見出し画像

芸術家自身の言った事とその人の作品は必ずしも一致しません

これは、弟子に良く言う事でもあります。

多くの人が「芸術家の言う事を真に受けて、その芸術家の作品自体を自分の眼と感性で観ない」という失敗をします。

まあ、芸術家に限らず「人は」で良いと思います。

だいたいの芸術家、あるいは何かしらの偉業を残した人たちは「言っている事とやっている事が、良くも悪くも違う、あるいはズレている事が多い」のですね。業績の凄さゆえその違いが目立つのかも知れません。

人間である限り「思想と実行の分離」は良くある事ですし「実行者自身の認識が一般社会人とズレている」事も良くあります。特に天才においては。

それに、偉大な業績を残した人が、その偉大な業績と同じぐらいの言語表現能力があるとは限らないですし・・・自身の業績を完全に言語化出来るとは限らないのです。

「分かっているからそれを出来るわけだが、一般に分るように言語化は出来ない、あるいは“特殊能力を持つその人にしか分からない・出来ない方法”なので一般化は出来ない」というのは天才には良くある事です。

後年、その偉大な業績が多くの才能ある研究者の研究対象になる程のものを本人が解説出来ないのは仕方がないような気がします。もちろん、偉大な業績と思想がほぼ一致する人もおりますが、実際にはそれほど多くは無い気がします。天才は移り気ですし。

また、時代の変化によって、その価値や意味が変わってしまう事も良くあります。

その偉人が生きて活動している頃は偉人の言う事とやっている事が一致しているように観えても、後年の価値観で捉えると分離しているように観える事もあります。

・・・というわけで「その人の思想と実行に分離はあるが、それぞれにキチンと価値があり、それぞれ社会に貢献している」のは良くある事なので、無理してその両者を結びつけようとしても良くありませんし、分離しているからといってダメなもの、としても良くない、と私は考えています。

「それはそれ」としてただ観れば良いと個人的には思っています。

その人の思想や理論だけ、実績だけ、というように片方だけ観てはその人を理解出来ない、それで判断してはダメ、両方観る必要がある、という事です。

例えば、

画家のアンリ・マティスは1908年に「画家のノート」と題した自身の芸術についての文章で

私が夢見るのは均整が取れた、純粋で安らぐ芸術である。不安を与えたり、気が滅入るような主題ではなく、ビジネスマンから文学者まで神経を使う仕事についている人たち全てにとっての精神安定剤、例えば体の疲れを癒やす心地の良い肘掛け椅子のような芸術である

と書いておりますが、マティスはその当時から物凄い強烈な絵を描いていますし、その少し前は「フォービズム」(野獣派)と呼ばれる激しいタッチと色彩の絵を描いております。

多少、落ち着きのある絵といえば1920年代のものぐらいですかね。それでも独自の創意工夫は過激なものです。

その後はまた、強い色彩や、当時としては絵画に使われないような色とタッチの平塗系の絵の時代になります。

「おいおい“体の疲れを癒やす心地の良い肘掛け椅子”どころか、むしろ観た人の精神や感覚を高揚させ、揺さぶるような絵じゃんかよぉ!」と若かったわたくしは、そのマティスの本にツッコんだものです。

マティスにとってはあの絵が「体の疲れを癒やす心地の良い肘掛け椅子」なんだよ・・・という事は無いと思います。マティス自身が、以前に描いた自身の絵を観ると、その時の興奮した精神状態が再現してしまい辛い事がある、なんて事をインタビューで語っているのを読んだ事がありますし。

単純にマティス的にはそういう風に思うところもあったのか、あるいは「頭脳労働者たちにとっては、ああいう刺激が脳を活性化し、結果として精神安定剤としての役割を果たす絵になる」という意味だったか・・・

「自分の諸感覚の統合」を絵に求めていたマティスにとっては「諸感覚の統合を果たした絵」=「精神の最終的な落ち着き」という意味なのか・・・分かりませんが、マティスが書いている事を額面通りに受け取ると間違います。

まあ、何にせよ、マティスの根幹にあるのは、自分の感覚に対する絶対的な信頼です。そうでなければ、あれだけぶっ飛んだ絵は描けないです。

で、マティスの初期のこの発言が、長年マティスの自身の絵に対する誤解を生む事になりました。

多くの人がマティス自身の「〜体の疲れを癒やす心地の良い肘掛け椅子のような絵〜」の文章を引用し、それを元にマティスの絵を語ったのです。

それで

“体の疲れを癒やす心地の良い肘掛け椅子”として絵=そんな生っちょろい絵なんて芸術じゃない

と社会に思われてしまったんですね。

芸術は爆発だ!の岡本太郎などはマティスにそんな批判を与えておりました。

芸術家の岡本太郎ですらそうなのですから、一般の人ならなおさらです。まあ、元々マティスの絵が好みではなかったというのもあるでしょうけども。

それぐらい人々は文字を読んでしまうとそれを通して絵を観てしまい「絵を直接観て感じなくなってしまう」事が多いのです。

少なくとも日本では、マティスのその「心地の良い肘掛け椅子」の言葉から開放された展示が行われ始めたのは2004年の国立西洋美術館の展示ぐらいからだと思います。

(日本では)2012年に出版された「ヒラリー・スパーリング著 / 野中邦子訳 “マティス-知られざる生涯”」というマティスの生涯を綿密に追った伝記本も、マティス芸術に対する誤解を解いたと思います。

* * * * * * * * * * 

・・・最近、民藝の事を良く書いておりますので柳宗悦についても・・・

初期の民藝の定義は以下のようなものですが

1)実用性。鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
2)無銘性。特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。3)複数性。民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
4)廉価性。誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
5)労働性。くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
6)地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
6)地方性。それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
8)伝統性。伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
9)他力性。個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって支えられているものである。

現実的に、日本民藝館に収蔵されているものは「柳宗悦とその周りの人々の審美的価値観によってチョイスされたもの」が殆どであって、上記の条件を満たしているものばかりというわけではありません。

後年に柳自身の文章で民藝についての思想はアップデートしていますが、後世の人々から良く引用されるのは、上記の初期の思想の九ヶ条ですね。

これでは柳先生は浮かばれません、ご自分ではちゃんと自身の思想のアップデートをしているのに、正に民藝を紹介するべき施設が人たちが、それを社会に知らせていない・・・

実際、日本民藝館のミュージアムショップで販売されている「現代の民藝館スタイルの工芸品」の品質は収蔵物とはまるで違うものです。本来的にはそれは許されない事です。「民藝」なのですから。収蔵物との品質的一致が無ければ自ら民藝と言えないのではないでしょうか。

民藝の活動自体は、その思想だけではなく日本各地の地域性を活かした経済活動も含めた幅広く大きな運動でしたし、当時の日本人の価値観に強い影響を与え、それは今も影響力がある程の大きなものです。

官に対する民間の自分たちの運動、という立場ではあったものの、したたかに柔軟に官ともつながって仕事をしておりました。

柳はいろいろな実績を残しましたが、その中心にあるのは「今まで価値の無いとされて来たものから新しい価値観と鑑賞方法を産み出した=民藝という価値観・鑑賞方法を創出した」という事です。

柳の書いたもの、活動を全体的に俯瞰すると、一般に最も強調される「民衆のための実用品」という部分は、実際には「民藝という価値観・鑑賞方法」の下位部分に収まります。

柳の産み出した価値観は自身が産み出した「民藝」思想では収まらないのですね。なので晩年に「美の法門」を書いたりしたのだと思います。それはそれでツッこみどころがあるのですが、それは私が後年の人間だからです。当時はそれで良かったのだと思います。

何にしても柳が一番大切にしていたのは「曇りない眼で見よ」という事です。それによって、民藝を「発見」したわけですから。

・・・何にしても事実をただ観れば、

実際に柳自身が自宅で愛用していたのは、良い素材を腕の良い「作家」がつくったものや、昔のものでも良く出来た選び抜かれたものばかりです。「柳自身の厳格な美意識に合致したものばかり」です。

民藝は鑑賞のために作られたものではないもの、廉価なものと言いながら柳愛用のそれらは「高価で鑑賞的価値のある贅沢品」でした。民衆が使っていた「本当の実用品」は、あまり無かったのではないでしょうか。あっても「良く出来た高級実用品」だと思います。(少なくとも民藝館の収蔵品はそうです)

そこで、やっぱり若い私は「おいおい、民藝つったって、柳、並びにその周りの人たちのような意識高い生活は一般市民には到底出来ないよ!」とツッコんだものです。まあ、民藝運動の中心人物の多くは「銀の匙を咥えて産まれて来た」人たちですが・・・

彼らは実にステキな住居に住まい、選びぬかれた調度品に囲まれ、オシャレな衣服を身に着けた、世間から憧れられていた先端の人々で、時代の寵児だったわけですしね。

・・・その他その他、例は沢山ありますが、芸術家や偉人の言う事と実際にやった事は必ずしも完全に一致するわけでは無いというのは、枚挙に暇がないわけです。

そこはちゃんと「検証」しないと先人の残してくれた素晴らしい実績を誤用してしまい、その芸術家や偉人の思想と作品、両方共貶める事になってしまいます。

どんな偉人の業績であっても、時代が変わればその当時は正に適切だった方法が、むしろ間違いに変わってしまう事は良くあります。

変わり続けなければ本質を捉え続ける事は出来ません。偉人たちはそういう状況で常に変化して本質を捉え続けようとしたでしょうから、そうなると「遺したもの全てに整合性をもたせる事が出来なくなる」わけです。それで時に矛盾が出て来るのは当然とも言えます。しかし、だいたい表層の奥にある通底する核心部分は一貫しています。それが、民藝で言えば「民藝的審美性」と私は捉えています。

素晴らしい偉業を成し遂げた人でも、それゆえに自身の思想にこだわってしまい、環境の変化について行けなくなり、失敗する人もあったでしょう。

私はそういう偉人たちの分離にツッこむ事はあっても、問題だ、信用出来ない、とは思っておりません。

むしろ「だからこそ面白い」と思っております。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?