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職人も人間ですので劣化します。だから劣化する前に弟子を育てる必要があります

「職人はキャリアが長いほどレベルが高い伝説」がありますが、事実は違います。

手仕事の職人もトシを取って体力も粘りも無くなるのは、人間だもの・・・で当然なのです。45歳を過ぎたらいろいろな所がヘタレて来て、劣化します。(分野による違いや個人差はありますが)

プロスポーツ選手ほど激しく顕著に劣化が仕事に影響する事はありませんが、プロの職人は肉体を酷使しますから、やはり加齢によって肉体的限界や仕事への精神的な限界が来るのは当たり前の話です。

なので、極力早めにその対策を打って置かなければなりません。

職人はトシを取るほど良くなるなんて幻想です。その人の成長のピークの途中までは、確かにキャリアを積んだ方が良いという事になりますが、ピークを迎えたその後は、自分ひとりで全てをやるスタイルの場合、肉体と精神の劣化の問題が直撃します。

なので、自分の制作人生の、どのあたりにピークを持っていけるか、いかにピークの期間を長く取れるか・・・という戦略も必要なのです。その辺りはプロスポーツと同じです。それぐらい、現場の職人仕事は厳しいものです。

劣化が遅い人・節制している人で「現役は」60〜65歳まで。それが現実です。(もちろん、なかにはもっと高齢でも上手くなり続ける超人もいらっしゃいますが非常に稀です)

長いキャリア自慢でマウントを取ろうとする老齢の人はだいたい、現実的な腕も感覚も判断力も落ちているのですが、本人がそれに気づけ無いほど劣化しているという事です。普通に、自分の老齢の肉親の衰えを観れば分かることでしょう?

それゆえに、中年期から始まる劣化を補佐するため・・・自らのキャリアをうまく使い、他人の手や感覚を自分のものとして使えるような「野太い制作姿勢を得る必要」があります。

自分一人でやるよりも、むしろ行き届いたものが出来るようにするシステム構築ですね。それはキャリアが無いと出来ないわけですから、キャリアが生きるのです。それが工芸の良さです。一人で全てをやるよりも、ずっと自分らしい作品を完成度高く作る事が出来るわけです。

それには自らの制作システムを理解し、仕事を分担出来る弟子を地道に育てるなり、ちゃんと若い人を育てている外注さんに自分のシステムを理解していただき仕事をお願いしたりするわけですが、それは現代、簡単ではないんですねー

昔のように、仕事がどんどん入って来ていると、弟子も成長が速いし、上手くなります。外注さんも、こちらの好みを把握してくれたりします。

しかし、仕事が少ないと弟子の成長が遅い。外注さんもこちらの好みを把握することが出来ない。当たり前ですよね。

そもそも、弟子の成り手がいない。

珍しく入って来ても、未来が観えないから辞めてしまいます。

特に伝統系は、長年修行をし、沢山の決まりごとを覚え、高度な技術を身に着け、厳しい基準を課され・・・その割に、お金にはほぼならないし、一部の権威以外は、特に尊敬されることもなく「好きだからやってんでしょ」という風にしか思われない・・・という未来しか無いのです。単純に「普通にやったら食っていけない」わけです。

なので、ある意味、頭の良い子ほど先が読めてしまうので見切りをつけるのが早いです。

それと、一般的な会社員のようなシステムでは無いので決まった休みも、決まった労働時間もありません。

だいたい長時間、密室にいるので、師匠と人間的な相性が悪いと辛い・・・弟子が、その仕事に向いていても、それが原因で辞めるというのは良くあります。そういう場合は、他所の師匠とは上手く行き、成長する場合もあります。

弟子が中途半端な覚悟なのも困ります。師匠からすれば、覚悟の無い人に手間をかけ、投資し、育てる気になれない・・・それなりに規模の大きな会社組織に出来ていれば別ですが、だいたいは師匠と弟子(一人、あるいは数人)ですから、人間関係が濃密にならざるを得ない。だから少なくとも、本気の覚悟が無いと困る。

また、人間関係が濃密にならないと「核心部分の伝達」がむづかしい・・・それが高度な手仕事の世界の困ったところ。。だから本気の覚悟は持っていないな、と思えば、本人がやりたがっても、辞めてもらいます。

ウチは15年ぐらいの間で、十数人目でやっと一人、プロとして社会に送り出せる弟子が育ち、独立しました。現在は工房内独立という形で、活動しています。

他所の、弟子を入れている所でも続く人がいない、ということですから、ウチだけ、なかなか育たなかったわけではありません。笑

なので、手仕事系の人で、自分の仕事を拡張するなり、手分けして分担、を考えている人たちは「必要だと思った時に手を打っても遅い」と考えた方が良いと私は考えております。

早め早めに対策が必要だと考えております。

もちろん自分の代でフェイドアウトして畳むんだ、という事であれば、そんな必要はありませんが、年金もアテにならない時代ですから、定年の無い自営業・職人仕事でもいかに生活費ぐらいは稼げるようにしておくか、という戦略は必要になりますよね。

弟子を育てようなんて思って活動しても、100やってもリターンは5あるか無いかですけどね。だからやらない、ではなくどんどんやって行く必要があるのです。プロレベルで通用する弟子が育つ可能性は非常に低いですが、しかしやらなければゼロになってしまうのです。

結局、人手不足やら後継者不足を嘆く現状の年長者たち自身が、正にその原因を作っていたわけです。

私は厳しく長い修業の達成者だ、と自慢している諸先輩がたが、自分がしてもらったように、若い人を長い期間投資して育てることをしないのですから。

長年の厳しい修行を終えた人は、どうしても「自分は厳しい修行に耐えた選ばれし者だ!」と思いがちで、そのことに自負を持ちますが、しかし、長期間「仕事の現場で修行させてもらえた」・・そういう環境があったこと自体が幸福だったのです。しかしそれには意識が行っていないようです。

自分はそうして育ててもらったのに。自分は後進にそうしない。

もちろん、生活的に無理をしてまでやるべきではありません。しかし、無理はしなくても、その人なりのことは出来るのではないでしょうか?

それをしなかったら先祖からずっと引き継いで来た種籾の分を自分で食べてしまうのと同じことです。

同じ後進に教えるのでも、この話題では「教室」とは違います。

教室は、引き継いで来たプロの技術や感覚をパッケージにして売る、ということですから「未来への伝承のための人材育成」ではなく、師匠が儲ける性質が強くなります。それは、種籾を自ら食べてしまうのと同じです。

(教室全般の否定ではありません。身を削って人々に工芸の楽しさを広く伝えるためにやっている人もいらしゃいますし、人生の豊かさのための趣味として素晴らしいし、それがキッカケになりプロを目指す人も出る可能性があります。プロが技術の切り売りでビジネスにする場合は、プロで通用する弟子を育てるのとは違うという意味です)

まあ、弟子募集と言いながら、授業料をがっぽり取る人も多いのですが・・・

内弟子を取ると、弟子に教える手間、弟子の分の雑費、弟子の失敗のフォロー、たまに反抗して来る弟子へのムカつきなどで、一時的に師匠の仕事は三倍ぐらいになります。だから、授業料を取りたいという気持ちは分かりますけどね。笑

それとか、一日体験のワークショップなどで、認定書を作って、日本中に僕の弟子がいます、なんてやっている人もいます。それは私の基準で言えば単純に「体験した思い出をつくった人」であって弟子ではありません。それはテーマパークの〇〇体験と同じものです。

もっと安易なものは、同業の若手に勝手に声をかけて、聴かれてもいないのにアドバイスをしたり、SNSのコメント欄やメールで勝手に絡んでアドバイスを押し付け、アイツはオレの弟子だとか方々で言い回るイタイ諸先輩方・・・もかなり多い・・・

そんな安易なことをしていないで、ご自分がプロとして通用するように育ててもらったように、あなたも後進をプロに育てる努力をしてよ、と思うのです。

私自身は修行も所属も人脈も無いところから、どうにかやって来たので、どうして諸先輩たちは自分がしてもらったことを後進にしてあげないのだろう?と不思議で仕方がありません。それで後継者がいないとボヤいても・・・

当事者意識が無ければ何も具体的なことは起こらないし、当事者意識が無い人が多い業界は滅びるのが自然です。


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