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【2%しか知らない石油王の歴史‼】ロックフェラー家の起源と繁栄を分かりやすく解説‼

現在最も一般的に使われているエネルギーといえば石油です。

石油は19世紀後半に利用法が理解されると、次々と油田開発され今でも主要エネルギーの一つ。

当時この石油事業に投資をし、石油王として君臨した人物それがジョン・D・ロックフェラーです。

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この物語はジョン・D・ロックフェラーと一族がどの様に発展し、歴史を築いてきたかを解説。

ロックフェラーは日本を敗戦させ、植民地支配しているという史実にも直結しています。

第1章

ロックフェラー家は貧乏から始まる

ジョン・D・ロックフェラーは1839年ニューヨーク州のリッチフォードで6人兄弟の2番目として生まれた。

(父)ウィリアム・エーヴリー・ロックフェラーと(母)イライザ・デイヴィソンにとって初の男の子。

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ジョン・D・ロックフェラーの家庭環境は大変特殊。

「薬草医」を自称していた父、ウィリアム・エーヴリー・ロックフェラーが怪しげな健康食品・薬を売って生計をたてていた。

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ウィリアム・エーヴリー・ロックフェラー(父)

・父は家庭を考えないだらしのない男

・頻繫に家を空けては放浪癖がある

・一家にいつも貧しい生活をさせていた

・セールスマンとしては超一流

イライザ・デイヴィソン(母)

・熱心なキリスト教徒

・聖書の教えを優先

・毎週日曜日は教会へ

・奉仕活動も行っていた

・子供の世話、お金の管理をする

ジョン・D・ロックフェラー

・七面鳥の売買

・ジャガイモの売買

上記の商売で長男ジョン・D・ロックフェラーが貧しい一家を支える。

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父にビジネスの心得、母に生活のノウハウと【心】を学ぶ

ある日物販に関して父に教えを受けた。

父「ジョン。物売りは小皿を大皿に変えろ。」

この意味はシンプルで価値の小さな物を価値の大きな物と交換して利益を取るという意味。

それ以降のジョン・D・ロックフェラーは利益率の高い、有利な取引を考えていく。

母には聖書を基本とした多くの教育を受ける。

母の教育の影響から生涯を通して奉仕活動、事前寄付を積極的に行った。

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そして倹約というとても大事なことを母から教わる。

倹約 むだをはぶき費用を切り詰めること

ビジネスマンとして優秀な父。

宗教の教えを大切にという母。

反対の考えを持つ2人に育てられたジョン・D・ロックフェラー。

ビジネスと奉仕両面で歴史に名を残す世界的な人物となる。

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D・ロックフェラーは博打ではなく確実な利益へ投資

1855年アメリカの先住民族が、薬として使っていた黒い液体がありました。

この黒い液体とは発掘されたばかりの石油。

これを精製してランプの油として利用したところ、大変よく燃えることが分かりました。

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元々石油は古代から発見されていましたが、エネルギーとしての価値はありません。

それはドロドロとした怪しげな雰囲気、燃やすと発生する有毒ガスの影響です。

しかし黒い石油を次の工程を行うことで利用出来ることが分かった。

・不純物の多いドロドロの石油

・精製してきれいでサラサラの状態にする

・無害な燃料になる

こうして石油の正しい利用方法が開発。

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石油の利用価値が生まれると、アメリカ各地で油田の発掘調査が行われる様になりました。

1859年8月27日、エドウィン・ドレークによりペンシルベニア州のオイル・クリークで原油の掘り当てに成功。

こうしてペンシルベニア・オイルラッシュの中、その将来的な価値に早くから気が付いたのがジョン・D・ロックフェラーです。

多くの人々が【原油発掘】という一発逆転の大勝負に賭ける。

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しかしジョン・D・ロックフェラーは一発逆転の大勝負には全く関わることはしませんでした。

彼が考えたのは【原油発掘】後の石油市場の流れについてです。

発掘後の石油の精製する会社を作れば、確実に儲かると考えていました。

発掘されたばかりの石油はドロドロで使い物になりません。

必ず【精製する】という工程を踏むしかないのです。

つまり石油を売ることができるのは精製会社であり、その量や価格をコントロール出来ると考えました。

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ジョン・D・ロックフェラーは当日20歳で製造委託会社【Hewitt & Tuttle】を経営。

ペンシルベニア・オイルラッシュの中でその会社を手放して、石油事業に専念することを決断しました。

そして1870年1月10日にジョン・D・ロックフェラーはスタンダード・オイル・オブ・オハイオ(スタンダード・オイル)を設立。

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このスタンダード・オイルの設立こそがジョン・D・ロックフェラーが【石油王】と呼ばれるきっかけになります。

スタンダード・オイルは競合他社の【買収】に力を入れていきました。

高品質製品が提供可能になるとスタンダード・オイルは、劣った会社を買収して勢力拡大。

ジョン・D・ロックフェラーは競合他社に対して、自分の会社との差を数字にし買収を持ち掛けたのです。

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それでも応じない会社は、倒産寸前まで追い詰め、株価暴落後に安く買い叩きました。

ジョン・D・ロックフェラーは石油の卸売業者や販売代理店などの仲介業者を排除。

排除により石油市場に流通する石油価格までもコントロール可能にした。

この戦術を繰り返すことで、19世紀から20世紀にはアメリカ石油産業の約90%を独占。

1890年に成立した米国最初の独占禁止法(シャーマン法)により、スタンダード・オイルは30社に解体されました。

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解体したことで力が分散し逆にそれぞれ子会社の株価は急騰。

ジョン・D・ロックフェラーの資産は5倍以上に膨れ上がる。

一番多かった時でアメリカのGDPの約1%の資産を所有していました。

GDP(国内総生産) 国が1年間に儲けた数値

世界的石油会社に【エクソンモービル】や【シェブロン】という会社がありますが、全ては【スタンダード・オイル】が分裂した会社。

今も存在感を示しているジョン・D・ロックフェラーですが、アメリカ産業の史においてまさに【石油王】に値する人物。

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学校よりも親の学びと経験で子供は無限に成長

話しをまとめて行きましょう。

皆さん教育にたくさんお金をかけていませんか。

本当の教育の価値とは、親の経験と学び、そして何よりも子供と共に時間を過ごす。

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これが一番の教育という事をロックフェラー家に学べるのではないでしょうか。

2章ではジョン・D・ロックフェラーが学んだ、母の教えた慈善活動での影響を書いていきます。