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追い詰められた状態に憧れてはいけない

「獣になれないわたしたち」を見ていた。
はじめは全然見ていなかったけれど、もう後半に差し掛かっているであろう時にnoteでサクちゃんさんの記事を読んでから見始めてはまってしまい、それからずっと見ていた。

初期の晶は、私の理想そのものだった。
求められていることをその場その場できちんと提供でき、誰かを貶めることなく相手のことを優先できる。
それで自分が苦しくなって、それでも必死にボロボロになりながら"できる人"としてきちんとやりきる。
これは、私にとってこうありたい理想の人の姿だった。

でも、きっとそうではない。
ここに理想を置いてしまうのはそもそも間違っている。
無理して壊れる寸前の状態に理想を置いてしまったら、それを極めたところで壊れてしまう以外に先がないから。

次第に自分の人生を生きようと、自分を守るために生きようとしていく彼らは美しく、自分の足で先を歩ける人になれているように感じた。
ただ無理してまわす現実ではなくて、納得して受け入れるこれからをつくる。
そのためには何かを手放さないといけないし、今ない何かを得るためにはそうする以外に方法がない。

すごく無理をして"できる人"をやりきることは、ありたい理想の姿にしてしまうにはあまりよくはない。
ただ"できる人"になるためには少なくとも今の私はある程度無理しないと届かないし、必要な容量はきちんと考える必要がある。
どこからが壊れてしまいそうなほどの無理になってしまうのか。
どうしたらその無理を和らげることができるのか。

生きることはきっと、"自分のため"がないがしろにされ続けると壊れてしまうんだと思う。
誰かのためを実現し続けることは美しいけれど、それは架空な理想論で現実味に乏しい。
いい人を必死にやりきっても、その先残るものはあまりに何もなかったりする。

だから、自分のためにどうしたいか、自分は何をしたら心から満たされることができるのか、それを知って実行してバランスをとって、その先やっと何かができてくるのだろう。
潔癖なまでの自己犠牲は、きっとどこかで破滅する。
自分と他人とどちらともうまくつきあう方法を探すのが、現実的な理想に近づく近道かもしれない。

5tapみたいなところ、どこかないかなぁ。

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