見出し画像

書き換えられた性格

子供の頃、親に言われた言葉を思い出していた。
それが私の頭の中で、いつも自分を否定する声になっている気がしたから。

「ゆきのっていっつも・・・」とは言われていたけど、実際思い出そうとすると出てこなかった。

何かは確実に言われてたし
馬鹿にしたような母親の声のトーンまではっきり覚えているのに
「・・・」の部分が出てこない。


そして

数日かけて思い出した。


「もぉおおおおお~!!!」(何かやらかしたとき。
「そんなの買ってどーすんの!?」
「そんなとこ行ってどーすんの!?」
「なんでいつも嘘つくの!」
「かけすぎ!かけすぎ!!も~~~~」(調味料かけてるときとか)
「肝心なときにいっつも熱出す」
「勉強したら~していいよ」
「ピアノ練習したら~していいよ」
「貸しなさい!見せなさい!」(漫画とか持ってたとき)
「ダメ!!大人になったらね」

そうそう、言われてた言われてた。

そんな親の反応に「嫌だ」と伝えても
「親なんだから心配するのは当たり前です!!!」

そうそう、母親は責めているわけじゃなく心配で言っているというのも頭ではわかってた。

「あなたも親になったらわかるわよ」
親になっていない私は、ぐうの音も出ない。

そしてさらに思い出した

自分の感覚が正しいと思えなくなった原因のところ。

悲しいとき、怒ってるとき
「なんでそんなことで泣いてんのw」
と、取り合ってもらえなかった。
嘲笑という言葉が適切だと思うくらい。

私が駄々を捏ねてる姿を、ビデオを回されたこともあった。
スマホなんか無い時代に、運動会でしか使わないはずのビデオカメラを、わざわざ持ち出して撮られた。
そう、親はからかっていただけ。

さっきも少し書いたけど
自分の意見をちゃんと聞いてもらったことはない。

そんな風に、親の反応が当たり前で私の主張が間違っている。
私の感覚というものは間違っているから、外側に目を向けて、外側に合わせるようになったんだ。

そしてさらに思い出したのは
楽しいとき、弟とテンション高くなってるときによく言われた言葉。
「調子に乗るのもいい加減にしなさい!!!」

「調子に乗る」という言葉の意味は幼稚園児の私はよくわからなかったから、言われるたびに波乗りみたいなイメージをしながら、怒られてるということだけはわかったのも覚えてる。

だからね、感情を爆発させて楽しむということにも、どんどん蓋をしていたんだと思う。
これは、外で騒いでたら注意する大人の気持ちも今ならわかるけど、家にいるときにも言われてた。まあ、うるさかったんだろうね。

ああ、こうしてどんどん
悲しい、も
ムカつく、も
楽しい、でさえ
言えなくなっていったし
感じなくなっていったんだ。

だって、私の感覚は間違っているから。

だから
自分がムカついたり悲しいときでも
「いや、~さんは悪くないな、私がこうだからあんなことになったんだ」「~さんは私のためにああいうこと言ったんだな」
と嫌なこともポジティブに捉える力が長けてしまって
「私の強味はどんなことでもポジティブに捉えられることです!」と就活でアピールしていた。

飲み会で皆が楽しそうにしてるときには
自分はお酒が弱くてほとんど飲んでないのに、シラフのまんまオールして、楽しんでる風にできるスキルを身に着けた。
なぜなら
「大人はお酒を飲んでわいわいするのが『楽しい』ってこと」だから!!!

ああ、本来の感覚となんてかけ離れているんだろう・・・



(ここまで読んでくださった方は❤押してくれると嬉しいです!※登録不要)

お布施・お賽銭はこちらから💛