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「オケバトル!」 36. 一括おやじの夢のオケ


36.一括おやじの夢のオケ



 果たして良いのだろうか、という上之忠司に対し、一同は、
「日々の演奏会を次々こなさなきゃならない限られた時間の中なんですから、仕方ないんじゃないですか?」
 といった当然の意見を述べる。

 定期演奏会や特別演奏会といった一般の音楽ファン向けの通常の演奏会だけでなく、プロオーケストラの多くは、拠点を置いている地域や関連企業のための慈善的な演奏活動も常々必要とされている。日々の流れに大いなる疑問や問題点があったとしても、根底から大改善しない限り、そうしたオケ生活はひたすら続いてゆくばかり。

「難曲や新曲が容赦なく降り注いでくるだけじゃなくて、その反対に、単純明快な同じ名曲ばかり延々続けなきゃならないこともあるし、両極端ですよね」

 例えば区内や市内といった特定の地域で対象となる学童向けの名曲コンサートを、各学校ごとに毎日同じホールで午前と午後、半月もの期間に渡り同じプログラムで催される連続演奏会などでは、純真な子どもたちと触れあう楽しい舞台も、続けてゆくうちにいつしか拷問のように感じてしまったり。
 コンサートマスターやエキストラ、オフの待機組など、メンバーの入れ代わりも少なからずあるため、同じ演目の連続演奏といえどリハーサルも必要に応じて幾度も繰り返される羽目になる。
 中には精神に異常をきたし、リハーサル中や本番直前に、夢遊病のごとくふらりとオケから抜け出て、何処かへと消え去ってしまう脱走兵まで現れるほどだ。

「名曲コンサートばかり続くと、だんだん惰性でやってる気がしちゃうんですよね」
「心のこもった演奏なんて、いつしか忘れてしまってたり」
 ここバトルの館にて、固定カメラは通路のあちこちにも常に存在しているものの、撮影隊から直にカメラを向けられていないとつい油断してか、プロにあるまじき本音もポロリと出てしまう。

「小品であろうと大作であろうと、本来はじっくり腰を据えて楽曲に向き合うべきで、理解を深めるために、当時の文学や絵画といった芸術や、根底にある思想や宗教、必要とあらば、いや、必要でなくとも時代ごとに様式の違う建築なんかにまで触れて、楽曲や作曲家のもつ世界観に少しでも近づこうとする姿勢が大事なのにな。こうして名演を観賞するのもよし。知識だけでなく、俺たちがやったように歌詞も学んで実際に森の中で歌ってみるとか、Aの連中みたいに踊ってみて、身をもって体験するのだっていいだろう」
 しみじみ語る上之であったが、その場にいる多くは、
「まずは楽譜ありき。うんちくなんて必要ない。音楽をいかに手早く上手い具合にまとめあげれるかが、最重要でしょ」と内心思っていた。
 器用に無駄なく演奏を仕上げねばという職人気質を意識する者にとっては、知識や熱き思いなんて、むしろ余分な妨げだったりも。熱心な指揮者がリハーサルで楽曲や作曲家にまつわる奥の深い物語を語り出したりすると、あからさまにしらけた態度を示す輩も。

「ですが、そこまでやるって、アマチュア的発想な気もしますがね」
 誰かがやんわり意見する。バトルで課題曲が出される度に、いちいち「お勉強」させられりするなんて、たまったもんじゃないのだ。
「そうそう。アマオケって、演奏に取り組む姿勢や情熱が半端じゃないですものね」
「知識やこだわりも、彼ら大したもんですよ。大御所の指揮者がどう振ってたか、どこそこのオケがどうのだったとかいった演奏スタイルのみならず、楽曲や作曲家の世界観なんかについて、現地情報も交えてうんちくを熱く語り合ってたり」
「皆がやたらとスコアを持ってて、全体像とともに、他のパートが何やってるか、ちゃんと把握してるんですよ」
 感心しながらそう話すのは弦の面々。とりわけ人数の必要な弦楽器の場合、アマチュアオーケストラへのエキストラ出演を依頼されるプロ奏者も結構おり、一般音楽愛好家の実情も自然と知れてくる。そんな風に純粋に音楽を愛せるアマチュアの姿勢をほほえましいと温かく見守る者もいれば、冷ややかに観察する者や、音楽を愛するゆとりがあってうらやましいと感じる者などそれぞれだ。
「彼らの演奏会って年に一、二回程度だから、ひとつの演目に集中して、精根尽くして取り組めるわけですよ」
 アマオケの場合、地域のボランティア出動は別として、基本は週に一度か隔週程度、平日夜の仕事帰りか週末に公共の施設などに集まり、半年か年に一度の定期演奏会に向けてプログラムを仕上げていくのが常である。

「同じ曲に何ヶ月も延々取り組み続けるんですから、偉い根性ですよね」
「しかも合宿まですることも!」
「我々オケ人は、与えられた任務を着々とこなす技術屋にすぎなくて、むしろアマのほうが、よほど熱き思いを抱いてたりして」
「そうした意味では、日常の中で音楽を心から楽しんでいる人たちこそが、実は芸術家なんじゃないかって気もしますね」
「感性的にはね。というか、精神面ではそうかも知れませんけど。音楽性としては、幼い頃から厳しい世界で学び続けてきたアーティストとは格が違いますよ」

「アーティストっていえるかね?」
 言い出しっぺの上之忠司が首をかしげる。
「気づいたら、自分がただ無難にこなすだけのパフォーマーに成り下がってた気がするんだな」
「器用にパフォーマンスできるなら、それだけでも充分じゃないですか」
「そうですよ。みんな必死で取り組んでるってのに、上之さんって、いつだって余裕で吹いてますものね」
「完全なる自信とともに、完璧な演奏で」
「別に余裕なんて」
 謙遜するおやじさん。
「ただ経験を積んで貫禄がにじみ出てるだけさね。俺はもっと楽曲を突き詰めたいんだ。パートごとやセクションごと、首席どうしやコンマス、指揮者とも色々話し合ってプログラムに取り組めたらと」
「手っ取り早く指揮者をやってみたらどうでしょね」
「指揮の勉強なんてしてないから、いくら何でも無理。それに俺は死ぬまで哀愁のトランペッターでありたいのでね」

 哀愁って、なんですかあ? と、誰もが笑い出す。しかしそうして見ると、確かにおやじさんには高らかなファンファーレももちろん良いけれど、人生の悲哀を帯びた、もの悲しい旋律も実にしっくり似合いそうだ。

「ソロとか、金管アンサンブルなんかで極めるのも面白いし勉強になるが、やはり行き着くとこはオーケストラ、なんだなあ」
 嬉しそうに仲間を見渡してから、上之は少し声を落として続けた。
「しかし長年勤めたオケが、どんなにいいオケであろうとも、最高の仲間に恵まれようとも、大御所マエストロの指導を受けられようとも、こうしたプロオケの世界が自分の理想とマッチするとは限らない」
「それでオケを引退されたんでしたよね?」
 と、少し事情を知るトランペット仲間が上之に尋ねた。
「周囲には『今辞めたら、もう後がないのに』と脅されたけどね。師匠や家族にも猛反対されたし」
 離婚寸前さ、ははは。と笑う上之だが、いかにも人情に厚そうなおやじさんのこと、実際は家庭を最も大切にしているということくらい、聞かずとも皆には分かるのだった。
「それで、このバトルに参加を?」
「年齢制限の上限もなかったしな。そうした志を持つ者が集まるんじゃないかと。いい仲間が見つかるんじゃないかと」
「確かに。熾烈なオーディションに受かった実力者揃いだし、こうしたチーム戦で、参加者どうしの絆も深まりつつありますしね」

「理想のオケを、自分たちで作れないかと思うんだ」

「それは素敵な夢ですね!」
「だが、ただの夢で終わりにはしたくない」
 きっぱりと、上之は言った。
「皆でじっくり楽曲に取り組める環境と時間を得られたらいいんだがな。毎回、自分たちで話し合って何らかのしっかりしたテーマを決めるのもいいね。作曲家や時代を絞るとか」
「その道の専門家に講義してもらったり?」
「さっきみたいに、みんなで名演の観賞会とか」
「そんなのバカバカしい、と思えることが、実は最も大切な心構えだったりして」
「職人に徹しようとすることで、逆に我々、初心や情熱が失われてるのかも……」
 熱意なんてバカバカしい派も少しずつ、上之の勢いにあいづちを打ち始める。
「でも、この国でプロオケとして認められるには、活動実績とか団員への固定給の確約だとか、厳しい条件があるでしょう」
 というのは現実派。
「認められなくたっていいさ。いい音楽さえ提供できれば。むしろ、プロって立場は、かえって足かせになるかも知れない」
「だけど、音楽家として生活の保障は必要ですよね」
「しっかり仕事を請け負っていくとなると、みんなで優雅にお勉強しましょ、なんてしてられないんじゃないですか? それが現実ってもので」
「年に一度の寄せ集めオケだっていいんでないかな」
「上之さん、寄せ集めなんて言わないで、自分らのオケをちゃんと作りましょうよ!」
「そうそう、夢はでっかく」
「運営面を全部自前でできれば、企画も枠にとらわれず自由な発想でできるのでは?」
「ウィーンフィルのように?」

 オーケストラピットにて歌劇やバレエの伴奏を受け持つウィーン国立歌劇場管弦楽団の有志から成り立つ自主運営のオーケストラ、ウィーンフィルハーモニーでは、団員自らがすべてを取り仕切る。メンバーには本業の楽器以外にも、歌やピアノといった音楽的才能のみならず、文才や画才などがプロ並みに長ける者も多いという。午前中はレコーディング、午後はウィーンフィルのリハーサル、夜は国立歌劇場で歌劇の本番といったハードなスケジュールも日常茶飯事。長年の伝統に基づく音楽がしっかり受け継がれており、メンバー個々の音楽性や音質にしても絶妙な統一性を保ち見事なアンサンブルが奏でられる。例えばレコーディングにおいて、収録の途中、何らかの事情で管楽器の奏者が入れ替わったとしても、同一人物が鳴らしているとしか思えず、違いがまったく分からなかったりする。

 現実派の一人が、少々皮肉っぽい笑みで言う。
「その例えは、ちと無謀すぎやしませんか? 音楽土壌の格が違いすぎる」
「専用のホールがあるってのも強みですよね」
 楽友協会の黄金のホールは、まさに黄金の夢のような、世界屈指の音響を誇っている。
「彼らにとって音楽は呼吸というか、酸素で、生活そのものだから、音楽漬けでも苦にならない」
「演奏の合間に事務局の仕事もこなすメンバーもいるわけだし、彼らの多忙さに比べたら、このバトルのスケジュールなんて、お遊びといっていいんじゃないかね」
「そう。みんな『きつすぎる』だの、『体力的にも精神的にも限界』だなんて音を上げてるけど、甘すぎますよね」
「しかも、とびっきりのご馳走を朝昼晩、贅沢なデザート類に気の利いた夜食まで。いくらでも提供されて、上げ膳据え膳に、クリーニングにアイロンがけ、ベッドメイク。ホテル並みのサービスをしてもらってるんだから」
「自分らは楽器のメンテナンスと体調管理さえ気をつけてれば、オーケイ! ですものね」
「しかも充分なギャラまで出て、うまくすれば番組で顔も名も売れる」
 そこで誰かがしみじみ言った。
「ありがたい環境に甘んじるばかりじゃダメですね」
「そう。オケバトラーとして精一杯の努力をして、それに見合った、いや、それ以上の成果を出すべきだよね」
「勝敗がすべてじゃないけど、そろそろ俺たちも勝たないと」
「〈ドナウ〉では一応、勝ちを与えられましたけどね。まあ、引き分け勝ちですが」

「勝ったら即刻、あの有出を引き抜くか」

 上之による爆弾発言に、一同唖然。
「えっ? ちょっと悔しくないですか」
「彼が率いているからこそAは勝てるんだ。彼さえ抜ければAは壊滅するだろう」
「しかし危険ですよ。ひどい演奏で、我々こそを破滅させるかも知れないでしょ」
「彼は正義感強そうだから音楽には真摯に向き合うはず。AとかBとか関係なく」
「引き抜いといて、いざとなったら落としちゃえばいいとか?」
 いざとならなくても、「引き抜いて、落とす」は、バトルの常套手段かも知れない。
「それはとてもとても、ズルい気がする」
「バトルなんだから、何でもアリですよ」

 金管の護衛を従えて、マエストロ浜野がリハーサル室に入る姿が見え、立ち話をしていた一行も迅速に定位置につくべく室内へ。
 上之が気合いを込めて話をまとめた。

「いずれにしても、兎にも角にもまずは勝たないと!」




37.「純朴審査員のトンデモ提案」に続く...




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