家事の手間を減らせるし、子供と一緒に頂くことにしている。
が、逆に食べたくない時には徹底的に食べない
例えば代理肉として人気の大豆ミートという、豆でできた肉風の食べ物があるのだが、私はその味が大嫌いで、彼が大豆ミートのからあげやチリを作ったときは絶対に食べない。
また、彼は料理がかなり上手いのだがそのメニューには相当偏りがある。
メキシカン、カレー、麻婆豆腐、パスタ、野菜スープ、フレンチフライ、大体このローテーションなのである。
同じものを食べ続けてもどうやら飽きないタイプらしい(男性に多い気がする)。
一方私は毎日違うものを食べたい、色んな味を楽しみたいタイプだ。かつ、最も好きなのは和食。
菜食、非菜食にこだわらず、和食メインで自分が食べたいものを作って食べる。

こんな感じなので、子供はパスタを、夫はブリトーを、私は煮物を食べている…というようなチグハグなディナータイムができあがる。
しかも、食べる時間も微妙にバラバラ。私の料理が終わったら夫が料理を始めて…と五月雨式である。
ダイニングテーブルは一応あるのだが、私は次男の面倒を見ていることもあり、ソファで食べることも多い。
家族全員で食卓を囲むという、一般的な日本の夜ご飯風景とはかなり違う。

「夫婦別食」のメリットとデメリット

この「夫婦別食」スタイルにはメリットもデメリットもある。
先にデメリットから説明しようと思う。私が考えるマイナス点は以下の3点である。

1.効率の低下
同じ食べ物を大量に作った方が、食材の買い物、使用、調理の時間、洗い物全てにおいて効率がいい。例えばビュッフェや給食という食の提供スタイルは、大量に同じものを作ることで、様々なコストを下げている。それと比べると我が家の食は完全オーダーメイド食。効率はどうしても劣ってしまう。

2.食材の使い切りが難しい
これは「夫婦別食」というより菜食、非菜食の問題かもしれないが、夫が全く肉を食べない、かつ子供もあまり好きではないので、1人ではなかなか買った食材を消化できなくなってしまう。
また大量に買った方が安いが、その後のことを考えるとやはり高くても少量パックを選ぶようになった。冷凍して保存することはできるが、面倒臭がりの私にはその手間がやや不便に感じてしまう。

3.子供が親のご飯を欲しがる
子供は欲張りだ。自分のご飯を食べた後なのに、私や夫がその後食事を摂っていると、かなりの確実で「欲しい!食べたい!」と言い出してしまう。
食べさせていいものであればいいのだが、辛みの強いものなど中々子供に分け与えにくいもののときが難しい。親ばかりいい物を食べているように見えるのだろうか、子供がぐずりだすのでその対処の時間を取られてしまう。

また、これはデメリットだとまだ断定できないのだが、子供の食育、教育にとっては微妙なのかもしれないな?と懸念はしている。家族で同じものをワイワイと摘みながら食を共にすることで、豊かな心が育まれるということがあるのかもしれない。
我が家のスタイルは情操教育的に良くない!と言われるかもしれない。
ただ、こういったいわゆる文化や風習に関しては「そうあることが正しいのだ」という何の根拠もない論説も巻き起こりがちなので、いまいちまだ私には判断できずにいる。
ちなみにバラバラに食べているとはいえ、我が家の食卓に会話がないわけではない。静まり返った寂しい食卓になっているわけではないので、そこは追記しておく。

続いてはメリットについて述べたいと思う。

1.献立に頭を悩ませない
家族分のご飯を作らないと…と思うと、それぞれの趣味や希望を考えながら献立を検討しなくてはいけない。自分は汁物はいらなくても、夫が絶対に必要だ!と主張するタイプなので渋々作っている、いう方もいるだろう。味の好みも違うと、より難儀である。

私は以前レシピサイトの会社に勤めていたが、そこでも利用者からの「毎日の献立を考えるのが苦痛」という声がかなり多かった。
別食生活であれば、自分の好きにすればいいので、そんな悩みは解消される。
同じものを食べたければ毎日それだけ作ればいいし、嫌いな食材は買わなければいいだけだ。

2.食事の内容や家事分担で苛つかない
これが別食生活の最大のメリットだと私は思っている。それぞれが食べたいものを自分で作るので、食事に対して誰にも文句の言いようがないのである。
仮に料理に失敗して不味くても、自分が作ったのだからしょうがない。
副菜が欲しいなと思っても、自分が面倒で作っていなければ諦めもつく。
これが不思議と人が作ってくれることが当たり前になっていると、何故か皆ワガママになってしまう。
「この味付け濃くない?」とか「なんか今日の献立物足りないんだけど」とか「またこのおかず?」とか。

だったら自分で作れ!」と言うのは大正論で、苛々を募らせている主婦の方は多いのではないだろうか。別食生活ではこの類の不満は一切でない。
逆に相手が作っているものが食べたい時は「食べさせてもらっていいの?ありがとう!」という気持ちになるので感謝が生まれる。自分の家事の手間も軽減するという喜びも裏に隠されているからWで感謝する気になるのである。
ちなみに子供の食事もどちらが作るかは決まっていないので、自然と「今日作ってくれてありがとうね!じゃ私が洗い物はするわ」とお互いを労うようなやりとりに発展することが多い。
食事の内容だけではなく、家事の負担についても文句の出ようがないのである。

なぜ結婚したら奥さんが料理をつくるの?

そもそも、結婚するとどちらかが(多くの場合は女性が)食事を作るというのが当たり前になってしまうのは何故だろう。
確かに別食にしてしまうと、デメリット面で述べたような、非合理性はある。だけれどもそれを理由として今のライフスタイルを選びました!というようなカップルはあまり見たことがない。
皆何となく、結婚したら奥さんが作るのが当たり前だよねという風潮で日々を過ごしているように見える。

料理が大好きで、彼のために、家族のために食事を作るのが生きがいならばいいだろう。
でも、そうではない人が大半なのは前職の経験上知っている。
レシピサイトで検索されるもの、人気のレシピはダントツに「簡単」「時短」のもの。そして人気の企画は「献立検討の手間が減る」ものだった。
皆毎日ワクワクしながら献立を考えて、手の込んだ料理を作るのが幸せ!とは思っていないのだ。

「夫は料理ができないから」という家庭もあるだろう。でも結婚するまで料理ができなかった女性も多い。それがなぜ女性の場合は花嫁修行よろしく「結婚するから料理くらいできないとね!」と学びを強いられるのに対して、男性は「しょうがないね」と許されてしまうのだろう。

これは料理だけではなく、洗濯や掃除など他の家事においても同じことが言える。
基本的に我が家は「自分のことは自分で」スタイルなので、このあたりのことで喧嘩になることは一切ない。むしろ上記のように「え?私のまでやってくれたの?ありがとう!」というコミュニケーションに自然となる。
家事や育児に対する不平等さからくる不満や諍いは、普遍的な夫婦問題のテーマになっているが、果たしてどれくらいの夫婦が、結婚の時にそれを話し合っているのだろう?
自然な流れで家事は奥さんがすることになったのか、それとも収入と比例した家事分担にするように計画したのか、など私にとっては物凄く不思議である。

「美味しいご飯つくるね」の違和感

だからこそ、私は結婚式などでよく見られる「これから美味しいご飯を作るね」というスピーチが苦手である。人前式の誓いや、ファーストバイトの掛け声としてよく言われるが「ねぇ本当に?本当にあなたは家族の食事を毎日作ることが生きがいなの?」と疑問を浮かべてしまう(もちろん本当にそういう夫婦もいるとして)。
確かに料理は家事の中でもクリエイティビティが高く、面白い。
かくいう私もレシピサイトで働いていたくらいだから、料理は割と得意な方だし好きである。
だけれども、毎日毎日何食も料理をし続けることが好きとは言えない。
どちらかというと、男性がたまの休みの日に原価など無視して凝った料理を作り「俺って料理できるんだぜ!今日は魚から自分で釣って、アクアパッツァ作ったぜ!」と自慢している感覚に近い。

日々の料理は通常もっと地味で単調だ。魚釣りからなんてとてもやってる暇はないし、食費も無限には使えない。栄養のバランスだってあるし、そもそも冷蔵庫にある食材を使い切らないと…というところから献立の計画が始まる。
料理好きと、日々の料理が生きがいというのは似て非なるものなのだ。

新しいライフスタイルとして夫婦別食もありかも

というわけで、ゴリ押しするわけではないが、夫婦別食のスタイルも新しい家族の生活としてはアリなのではないかと考えている。

旦那さんの仕事が遅いから物理的に無理…なんて、ケースも多いだろうが、それでも工夫する余地はある。何てったって私は子供が産まれる前、毎日深夜帰宅…なんてくらい仕事が忙しい時期があった。
確かに当時夫が作った料理を食べることが多かったが(その時はまだヴィーガンじゃなかったし)それでも、夫が作るのが当たり前!とは思っていなかったし、空いてる時間で何とか努力をして作り置きなどをやっていた。

少なくとも、結婚の時に「奥さんが作るのが当たり前」ではなく分担や役割について話し合う機会を持つといいと思う。
合理性のある納得感があればとても良い。

さて、今夜は夫が仕事で遅いため、子供のご飯も含めて私が夕食を作らねばならない。
確か一昨日夫が作ったベジタブルカレーがまだあった。とりあえず子供にはそれを与えて手抜きすることにしよう。

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