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突然の死と教えられた死『明日死ぬとしたら?悔いはありませんか?』

はじめに

こんにちは、30歳にして習慣の重要さに気づき【読書】【インプット】【アウトプット】【早起き早寝】を習慣とし、【note】や【ブログ】を通じて書く楽しさに目覚めた『由紀』です。

先日、父方の祖母が亡くなりました。
その1週間前に母親から、大晦日か元旦くらいまでだろうと医者に言われたと連絡がありました。
治療、投薬をやめる。
とのことでした。

3年前より、特別養護老人ホームに入っていて、コロナの影響もあり面会はできませんでした。

つまり3年以上会っていなかったのです。

その前会ったのはいつだろう。
その時も、私のことを孫なのか自分の子どもなのか曖昧な状態だったので、徐々に死が近づいていたのだと思います。

3年前に特別養護老人ホームに入ったときは、私の母親や父親のことは理解できたようですが、先週は理解というより反応がなかったそうです。

現在32歳の私は、3年前子どもが生まれました。

祖母の3年間と私の3年間と子どもの3年間

同じ3年間でも、まったく異なる3年間だと私は思います。

死について意識すると生き方が変わる

私が死について意識したのは父方の祖父が死んだときです。

大学を卒業して新卒の研修期間でした。

はじめて身内の死、当たり前だと思っていたことが、当たり前ではないと気づかされました

また、以前も書いたことがあるのですが、『私は一度死にました
この死は何を意味するかというと『人生に満足した』という死です。

子どもが生まれて、母方の祖母に子どもを抱かせたときです。
あの笑顔をみて、私は満足しました。
「ああ、これが見たかったんだ。と」その瞬間で『私は一度死にました

それからの毎日は、死んだ後の世界です。
一度人生に満足しているので、心に余裕しかありません。
怒ったり、イライラしたり、不平不満を言ったり、
そういったことはほぼなくなりました。

今は毎日が幸せです。

あとは、本当の死が来るのを待つだけですから。

突然の死と教えられた死

これに関しては、祖父と祖母の死に方の違いです。
祖父は突然で、祖母は教えられて死にました。

どちらにせよ死んだことには変わりないのですが、
教えられた死の方が、悲しみが少ないです。
なぜなら、「心の準備ができているから」です。

これは、医者に伝えられたというのもあるのですが、以前より死に対して考え方が変わっていたので、急に死んだとしても私は悲しみが少なくなっていると思います。

人は必ず死ぬ、これはみな平等に与えられていることです。

人は必ず死ぬ、それがいつなのかということ

人は必ず死にます。
それが、今日なのか、明日なのか、来年なのか。
それは、誰にもわかりません。

なので、意識することは。
『いつ死んでもいいように準備し、毎日を大切にする』
ということだと思います。

自分が死ぬかもしれないし、両親が死ぬかもしれない
妻や夫が死ぬかもしれないし、子どもが死ぬかもしれない。

常に頭において毎日を大切に生きましょう。

おわりに

今回なんとなく死について書いてみましたが、
みなさんは死に対してどんな意識を持っていますか?

身内の死やペットの死を経験するとわかりますよね?
単純に『悲しい』と思います。

ただ、それを『悲しい』で終わらせずに、これからどのように生きるのか。
そこを考えると毎日がどれほど重要か、わかると思います。

よくある話だと、
『1年後死ぬとわかったら、あなたは明日からどう過ごしますか?』
これが、毎日の過ごし方の本質だと私は考えます。

私の場合は
『明日死ぬとしたら?悔いはありませんか?』
常に問いかけます。

イヤな仕事なら、やめるべき
ツライことがあれば、逃げるべき
やりたことがあれば、やるべき
死にたくなったら、一度死んだと思って、やりたいことだけやればいい
0スタートほど楽しいことはないと思いますよ
生きたくても生きれない人もいる
毎日大切に丁寧に生きましょう

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