見出し画像

【紙幣価値がなくなる⁉紙幣の歴史と国際金融資本をわかりやすく】始まりはモンゴル帝国

雪学園チャンネルの雪です。

結論から申し上げますと

元王朝時代(モンゴル帝国)の交鈔(こうしょう)が世界の紙幣の始まりだった

紙幣が明日から使えなくなるという日が来る事を想像した事がありますか?

「国が保証し、皆がそれを信用しているからお金としての価値がある」からです。

世界的によく使われているのは、ドル、ユーロ、円です。

 これは世界中の人々がこれらの通貨を通貨として信用されているからです。

画像1

画像2

しかしこの通貨としての価値が、近い将来無くなる可能性があるという事を紙幣の始まり、モンゴル帝国の時代の背景、仕組みと共に解き明かしていきましょう。

モンゴル帝国の歴史についてはこの本を参考にしております。

文字ばかりでは無く写真なども多く、読みやすくなっていますので是非ご購入お願いします。

モンゴル帝国が強かった大きな要因は報酬だった

ヨーロッパの兵士の報酬は生きていないともらえない

ヨーロッパの兵士はほとんどが傭兵でしたので、もしも亡くなったら給料はもらえず、ケガをしたら次の戦いで値段を叩かれるのです。

だから戦いになるとみんな逃げてしまい、まともに戦うのはほんの一部だったのです。

まさに現代のヨーロッパの会社と一緒で自己責任だったのです。

画像3

モンゴル帝国は必ず本人がいなくても家族がもらえる

モンゴル帝国は、まず制圧した城塞都市の財宝をすべて奪いました。

その後兵士の報酬は将軍が2%もらいの部下に2%渡し、さらにその下の部下全員に2%をあげるという形をとり、全員に報酬を受け取れる仕組みでした。

それだけではなく亡くなったとしても確実に家族に届けられました。

モンゴルの戦いに参加すれば確実に儲かるとなればみんな参加しますし一生懸命戦います。

戦いのモチベーションが全く違ったのでモンゴル帝国に勝てるはずがありません。

画像4

傭兵業で儲けた王の資産を運用したのは国際金融資本

この傭兵というシステムはその後も大変大きなビジネスとなり、ヴィルヘルム1世は18世紀に王宮の兵士を鍛えて、イギリスに傭兵として貸し付けて大変儲けていました。

画像5

この様にヨーロッパではほとんどが傭兵という事が分かります。

そしてヴィルヘルム1世が儲けた財産をマイアー・アムシェル・ロートシルト(ロスチャイルド)が運用する事になり、後の国際金融資本の一部ロスチャイルド財閥の基礎となっていきます。

画像6

モンゴル帝国は制圧後文化、宗教、交流は自由とした

画像7

13世紀モンゴルが支配した地域はこれですが、実際はこの中にある数々の城塞都市[都市国家(ポリス)〕を制圧していったのです。

制圧してからはルールを決めて宗教などは基本的に自由でも、通行税を取ると言うものでした。

商人や人々が城塞都市間の移動よって商業が発展して、東西の文化は合流していき、最終的に合衆国のようになっていったのです。

画像8

各城塞都市を収めたのはたった三人のモンゴル人

そのうちモンゴル帝国が征服した各城塞都市に、三人のモンゴル人を派遣していた。

この三人が事実上その城塞都市の交代制の国王になりました。

この三人によってその城塞都市の完全に管理されました。

たった三人のモンゴル人がなぜ管理できたかというと、国王に何かあったらモンゴル帝国の軍隊が攻めてきて、一気に滅亡させてしまったのです。

画像9

滅亡させられたのは以下の通りです。

1218年 ナイマン王国
1218年 西遼
1227年 西夏
1231年 ホラズム・シャー朝
1233年 大真国
1234年 金
1240年 ルーシ大公国
1258年 アッバース朝
1279年 南宋

水を求めて城塞都市に来た商人から通行税を取る

モンゴルが支配していた地域は当時も砂漠が段々と広がっていた為、どうしてもオアシスを囲んで城塞都市ができていきました。

この城塞都市の形を利用して税金を取るようになったのです。

城塞都市の間を商人が行き来していて水を求めて立ち寄った時に、モンゴル帝国が発行した通行手形を見せる事で一定の金額の税金を徴収する事の出来るシステムです。

紙幣の歴史の始まりがモンゴル信頼の交鈔(こうしょう)

下は元の時代の交鈔(こうしょう)です。

画像10

これに書いてある額を払うのです。

交鈔が次第に通貨としての価値が出てきます。

なぜかと言うと交鈔を見せ、書いてある千円払うとしたら、交鈔に千円の価値があると言う事です。

だとしたら交鈔を渡せばいいのでは?

という考えになっていき当時のモンゴル帝国の人口1億2千万人の通貨として使われるようになりました。

モンゴル帝国が価値を保証する紙の交鈔が紙幣の始まりになります。

画像11

ペストによってモンゴル帝国は分解し無人城塞都市を朱元璋が支配






当時の中国から1348年から1420年にかけて断続的に流行し当時の中国からペストが発生しました。

ぺストによるモンゴル帝国への影響は人口は2千5百万人まで減ってしまいました。

画像12

モンゴル帝国はペストの流行によってほとんど力をなくしましい、今のモンゴルの高原に帰っていきました。

画像13

歴史的に伝染病で1つの文明が終わると言うのは、決して過言ではありませんね。

そして誰もいない城塞都市に朱元璋(しゅげんしょう)が現れて作った国が明国(みんこく)です。

画像14

画像15

日本では疫病が蔓延しなかったのは手を洗う習慣があった

世界的流行であったのにも関わらず、日本では全く流行らなかったのは、島国だからではなく、人が集まる神社では手を洗う習慣があったからです。

同じ島国のイギリスの人口は1348年の481万人~1351年には260万人に減少してしまいました。

画像16

海外との関係も12世紀~14世紀は日宋貿易、日元貿易、日明貿易と盛んに貿易もしていました。

飛鳥時代後半の頃から、朝廷の要請や日本の情報配信は神社で行われていた為、人々はどうしても神社に集まる習慣がありました。

神社に行くと皆さんお清めの為に手を洗う習慣がありますね?

当時から感染症は接触して感染することが分かっていたのです。

感染症対策の為に作られたのが手水舎です。

画像17

日宋貿易

平安時代に日本へ宋銭、陶磁器、絹織物、薬品、美術品が輸入された。

銅、硫黄などの鉱物、木材、日本刀などの工芸品が輸出された。

日元貿易

南北朝時代にモンゴル帝国に金、銀、銅、水銀、硫黄、刀剣、扇、螺鈿・蒔絵製品を輸出。

モンゴル帝国からは銅銭、陶磁器、茶、書籍、書画、経典、文具、薬材、香料、胡椒、金紗、金襴、綾、錦の輸入。

日明貿易

室町時代で輸出品は刀剣・硫黄・銅など。

輸入品は銅銭、生糸・絹織物など。

画像18

価値はモンゴル帝国の紙幣からオスマンの金(ゴールド)へ

オスマンはウラジオストクで日本からの金を輸入していた

紙幣はモンゴル帝国が空中分解していく中で、今まで通貨として使われていた交鈔はモンゴル帝国が保証していた事で価値がありました。

モンゴル帝国の存在が無くなってしまうことによって紙切れのような存在になってしまった。

モンゴル帝国の時代、ウラジオストクに商人(シルクロード商人)を派遣して日本と貿易をしていました。

画像19

その貿易の内容はモンゴル帝国では砂漠が多く、砂漠ではガラスが取れるので日本で取れる金(ゴールド)と交換すると言う内容でした。

画像20

砂漠のない日本にはガラスが無く金(ゴールド)と交換した

当時の日本では金は大量にありましたが、ガラスは全く取れない為大変価値がありました。

その証拠に正倉院にガラスが保管されています。

画像21

砂漠では雷が落ちてその後に行くと閃電岩(落雷したあとにできる、ニンジンに似た形状の天然のガラス管)が落ちていました。

閃電岩を集めて熱を加え、膨らませる事で陶器を作っていました。

画像22

火山大国日本には金(ゴールド)が大量に採掘出来る

日本では全国で活火山が108山あり、世界の活火山の7%を日本が持っています。

金は火山帯で作られるもので、マグマの中から溶け出した金や銀が含まれた熱水が、さらに上昇することで温度が急激に下がり、金や銀の含まれた岩石が出来るのです。

国土技術研究センターから

画像23

日米和親条約から金(ゴールド)は国際金融資本の支配へ

日本はマルコ・ポーロ『東方見聞録』などで「黄金の国」と呼ばれていたのも、日本には大量の金が出回っていたからです。

画像24

しかし、1854年の日米和親条約から日本の金は大量に流出していき、20世紀には完全に国際金融資本に支配されてしまいました。

日米和親条約

簡単に言うとメキシコ銀貨と慶長小判(金)を入れ替える。

画像25

日本との金(ゴールド)の貿易をきっかけでオスマン帝国が生まれる

日本と貿易をしていたのがオスマン家であり後のオスマン帝国の初代帝のオスマン・ベイです。

画像26

シルクロード商人を使いウラジオストクへ行き日本と一度取引をするだけで一生遊んで暮らせるだけの金が手に入ったのです。

その取引を何度も繰り返して大量の金(ゴールド)を貯め込んでいきました。

そして大量の金(ゴールド)を持っている人の所には大量の人が集まり、大きくなって行ったのがオスマン帝国です。

画像27

紙幣の歴史の転換点は信用が金(ゴールド)へ

紙幣の価値はまったく無くなり、信用はオスマン帝国の金(ゴールド)に変わって行き、金(ゴールド)の力によって大陸を支配していきました。

そしてあまりにも金を持ち過ぎたオスマン帝国は、当時の城塞都市の特に信用と実績、資金力のある業者達に預ける様になりました。

それが当時石業者を行っていたロックフェラーです。

大航海時代は国際金融資本の最初のビジネス

スペイン、ポルトガルが大西洋に進出

同じ頃、力のあったオスマン帝国がヨーロッパに攻めてきて、地中海を完全に侵略されてしまいました。

ヨーロッパの人達は地中海で全く儲ける事が出来なくなるどころか、膨大な税金や略奪によって、根こそぎ奪われて行きました。

画像28

地中海の西端のスペイン、ポルトガルが大西洋に進行を決めました。

ロートシルト、ロックフェラーが資金提供

ただし、船を造るのには大変お金が掛りその資金提供をスペイン、ポルトガルにしたのが、ロートシルト(後のロスチャイルド)とロックフェラーです。

船を造る資金をだす代わりに、大西洋に出て儲けた財宝の半分を、ロックフェラーとロートシルトが金利としてもらうようになりました。

大航海時代の偉人の真実は侵略者

金利を払う為に色々な所へ冒険して、大陸を見つけては虐殺し、植民地支配し財宝を奪ったのです。

マゼラン、コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ 、バルトロメウ・ディアスは英雄の様に扱われていますが、真実は財宝目当ての侵略者と言う事になりますね。

画像29

1521年にフィリピンのラプ=ラプ王がマゼランを拒否し殺害した理由が理解できますね。

これが大航海時代なのです。

侵略の対象に日本があり戦ったのが豊臣秀吉




ポルトガル、スペインの大航海時代での植民地侵略は、日本にとっても他人事ではありませんでした。

当時の日本では安土桃山時代で、豊臣秀吉の朝鮮出兵はこのスペインのアジア侵略から日本を守る為でした。

画像30

16世紀の始まり辺りから、キリスト教を広める為に日本にも宣教師が入ってくるようになり、同時に南蛮貿易(スペイン、ポルトガル)も行われた。

鉄砲など戦史を変える物の輸入の成果は大きいが、キリシタン大名によって火薬1樽を日本人女性50人を交換していたと言う事が分かりました。

その他にも世界ではフィリピンなど、どんどん侵略されているのも認知されていったのです。

侵略の最初の交流がキリスト教の信仰である事を知り、豊臣秀吉は1587年にバテレン追放令をだして朝鮮出兵へと繋がって行きます。

画像31

紙幣の歴史を見れば国際金融資本は陰謀論ではない

陰謀論と言う人達が沢山いますが、この様に歴史を見れば明らか過ぎるほど見えて来ますね。

戦前ではロスチャイルド、ロックフェラー、ユダヤの文字は普通に新聞にもしっかりと書かれていました。

画像32

画像33

こうしてヨーロッパの金融資本はどんどん大きくなって行ったのです。

もはや陰謀論が陰謀論だと言う事を知りましょう。

実体のない文字だけでお金を生み出す仕組みを信用創造

モンゴル帝国の金貸しから始まり、船を造る為にお金を貸す投資業へ代わり、現代の銀行業に発展していったのです。

ここで1つ大事な事を知ってもらいたいのですが、現代の銀行のシステムについてで、お金の悪の元と言っても過言ではない事です。

それは信用創造取引です。

画像34

銀行の信用が有るからこそできる仕組みで例えば私たちが100万円預けるとします。

100万円預けても、銀行で100万円を引き出す人は極めて少ないです。

そこでその100万円を元に他の人にお金を金利を付けて貸し付けて、どんどん儲けて行くのです。

この時貸し付けるお金は通帳などに数字を書き込むだけの万年筆マネーです。

簡単に言うといくらでも生み出すことが出来るのです。

連邦準備制度の設置により国際金融資本に紙幣を乗っ取られた





歴史から言うと、1913年にウィルソン大統領大統領が、ユダヤ系の資本家にFRB(連邦準備制度)を設立させられ、国際金融資本にアメリカの司法と資本を支配されてしまいました。

これがどういうことかと言うと、アメリカが紙幣を発行しようとすると民間銀行からお金を借りるしかない為莫大な金利が発生するのです。

画像35

この仕組みを変える為に民間銀行、通貨発行権に関わり暗殺、暗殺未遂に合ったアメリカ大統領達がいます。

第3代ジェファーソン、第7代ジャクソン、第16代リンカーン、第20代ガーフィールド、第29代ハーディング、第35代ケネディです。

世界経済は実体経済の成長よりも資本の成長が遥かに速い





このシステムにより現代は実体経済の何倍の株価が上昇していて、いわゆるバブルが引き起こされているのです。

画像36

緑は株価、赤は現金通貨・預金通貨、青は実体経済

このはじけるタイミングを国際金融資本は操作できます。

なぜかと言うと通貨の発行権を握っているので景気、不景気は思いのままなのです。

さらに言うと医療、食品、金融、石油、鉄鋼など私達の生活に関わる産業の大株主は国際金融資本なのです。

画像37

画像38

この人的操作によって引き起こされたのが1930年代に起きた世界恐慌なのです。

これにより第二次世界大戦への参戦には絶対的に反対派の当時のフーバー大統領は降ろされ、ルーズベルトが大統領になりました。

そしてニューディール政策により社会主義化していき、第二次世界大戦が引き起こされて行くのです。

日本銀行の設立はロスチャイルドで45%は非公開株主

日本銀行は政府が55%株を保有しています。

1882年にロスチャイルドのロンドン家三代目のナサニエルが松方正義氏によって設立させています。

画像39

45%は民間で非公開なので正確なものは分かりませんが、設立の背景をみると誰が保有しているかは想像はできるかと思います。

簡単に言うと日本の景気、不景気については、国際金融資本の影響が大変高いと言う事です。

画像40

紙幣の歴史的に現代紙幣の価値崩壊は間違いない

組織の信用があるから通貨の価値がある

13世紀に始まった紙幣ですが、なぜ文字が印刷されたただの紙にお金としての価値があったかというと、モンゴル帝国がその価値を認めていたからです。

モンゴル帝国が衰退していくにつれて紙幣の価値は下がり紙になりました。

画像41

この仕組みは今も全く変わっていません。

画像42

政府が認めた通貨としての価値がある紙でしかありません。

日本または日本銀行が破綻すれば、あるいはどこかの国の支配地になればその価値は失われるのです。

日本の価値は下がり続けている

確かに日本は自国通貨だから破綻はしないでしょう。

しかし、それは日本の信用が高い事が条件なのです。

日本の信用は2000年にAAAだったのに今はこれです。

画像43

それとともに国債利回りがどんどん下がっています。

画像44

そして2020年の疫病と日本政府の緊縮財政により、A+からさらに引き下がろうとしています。

噓ではなく財務省情報です。

財務省  外国格付け会社宛意見書要旨

たった十数年程度でこれが起きています。

この事からも紙幣の価値がなくなるのは遠くはないでしょう。

国債

国に直接お金を貸しているという事の証明書。

日本政府による資産凍結も起こっている

歴史的に言うと

1946年2月17日 日本 金融緊急措置令、日本銀行券預入令(預金封鎖と通貨切り替えと財産税です)

これにより財産を差し押さえられているのです。

画像45

1946年預金封鎖された時の金の価格です。

2021年には上がって来ています。

画像46

投資家の皆さんは少なくとも日本の預金封鎖の可能性を考えて円以外に投資をしています。

プロの投資家は近い将来あるとみているのです。

預金封鎖と紙幣価値暴落により貯金、家、子供達が危ない

ある日突然お金が引き出せなくなったらどうでしょう。

自分だけなら他に頼めば何とかなりますが、日本中でまたは世界中でそれが起きるんです。

貯金は差し押さえられ、ローン返済が出来ない、子供達が飢えで苦しむ.....

画像47

今そうなる可能性が多大にあり、歴史的にも確実に起こっています。

1946年2月17日 日本 金融緊急措置令、日本銀行券預入令

戦後の大不況で預金封鎖され、そして今疫病後の大不況が起ころうとしています。

財務省から

画像48

現金以外の資産を持つ事でそれを回避できる

債権や株式投資などの現金、貯金以外の資産を持つ事でリスクを分散することが出来ます。

もし預金封鎖されたとしても株式投資や債権を売ることによってリスクを回避するすることができます。

画像49

私も投資はギャンブルだと考えていた人間です。

しかし国際金融資本の存在、日本政府の国民イジメ、預金封鎖の事を知り目覚めました。

そして初心者でも株を買える投資信託を始めました。

もちろん株の暴落もありますが貯金は封鎖の可能性があり、全く増えないのに対して株式は貯金するよりも遥かに速いスピードで増えていきます。

それはお金が働いてくれるからです。

画像50

日経225のグラフです。

どんな恐慌があっても暴落しても株価だけは上がっていきます。

その理由はFRBが株価を自由に操作する事が出来るからです。

FRBの設立は国際金融資本です。

彼らは株式で大変大きく成長してきましたし、これからも成長して行くでしょう。

初心者でも株が出来るプロ任せの投資信託

投資信託は毎月貯金感覚で小額から投資ができる物です。

しかも投資のプロが運用している為信用できます。

投資信託

(みんなから集めたお金をひとつの大きな資金としてまとめ、運用のプロが株式や債券などに投資・運用する商品)

まずは証券口座を作りましょう。

画像51

投資は始めるのが早ければ効果が大きい

皆さん投資=PC画面をずっと見ているイメージがありますが、投資信託は全く違います。

簡単に言うと木を想像してください。

毎日水をあげて長い時間を経て大きな大木に成長しますね。

投資信託も一緒です。

画像52

毎月決まった額の水というお金をあげて数年後、数十年後に大きな金額に成長しているのです。

だから始める時間が早ければ早い程額は大きくなりますので、すぐにでも証券口座を開設して投資信託を始めましょう。

開設の仕方は別記事で紹介します。