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バングラデシュで療養中です。


こんにちは!
yukiです。

またもや、更新の間が空いてしまいました。

実は、1月に入ってから、
足の痛みとの闘いが続いていました。

結局それは感染症で、
ついには全く歩けなくなり、
救急車を呼んで手術・入院する事態に…汗


とはいえ、心は元気です!


今回は、
ことの経緯を記事にしてみました。

少しでも参考になることがあれば嬉しいです。


(一部、ちょっと生々しいので、
 苦手な方は読まない方がいいです!
 すみません汗)



発端は登山…?


足のトラブルに気づき始めたのは、
スリランカで“スリーパーダ”という
聖地の山に登ってからでした。

標高2,243mと大して高くもなく、
道も舗装されています。

いくつかルートがある中、
今回は厳しめのルートを選びました。

標高差は約2,000m、
その全てがコンクリの階段
です。

登りは問題なし。
しかし下山は、コンクリなこともあって、
足への負担がすごい!!

ノンストップだとして、
約4時間ほど階段を降り続ける感じです。

この1月4日の登山後、
右足に複数の小さな赤い斑点が出現しました。

痛くもかゆくもないので、
「知らないうちにどこかにぶつけたかな?」
と思っていたのです。

直接的な原因は不明ですが、
どこかのタイミングで、
擦り傷等からウイルスを取り込んでしまったのでしょう。


コルカタで1回目の発症


1月6日、スリランカを出国し、
インドのコルカタへ移動しました。

この街で友人と再会してから、
バングラデシュを通過して、
インドのメガラヤ州へ入る予定です。

無事、友人のアルパンと7年ぶりに再会!
家に招いてくれました。

「期限決めてない旅なら、
 うちに最低1ヶ月は滞在していってね!」

「いや、スケジュールは考えてるし笑
 そもそも迷惑でしょ!」

ホスピタリティ溢れすぎる彼と、
再会を喜び合ったのも束の間。

その夜中に右足の膝から下が腫れて、
痛みを発しはじめました。

パンパンに腫れ上がった右足

腰より下に足を下げると、激しく痛みます
ベッドに座っているしかない。

何なんだこれ?!

翌日は痛みで歩くのが非常に苦しく、
さらに翌日にはもはや1人で歩けなくなり
お医者さんのところへ行きました。

感染症ですね。
 飲み薬を渡します。
 3日間、足を高くして
 ベッドで寝ていてください。」

と薬をもらいます。

3日間の休養中は、
色々な人が遊びに来てくれたり、
妹さんのアルピタが1日3食+おやつを作って
ベッドまで運んできてくれたりと、
恵まれすぎた環境で順調に回復しました。

(ほんと迷惑極まりないんですが)

結局、友人の家に10日も滞在させてもらい、
症状が良くなったので旅を再開したのです。

再発、重症化


コルカタを出発し、
近くの国境からバングラデシュへ入国しました。

バングラデシュでも、
7年前に出会ったアユーブさん家族と再会。

とても楽しい3日間を
過ごさせてもらいました。

しかし、
アユーブさん一家と別れた直後から、
再び右足の痛みが激しくなります。

このときは、
痛みに耐えれば何とか1人で歩けるレベル。

悪い予感がして、
急きょ田舎へ行く鉄道の切符をキャンセルし、
もしもの時に備えて首都ダッカへ移動しました。

何とかダッカのホテルにたどり着いたものの、
右足の膝から下の大部分が
再び真っ赤に腫れてしまいました

痛すぎて立ちあがるのすら辛い!

ホテルでしばらく安静にして、
痛みが落ち着くまで様子を見ることに決めました。

しかし、一向に症状は落ち着きません。
むしろ痛みはどんどん悪化していく。

そうこうしているうちに、
右足は完全に歩けなくなってしまいました

洗面所には、
右足を高く上げたまま、
左足でジャンプしていくしかない汗

食事やその他の必要な品は、
親切すぎる宿のスタッフさんが
買ってきてくれます。

(宿のスタッフさんは、
 誰も英語を話せないのですが、
 Google翻訳アプリのおかげで
 相互に意思疎通ができました)



ダッカに着いてから3日目、
なんと腫れの一部が破裂!

ダラダラと色々出てきて大変でしたが、
清水で洗ったら比較的キレイになりました。

痛みが和らぐことを期待してさらに様子見。

この時点で、痛くても何でも、
あらゆる手段を講じて病院へ行くべきだった…


この数日間は、昼夜、
激痛と闘い続けていたのでした。

手術、入院


(できるだけ抑えましたが、
 けっこう生々しいかもなので、
 苦手な方は飛ばしてください汗)

ダッカに着いて5日目の朝、
ジャンプしながら洗面所へ行くと、
足に巻いた包帯の間からタラリと
一筋の血が垂れてきました。

「ん?」と思っているうちに、
洗面所が血の海に。

包帯を解いてガーゼを外すと、
自分の足がまるでゾンビのようになっていました。

「うわあ…右足もうダメかも…」

皮膚に穴が開いて、
血や、膿や、肉が溶けたものなどが
飛び出していたのです。(絶望)



歩けませんし凄惨な見た目なので、
スタッフさんに救急車を呼んでもらい病院へ。

海外旅行保険が適用されるはずなので、
ダッカの病院でも特に評判の良い、
立派な私立病院へ運んでもらいます。



病院では、ドクターが、
死んだ組織や膿を押し出してくれました。

しかし感染範囲が広く、
全て取り除くには手術が必要とのこと。


手術しなくても、
時間をかけて薬を飲めば治せるようですが、
その間痛みに耐えなければならないそうです。

それならば、と手術をお願いしました。



手術後、右足には直径約3cmの穴が空き、
そこから上下20cm程度、左右10cm程度にわたって
皮膚の下に空洞ができている状態でした。

「自分の足なのか、これ」

思わず凝視してしまいます。



病名は、蜂窩織炎ほうかしきえん

わりとよくある感染症で、
日本でも罹患することがあるようです。

僕の場合、
ある程度回復するまで
数週間かかると言われました。



実は、救急車も手術も入院も、
生まれて初めてだったのです。

周りの人に恵まれたおかげで、
海外に一人でいながらも、
心細く感じなかったのは幸運でした。


療養へ

「動けるようになったら、
 日本に戻って療養しよう」

衛生環境に問題のある地で、
足にポッカリと穴が空いたまま
療養するのが適切とは思えません。

また、この国の外食では、
栄養バランスを整えるのも難しい。
(歩き回って食べ物を探せるならまだしも)

アユーブさん家族が、

「帰っておいで、
 いつまででも療養していきなさい」

としきりに誘ってくれるのですが、
これ以上、他人に迷惑をかけたくありません。

松葉杖を使いながら一人旅を続けるのも、
あまりにリスクが高すぎる。
引ったくられたらイチコロです。

そのため、いったん帰国して、
完全に治るまで療養することに決めました。

ダッカのドクターには、
日本の形成外科で処置を続けるよう
指示されています。

足に空いた穴は自然には塞がらないので、
皮膚を移植する必要があるのだそうです…汗

これは決して“悪い出来事”ではない


今回の感染症には苦しめられましたが、
あらゆる出来事何かの前兆であり、
メッセージであると思っています。


この病気は、自分を見つめ直し、
致命的な思考のクセや弱点を洗い出す
きっかけ
となりました。

この病気になっていなかったら、
いずれ、さらなる惨事を招いていたと思います。

一人旅では、自分自身に、
“あらゆる選択の責任”がのしかかります。

“偶然に見える結果”も、
元をたどれば“自身の選択の結果”です。
言い訳はできません。

自分の身は自分で守るしかないのです。


その意味で、
とても重要な経験となりました。


一人ひとりの人生は
一つひとつのストーリーであり、
そこには山も谷もあります。

山も谷もないストーリーなんて
面白くないですよね!

今回の出来事も、
未来においては、

「あの苦い経験をしたからこそ、
 今の自分がある!」

と感じているであろうことは明らかです。

長い目線で見たときには、
決して“悪い出来事”ではない
のです。



旅立つとき、
尊敬する旅人・玄奘三蔵げんじょうさんぞうに倣って、

「不東」(志を果たすまでは決して退かない)

という2文字を心に刻んで出発しました。


しかし、
退くべき時に退くことができる、
という姿勢もまた必要だと思います。

大切なのは、
いったん退いたとしても、

“何度でもまた立ち上がって進むこと”

だと思っています。

なので、いったん帰国して、
しっかり時間をかけて療養し、体制を整え、
よりレベルアップして旅を再開します!

皆様とも、
また経験を共有できれば幸いです。



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

それでは、今日も良い1日を!


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