見出し画像

繊細= SUPERPOWER

私は、こどものころから実に繊細な子供だったと思う。

そしてその繊細さは自分の弱さだと勘違いしていた。

簡単に傷つきやすく、人の気持ちが気になり、心無い誰かの一言ですぐに落ち込んでいたのを覚えている。そして正義感が強く弱い立場の者を守ることに誇りを感じるような”アネゴ”的な要素も持つ子どもだった。

日本と海外で学生生活を送っているため、幼い頃から多様性に馴染み、国際的な環境で国際的な感覚を身につけていた私は18歳になる頃には、女性は男性と同じくらい皆有能で自立していて強い存在であるべきだと信じていた。どこからそのイメージを抱きだしたのかは思い出せないが大学に入学してから度々疑問に思うタイミングがあったのだ。

大学在学中は、持ち前の繊細さと海外経験がブレンドしてエスカレート(?)し、悩みが多かったお年頃だった。

とにかく疑問が尽きなかった。

1)なぜみんな同じ格好をしているんだ?
2)なぜみんな同じ顔をしているんだ?
3)なぜみんな話を合わせているんだ?
4)なぜみんな世の中で色んなことが起きているのに平気そうなんだ?
5)なぜ女子たちはこんなに前に出ないんだ?
6)なぜ男子はこんなに偉そうなんだ?
7)なぜ意見を言うとでしゃばっているような空気になるんだ?
8)なぜ先輩後輩で上下関係がこんなに厳しいんだ?

その他もろもろ・・・笑
はじめて逆カルチャーショックを受けたのはこの時だったと思う。
誰も私に意地悪をする人なんていなかったし、トラウマになるようなことは何もなかった。しかし、”日本を代表して世界で活躍すること”を謳う高校を出て、漠然と世界を意識して目指していた私には何かが足りないと思わせる環境だったのだ。

普通に恋愛もしてみたかったが、私のように(身長170cmで当時はかなりグラマラスボディーだった)帰国子女で自分の意見をハキハキ言う18歳は可愛げがなかったらしく、とにかく日本男児にはモテなかった。当時の私とは正反対の小柄で、細くて、控え目で、守りたくなるような女子がメディアによって”モテる女子”と定義づけられていた時代だった。大人になった今はこの疑問は世界どこの国にいってもお年頃の男女が集まれば大体同じような状況なのは分かるのだが、当時は日本特有の文化と、その当時の時代のカラーに自分が馴染めなかったことを気にして、自分が浮いているような気がして悩んでいた。

そして、友人に誘われてノリで遊びにいってみた部活で繊細さをふんだんに発揮できるようになるのだ。

それが、スピーチ。

モティベーショナル・スピーチ(Motivational Speech)


というもので、国連本部などで人前でスピーチをしているのをたまにテレビで見ると思うが、あれに近い。人に何かを訴えかけるスピーチを英語で発表して1位を競い合うという何ともオタクな部活だ。

画像1

↑これは国連でスピーチをする(私が大好きな)ニュージーランドの首相だがこんな感じで人前でスピーチをする。

「今、社会でこれが問題だからこう解決していきましょう!」という内容を7分間の英語のスピーチにまとめてそれを丸暗記して審査員の前と観客の前で発表し、質疑応答に応える。論理的で分かりやすくシンプルで感情に訴える内容が大体優勝するしくみだ。スピーチについてはまた違う記事で英語力UPシリーズとして載せるとして、この活動は私を輝かせた。私が今でも将来の目標の一つとしていることのきっかけとなっていると言ってもいいだろう。


私は心の奥底に世界に疑問や怒りが沢山ある学生だった。


なぜ違う国で戦争が起こり、テロをしようとする人がいて、人が無駄に死に、なぜ誰も気にしていないように見えるのか。
なぜいじめはなくならず、なぜ児童虐待もなくならず、なぜホームレスはホームレスのままなのか。なぜ人が親から引き離されて拉致されるのか。
なぜ内戦で無実の子どもが怖い思いをしなきゃいけないのか。
なぜ宗教が違うだけで争い、敵対しなきゃいけないのか。
なぜ肌の色で差別をする人がいるのか。
なぜ人種差別で経済的に不利になるのか。
なぜ女性に暴力をふるう男性が沢山いるのか。なぜ子供に暴力をふるう親がいるのか。
なぜ女性は静かにしてなくちゃいけなくて、控え目でなくちゃいけなくて、リーダーになれなくて、結婚をしなくちゃいけなくて、雑誌のモデルのように美しくなきゃいけなくて、頭がいいと男性に嫌がられて、面白いと女を捨てていると言われて、いつもにこにこ穏やかでなくちゃいけなくて、出産をしなきゃ女性らしくなれないのか。(これは14年前に思ったことだが、上記にメンタル問題が追加されたくらいで内容はあまり変わっていないように見える。)

本気でこれらを考え出し、調べていくと、どうして自分が日本で安全な家庭でこんな平和に暮らしていられるのか分からなくなるくらい、世界が壊れているように思えたのだ。

親はなぜ紛争が起きているのか丁寧に教えてくれない。私の怒りと疑問にすべて丁寧に答えてくれる人はもちろんおらず、
次第に自分は繊細過ぎて、細かいことをを気にしすぎな”変わり者”なんだと思っていた。

私が大好きなライター/ブロガーでGlennon Doyleという素晴らしい女性がいるのだがその女性が最近のインタビューでこう言っていたのを見て衝撃を受けた。

”Being Sensitive is a Superpower That Will Heal the World!”
”繊細なのは、スーパーパワー。世界を癒すことができるのよ!”


↓英語だけど読める人は読んでね♡


つまり、繊細ということは周りが気づかないことをいち早く”気づく”ことが
出来る能力があることを指している。人々が目をそらすような事実に目を背けず「これおかしくない?」と問題定義できる能力のことを言うのだと。温暖化問題で世界的に有名になったGreta Thunbergちゃんとかがいい例。

むしろ繊細なのは現状を直視してどうにかしたいという強さだ。

今の世界の状況を見て、私は18歳の繊細な自分に戻っている。
今3歳児の1日中暮らしているからもあるが、自分も、自分の子どもも屋根も暖房も食べ物も水もある家で過ごせる。
日本の医療従事者の人たちはどういう気持ちなのか、倒れそうじゃないのか、食糧不足の国は大丈夫なのだろうか、世界の紛争が止まらなかった遠くの国のこと、夫の暴力を受けている女性、家に居場所がない子供、家にいたくない子供、親に放置をされている子供、親が入院している子供、想像し始めるときりがない。SNSを使ってもっと想いをぶちまけてくれればいいのだが、あまり浮彫にならない。事態が収束してから事後報告のようにバタバタと人が倒れていくのは絶対に嫌だ。そんなのはおかしい。


いま繊細な人はこの世に必要なのだ。

この世界が困窮している時に繊細な人たちはいろんなことに
気づかせてくれる。行動もしている。
どんどん壊れかけている世界に反応していいのだ。
疑問をもっていいのだ。
繊細さは決して弱さではない、行動の原動力になる強さだ。

Glennonはこうも言っている。


”We're not broken. We're responding appropriately to a broken world."

”(繊細な)私たちが壊れているのではない。
私たちは壊れた世界に当然の反応をしているだけなのよ”


Stay safe!

Love, Yvonne

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?