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矛盾を許可して、出会えた本音


親を軽蔑し、過去の悲しみや怒りをぶつけた結果、
相手に発した言葉は、自分自身に発していたということがわかった。

では私の”気付き”の被害者である親との関係性はどうなったか。

なんと、数日後にはケロっとしていて、娘としてそのまま何事もなかったかのように受け入れてくれた。

「なんか食べる?」じゃねえよ(泣)

そうしてやっと、本当に心から感謝が湧いた。
「感謝しなきゃ」ではなく
本っ当に今度こそ本当のやつだ。

そしてその後、今度はなんかわからないけど謝りたくなったのと、感謝を伝えたくなって、改めて謝りに行った。
これも最初のときと同じだった。
寝る前に勝手に浮かんでくる感謝と謝罪の気持ち。
べつに伝えなくたって、親は恋人のように”別れる”とか無いから、親でいてくれることはわかっているけれど、それでもこのモヤモヤをそのままにしたら、逆戻りなのだ。
どんな本音も、身体に溜めると毒になる。

あんなこと言ったけど、本当に感謝しています、ありがとう、と、泣きながら父親に伝えた。
いつもヘラヘラして人の話を聞かない父が、この前の暴言といい今回の謝罪といい、ちゃんと目を見て話してくれた。
言葉では深いことは話してないし、短い時間だったけれど、
お互いを想い合いながら向き合って座っている。
ただそれだけで、泣けて泣けて仕方なかった。


そしてやっとわかったんだ。
こうして人は、矛盾を抱えながら生きていくんだなあ、と。

もっとこうしてやりたかった、ああしてやりたかった、という親としての後悔がありながらも、そうするしかなった。
そんな矛盾を受け入れることで、器が、愛が、大きくなっていくのかもしれない、と、親になったことのない身としてなんとなく感じた。


「謝らなきゃ」「感謝しなきゃ」ではない
「謝りたい」「ありがとうを言いたい」と思えた経験ができて嬉しい。

これは私が本音を逆戻りさせずに出したことで出会えた本音、
「本当の音」だった。


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※この記事は、下記記事の続きです


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