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どろどろの本音の中身

家族に関する記事を、いくつか書いた。
頭の中で聞こえる声の原因を探っただけだったのに、今まで蓋をして見ないようにしてきた、醜い本音が引き出されてしまった。

そしたら寝る前にもやもやとその感情が湧き出て眠れなくなってしまった。
沸き上がった想いは、口から出さない限り一生昇華されずに、身体に溜まる。
心の蓋を開けてしまった私は、喉までその言葉が出ていた。
また飲み込むこともできただろうけど、私はもうその選択をしないという決断をした。

そんな時、たまたま家族と話すタイミングができて、私は言葉をぶつけた。
泣きながら、自分でも引くほどの暴言を吐いた。

絶対に親には言ってはいけないことも、すべて吐いた。


そうやって吐き出しながら、感じたことがある。
その言葉たちは全部、自分で自分に言っていたのだ。

「他人にぶつける言葉は、自分が自分に言っていること。」
この法則的なものは知ってはいたけれど、ここまでの体感をしたことは無かった。

「自分が我慢すればいいっていう、犠牲のようで、ただの甘えだから」
「ムカつくこと受け取って犠牲者になってんじゃねえぞ、行動を起こせ」

子供のために、家族のために、と、自分を犠牲にして、我慢してきた両親。でもそのストレスから、家族の関係性は最悪で、「帰りたくない家」となってしまった。
注いだ愛情に対するあまりにも皮肉的な結果。

自分自身も同じだった。

「私が我慢すればいい」と、仕事でも、人間関係でも、無理してきた。頼まれてもいないことまで。そうやって我慢すると頑張ってるように感じるから、それによって自分を認められていたんだ。そして自分のことをどんどん嫌いになった。

我慢というのは、他人に嫌われないための努力だ。

こうして自分に言っていることだと気づきながら言葉を吐き出すのは、苦しくもあり、清々しくもあった。

頭が痛くなるほど泣きじゃくりながら、ぶつける言葉たち。

15年ぐらいため込んで、どろどろになった本音たち。

ここまで私が暴れた(?)のは初めてだったので、両親もしゅんとしていた。
だけれども、人を変えることはできない。

この後親との関係性がどうなったかは、また今度書きますが、
私は、私のために本音を我慢しない選択をできたことが嬉しかった。

そして本音は自分に言ってることが体感できたこと、そしてその内容でガツンと気付けたことが嬉しかった。


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