星のカケラを集めましょ

つくりたいものができた。
これまで、私は少しも優しくない幸せになる覚悟を書きながら、なかなか思うように進めずにいた。
一人で幸せを集めようとしながら今ある現実に向き合おうとして、ノートにその日あった幸せだと感じた出来事についていちいち書き留めるようにしてはみたものの、なんだかとても面倒だったしモチベーションがあまり続かなかった。
惰性的に続けてはいるもののこれをこのままやり続けるより、もっといい方法があるように思えた。

楽団に向かうバスに乗るために重たい楽器を担ぎながら歩いていたとき、これを色々な人とやれたらどうだろうと考えが浮かんだ。
一人じゃない分モチベーションも保ちやすいし、他の人が喜びを感じるものを知ることで新しく自分も取り入れていけるきっかけづくりにもなる。
幸せを感じるような出来事を共有する場所があったら、きっとそこから広がることがあるのではないかと、そう考えた。

SNSが提供するものは、人と人とのオンライン上での繋がりだ。
基本的には文字や写真を介して相手の思考や情報を得て、そこからいいねやスキ、コメントなどを通して反応し合えたり、フォローすることで恒常的な繋がりを築いたりしていく。
TwitterもInstagramも、Facebookもこのnoteもそこの構造は同じで、ただそれぞれの媒体によって目的や強いところ、雰囲気や傾向が変わってくる。
これはその人の使い方にもよってくるけれど、Twitterは本音に近いものをとりとめなく発信するか、ちょっとした情報をコンパクトな文字にまとめたものを発信する場だと思っている。
Instagramはキラキラしたものの共有や充実しているアピールの場になりがちで、Facebookはなんとなくパブリックな印象がある。
noteは私にとって、本音や考えを投稿して受け入れてもらえる、やさしく温かい場所だった。
私自身はなんとなく思ったことをTwitterに投稿して、少し良く撮れた遊びに行った時の写真をInstagramに投稿して、演奏会のことや無難な近況報告だけをFacebookに投稿して、本当に書きたいことをnoteに投稿する、といった使い方をしている。

そんな中で今、些細な幸せを共有する場所をつくれたらいいなと思っている。
日常に起きたちょっとした良かったことを投稿し合うようなプラットフォームづくりを実現したいと、夢見ている。
投稿を見たり反応したりしてくれる誰かがいたらモチベーションも保てるだろうし、投稿する習慣ができることで些細な幸せをわざわざ探そうという気も高められる。
些細な幸せに気づくことや今あるものに感謝することで心に余裕が生まれ、結果として他者にやさしくなれるのではないかという考えのもと、これを構想している。
ただ他者の幸せを見て苦しくなることもあるだろうから、そのあたりの線引きは難しいけれど。
やさしくなりたいというやさしさを持っている人はきっと多くて、でも自分に余裕がないせいでそれを思うようにやれないことは誰にでもあるように思う。
その余裕がない時を視点を少しだけずらすことで減らせたら、やりやすくなることもあるだろうから。
まだまだ勉強しなければいけないことばかりだけど、いつかそんなきっかけづくりができたらと思う。

お読みいただきありがとうございます! サポートいただきました分はnoteを続けるエネルギーに変換していきます。