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民藝は三つに分離したと私は把握しております

「民藝」は、柳宗悦並びに賛同者の人々の発見した 価値観 / 鑑賞方法 である、と私は把握しております。

彼らはそういう発見をし、そういう創作を行ったという意味です。

それは現在でも生き続ける民藝の核心部分です。

(それについてのnoteの記事はこちら)

民藝というと「実用品である事」が強調されますが、実際にはそれは「柳宗悦とその周りの人々の美意識の下の位置に来るもの」です。

(民藝の定義)

しかし、民藝において「民藝的審美性」よりも「実用品である事」の方が優先事項であるようにした事が、現代における民藝の立ち位置の不確かさの原因なのだと私は考えています。(途中から変えるべきだったと私は考えます)

人為・人造物は「鑑賞・審美性」から逃れられません。

それが無い「人造物」は淘汰されてしまうのです。「人間の精神や感覚に魅力とされないものは忌避されるか、存在自体を認識されないか」なのですから。当たり前の話ですよね。

それを細かく説明すると

一般的な鑑賞・審美性=目による鑑賞で魅力を感じるもの
(注意・見た目がキレイという意味ではない)
肉体的鑑賞・審美性=使い心地が魅力的なもの
(注意・実用的性能が良いだけでは魅力にはならない)

という事です。

どちらも、審美性であり「目を通して、肉体を通して、感覚・精神で鑑賞されている」のです。これは分離する事が出来ません。

人は肉体の一部分、感覚の一部分しか使わないでモノの良し悪しを判断するでしょうか?鑑賞も肉体的実用も人間の感覚・精神が関わるのに、どうしてそれを分離して考えようとするのでしょう?元々分離出来ないのに。

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民藝の定義は「観賞用に作られたものではなく実用品である事」をメインに据えているので、本来は時代により変化して行かざるを得ない性質を持っているのですが、変わっていない所に無理が出てきています。

実質的な民藝のメインテーマは「観賞用として作られていないモノに宿った美は素直で健康で素晴らしい」という「民藝的美意識」の方です。こちらは時代による変化は少ないものです。

「観賞用ではない実用品として作られたもの」という部分と「民藝的美意識」とがキチンと接合されずに語られている事が、民藝の歪みの原因の一つではないかと私は考えます。

また「肉体的実用品」という変化の激しいものと「民藝的美意識」という普遍的なものが同じように語られてしまっているのも問題です。

民藝運動はその頃の、農村の農閑期の経済を活性化させるための経済活動も含んでいたので「観賞用に作られたものではなく実用品である事」をメインに語られてしまうのは仕方がなかったわけですが・・・

柳宗悦自身がその後の論理的整合性を取るための文章を書いてはおりますが、それはあまり広がっていません。内容が難解だったせいかも知れません。既に「いわゆる民藝論」で生活する人が多くなり、そういうアップデートを嫌ったのかも知れません。理由は私には分かりません。

民藝というものの存在意義が「民藝的美意識」ではなく「実用品である事」(私は肉体的実用品と呼びます)がメインになっている場合は、現代では困った事に、一番最初に「手仕事である事」という定義が消滅してしまいます。

それは・・・

例えば、機械による大量生産品が出て来たばかりの頃には「安いが手仕事のものより品質が悪い」というものでも、技術は進化しますから「安くて良いもの」に変化しますし、機械技術がさらに進めば人間の手では出来ない精度のものを安く大量生産する事が可能になります。

その途中経過として、機械生産品が「性能はそこそこレベルで手仕事品よりも価格が全然安い」という所に達すれば機械製で良しとする人が増えます。

電化製品が出てきて生活に無くてはならないものとなり、その進化も目覚ましく・・・電車や車、飛行機などの移動手段の進歩とその移動速度の上昇による行動範囲の広がり・・・それによる流通網の発展・・・

民衆の生きる社会では、あらゆる事が変化し続けます。技術や思想は進化し、流行りがあり、好みも変化し、新たなスタンダートとなるものが産まれ、存在意義を失い消えるものがあります。

「民藝」を「社会の肉体的実用品である事」をメインに語ろうとすると、常に変化しなければ「民藝の本質」を守れないわけです。

肉体的実用品は「多くの人を幸福にするためのもの」です。それは「廉価で使いやすく、多くの人々の役に立つもの」です。

そうなると、現代では「一番最初に淘汰されてしまうのが“手仕事である”事」なのです。

そういう風に考えて行くと、激しい時代の変化のなかで、現代“民藝”と認識されていて、かつ変化しない「核」になるものは結局(繰り返しになりますが)

「民藝的な審美性」

と言えるのではないでしょうか。

「民藝品」には元々「見た目の民藝らしさ」が求められていたのです。そこに人々は共鳴したから広がったわけです。実際にそれらは近代以降の日本人の心の奥にある郷愁を掻き立てます。それは「心理的な実用性」と呼べると私は把握しています。

そして、

基本的には民藝の理論に合致するものは全て民藝品ですが、実際には「柳宗悦の美の選別」を通過したものだけが「民“藝の内側」に入れて「民“藝”品」となり、それ以外のものは「ただの民品」に分かれていると思います。

なので

【民藝の定義のいくつかに当てはまり、かつ民藝的審美性を持ったもの】が事実上の「民藝品」です。

私は

「あらゆる人造物は、その役割を失っても最終的に審美的に愛されたものが受け継がれ残る」

という把握をしているのですが、当然それは民藝においても当てはまる事だと把握しております。(繰り返しますが、審美的に優れている=魅力的であるという意味であって、キレイという意味ではありません)

民藝は、人為の一分野ですから、その人為と人造物の摂理から外れる事は出来ません。

実際、柳宗悦自身も「目の実用」という事を言っており、使い込まれた味わい深い道具に、実用とは離れたオブジェとしての価値を与えたりしているのです。

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そういう流れを踏まえて「現代の民藝」とは何かを観察・考察すると

1)柳宗悦を中心とした民藝運動の中心人物たちが好んだ審美性を踏襲した作品を作る「工芸作家」の作品、あるいは民藝的審美性を持った骨董品

2)現代の実用的な道具全て=現代の民芸品=電化製品、工業製品、デジタル機器、100均の商品も含めた生活実用品全て。手仕事である事は問わない

3)観光事業に組み込まれた「ご当地お土産品」

の三つに分かれていると思います。

「民藝」という捉え方が始まった頃では、ものづくりの環境がシンプルでしたから、上記の三つをだいたい一つとして捉えるのでも良かったわけですが、時代が移り、社会が変わるとそれぞれの輪郭がハッキリして行ったわけです。

・・・手作りしか無く、生産数も少なく、流通の速度も範囲も現代のようには無かった時代は、曖昧に一つにまとまっていたものが、技術や経済や流通の進化、民衆の好みの変化、思想の深化で分離が明確になったという事です。

(1)は、なんだかんだいって、最初からそうでした。

(2)も、柳宗悦存命中からそういう動きがありました。手作り品から技術的に進化した工業製品製作への移行ですから、沢山の人々を幸福にする=民藝思想のある一面を表している事になります。柳宗悦の長男・柳宗理はそちらへ進んだわけですし・・・。重要かつ必要なのは「手作りしか出来なかった時代の手作りと、優れた工業製品がある時代の手作りは、意味が違う」という事への民藝側からの明快な回答です。

(3)の「ご当地お土産品」が民藝な訳ないだろう、と主張する人は多いかと思いますが「地域性と民藝的な雰囲気」がビジネスとして機能しているわけですから、それも大枠では民藝思想に合致します。民藝はいわゆる純粋芸術ではありませんから「実際に売れてその地域を経済的に潤し、生産者は食えなければならない」のです。

例えば(1)の民藝系作家が(3)の「ご当地お土産品」的な物のために、アイデアを出したり技術指導をするという事は自然ですし、そういう事は実際に行われています。

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これが現実であって、現代の民藝に関わる人達はそこから何を導き出し制作するか、という事が大切だと私は考えております。

もう、柳宗悦が書いたもの、行った事(正確に言えばその次世代ぐらいまでの物事)だけでは民藝に対する誤解が広がり、せっかくの民藝の素晴らしさが「民藝館スタイルの工房・作家制作の工芸品」という範囲に閉じ込められてしまう事になります。柳の功績は、柳自身の民藝論を超えているのです。そろそろ制作並びに販売側は新しく捉え直した「民藝」を社会に提示しならないのではないかと私は考えます。

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*民藝関係の記事*

久しぶりに日本民藝館に行きました

無銘性について

モノの肉体的実用性が失われても審美性が残る=審美性は実用的で寿命が長く強い

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