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民藝論と仏教的思想と美、矛盾と実績

柳宗悦は、当時は審美的な価値が無いとされた雑器などに「民藝」という概念を創出し、その美を世に解き放った大功労者です。

しかし、柳の民藝論や実際の活動や晩年の著作などを観ると、私は民藝論に矛盾を感じます。

晩年の名著とされている「美の法門」を読むと「美醜の区別を超越したところに芸術というものがある」としていますが、柳の活動を検証したり著作を読むと実際には理論的にも実質的にも「民藝美が至高」となっています。

もちろん、単なる個人の嗜好として民藝こそ至高、とするのは問題無いと思いますが、民藝美が特別に優れたものであるとしてしまった事で、柳自身の仏教を元にした民藝論の論理的整合性が乱れ、自身の「美醜の区別を超越」という宣言に矛盾が起こったように思います。

「思想」は「思考」に限界値を設けます。仏教はそれを超えろと教えます。柳は部分的に、あるいは一時的に超えたので「民藝」が産まれたわけです。

しかし、自ら新しく産み出した「民藝という概念と思想と理想」が柳自身を縛ってしまったのです。柳はそこから実質的に抜ける事は無かったわけですが、思想上は「美醜の区別を超越する」事を説いたのです。

柳が元にした仏教の教え的にいえば、本来的には「人為・人工物」・・・人のやる事に過ぎないものを、柳自身が官製のもの、民藝、個人の芸術作品・・・のように分けて、そのなかで民藝こそ至高とし、さらに民藝のなかにも美醜があり、それを区別・選択しているのですから「美醜の区別を超越」しておりません。

【柳は、自ら発見した美に、民藝という色を付けてしまった】のです。

それが自己矛盾を起こす原因になったと私は考えますが、しかし実際問題として、そのようにしなければ「運動」「思想」として、民藝が社会に伝播し、受け入れられる事も無かったのではないかとも思っています。

(下のリンクは、美についての私の考えです)

だから、私は柳の活動や実績を批判するつもりは全くありません。もちろん、揚げ足取りをしているつもりもありません。ただ、矛盾がありますよね、という観察結果を書いているだけの話です。民藝論は神の言葉の記録では無いのですし、また、その矛盾がグレーゾーンとして曖昧に存在しているからこそ民藝論が全体としては機能している面もあるように私は思います。

元々、宗教の教えの根幹部分は人間の創作物との相性が悪い・・・そこに完全な整合性を持たせる事は出来ないと私は思っています。

逆に、論として完全に破綻の無いようにきれいにまとめ、それを元に思想を持ち行動する事により、社会に何も影響を与える事が出来ず、何も残せない事もあります。論としては完璧でも、それは人間が実行出来るようなものではない、なんて事も沢山あります。

元々人間自体、矛盾だらけで存在しているのですから「実生活レベルで機能する理論」は多少の矛盾を含むのかも知れません。

何にしても、柳宗悦の創出した「民藝」は素晴らしく、日本文化の大河のひとつになっています。

柳宗悦の功績自体には、確かに美があります。

美のあるものは、ずっと残ります。


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