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「オケバトル!」 46. して、ソリストはいずこに?


46.して、ソリストはいずこに?



・今朝の課題は、各チーム一時間ずつの舞台リハーサルのみで、課題曲はその場で発表される。
・エキストラは参加せず。
・当然のことながら、話し合いや楽器配置、移動の時間も持ち時間に含まれる。
・例によって逆リハとするため、前回の勝利にて後攻を希望したAチームから先に、9時よりリハーサルが開始される。同時にBチームは全員が地下のリハーサル室にて待機、Aチームが完全撤退した後、ステージマネージャーの指示で舞台袖に集合すること。その間はロビーも含め、館内をウロつくのは厳禁。
・両チームとも、舞台における楽器の配置は『現状復帰』を厳守せよ。



 いつもとさほど変わらない内容でありながら罠が張られているような、どこか奇妙な通達が、朝一番に各部屋のモニター画面に流された。

 リハーサル開始時刻より少し早めに舞台袖に集合したAチーム。まずはフルートの新メンバー、星原淳(すなお)くんを全員で温かく迎え入れる。格別に美しいきみの音色が我がチームに加わるのを楽しみにしていたんだ。期待していますよ、と。

「いきなりだけど、自分はずっと首席だったんで、今回は淳くん、やってみませんか」
 先輩格のフルート男性が首席を譲ってやる。
「その方が、きっとなじめるでしょうから」
 いえいえ、新参者が首席なんて。と、遠慮するかと思いきや淳くん、
「分かりました。ご配慮ありがとうございます」   
 素直に応じ、一同は、ほう? ヤワそうに見えても芯はしっかりしてる子なんだな、と感心する。

「Aリハの時間です」
 9時きっかりにステージマネージャーから声がかかった。
 今回は秘密保持のためか、舞台を覗ける仕組みのガラス小窓に覆いがかかっていた木製のドアを開け、Aチームの面々が舞台に足を踏み入れるや、真っ先に目に飛び込んできたものは……、

 協奏曲形式の位置にて舞台中央に鎮座するフルコンサートのグランドピアノであった。

── ピアノ協奏曲ときたか! ──

 全員の間に緊張の目線が交わされる。
 曲目は何だ? 
 しかしゲストを迎えるコンチェルトでありながら、リハーサルがたったの一時間って、どういうことよ。
 有出絃人が真っ先にピアノに歩み寄る。鍵盤のすぐ上に金文字で描かれた Bo¨sendorfer の格調高きロゴ。黒塗りの鍵盤部がないから、インペリアルではない。とすると……?
 ピアノの内部にVとCを組み合わせた優美なマーク。これは! 
 絃人は危うくピアノに抱きつくところであった。
 ベーゼンドルファーの 280VCモデル、ヴィエナ・コンサートの 2012年型じゃないか。
 こんなところで出会えるなんて!

 ベーゼンドルファー、ベヒシュタイン、スタインウェイ&サンズ。世界三大ピアノの中でも、1828年の創業という最も古い歴史を持つベーゼンドルファー社。
 オーストリア・アルプスの樹齢百年もの大木を、新月の夜に一本だけ切り倒すという、神聖な儀式のような工程を経て、数年間じっくり木をなじませた上で、熟練の職人が伝統に基づく製法で長い時間をかけ、「ウィンナートーン」と呼ばれる独特な美しさを持つ響きを守り続けている。
 日本の主だったコンサートホールが所有するフルコンサートのピアノは、スタインウェイや YAMAHAが多いが、ベーゼンドルファー社のものとしては、従来型のインペリアルが主流である。
 ベーゼンドルファーの象徴的存在ともいえるインペリアルは、通常の88鍵の音域から更に低い9鍵が拡張されており、追加部分の鍵盤は黒く塗られていることで有名だ。この音域は、イタリアの作曲家でピアニスト、指揮者としても活躍していたブゾーニの依頼によるもので、ドビュッシー、ラヴェルにバルトークらも、追加部分の音域を使用した曲を書いている。普段はあまり使用されることのない黒い鍵盤部であるが、鍵盤が増えていることでピアノのボディ自体の幅も通常のピアノより広くなっているため、より力強く、温かみのある深い響き、豊かな音が実現される。
 その黒鍵部分のないヴィエナ・コンサート、2012年型280VCは、新たな境地として革新的な技術の元に開発された最高傑作である。
「歌う音」、「至高のピアニッシモ」などと評価されるベーゼンドルファーのピアノが持つ繊細で温かな音色はそのままに、設計や弦の張り方を見直すことで、より煌びやかな高音や深く力強いベース音と、ダイナミックで多彩な音色の表現が可能となり、音の立ち上がりの速さや、更なる弾き易さを実現させている。
 現時点では、これが備えられている劇場も、恵まれた個人の所有も、国内ではまだ僅かであるが、ゆくゆくは旧型のインペリアルから、このヴィエナ・コンサートへと、各劇場のピアノも入れ替わりゆくであろう。

 有出絃人は普段、柔らかな音色のヴァイオリンを奏でていることもあってか、自分のピアノのタッチが比較的鋭めに感じてしまうため、それを穏やかに包み込んでくれる深い温かみのあるベーゼンドルファーのピアノの音色が、格別のお気に入りであった。しかも、かつてウィーンで幾度か試したことがあり、完璧なまでに自分との相性もマッチする憧れの最新型ときた。
 ここのロビーにはスタインウェイ、最上階のバーラウンジにもベヒシュタインがちゃっかり置かれていたし、きっとインペリアルだとか、他にも色んなピアノがありそうだ。いったいどんな財閥が、この施設を管理しているのだろうか。
 ぼうっとしつつ、絃人はピアノの譜面台に乗っている楽譜を見つめた。

──〈道化師の朝の歌〉──。

 夢遊病のように、思わず椅子に腰掛けて冒頭の独特のリズムを調子よく奏でてみたい誘惑を、どうにか退ける。課題曲を勝手に弾いたりしては、既に袖で控えているであろうゲストのピアニストに失礼なのだ。

「短い曲だし、コンチェルト形式でも何とかなるでしょう」と、皆を安心させてから、しかしおかしいな、と彼は首を傾げた。ここにあるのは原曲のピアノソロ用の楽譜。ラヴェル自身が編曲したオケ版にピアノは入ってないのだし、いったいどういったアレンジになるのかな。ピアノの端に乗っていたオーケストラ用のスコアを確認するが、これは通常のオケ版で、協奏曲用ではない。そもそも協奏曲版なんて存在しないはずなのに?
 まさか。
 二つの版をこの場で合わせて、チームごとに独自のスタイルで演奏せよと?

「えー、皆さん」
 ステージマネージャーの岩谷氏が下手の袖から登場し、残酷な事実を宣告した。
「今回、ソリストはいませんので、よろしくお願いします」

 例によってチームの反応は、「ええーっ?」ではなく、無言の抗議による恐ろしい静けさであった。

 ピアノ弾きを自前で調達するのか?
 そんな無茶な!
 我々みんな、オケ人として誇りを持って参加してるってのに、専門でないピアノをわざわざ持ち出してくるなんて。
 よくもそんな悪巧みを考えつけるものだ。無垢な演奏家を翻弄するとは何事か。

 一切の質問は受け付けませんといった姿勢を貫くがごとく、岩谷がすぐさま姿を消したので、有出絃人が皆に問いかけた。
「この曲が弾ける人、あるいは弾きたい人は?」
 誰もが明後日の方向に目をそらす。
 オケのメンバーには大抵、ピアノの腕がかなり立つ者も大勢いるものなんだが。しかし時間もないし、仕方がない。絃人はとっさに判断を下す。

「ならば早い者勝ちで、自分が弾かせてもらいますよ」

 イエーイ! やった、お願いしますよ! といった声と共にパチパチと拍手が起こる。
「ついでに弾き振りも!」
 トロンボーンから明るい声が上がった。
「まあ、できますけど。ずっとピアノを弾き続けるわけじゃないし」
 絃人はさらりと言ってから、ちょっと考えてみる。
「ですが指揮することで、また審査員からクレームがきそうだな」
 トロンボーン氏が続けて言った。
「番組からの通達は、この後の二曲も『指揮者を立てるな』、という指令であって、有出さんがピアノの椅子に座っててくれさえすれば、要所要所で指揮をしても違反にはならないはずでしょ」
「なんかBチーム的な、へりくつっぽい思考回路みたいだけど……」
 絃人は、まいったなと肩をすくめつつ、それでも素直に応じて開き直ることにする。
「では、必要最低限の箇所で、合図しますね。仮に番組側からルール違反とか指摘された場合、責任は自分がとります。『指揮者ではないし、立ってもいない』って反論してやりますよ」

 しかし、この状態では全開の蓋が邪魔で指揮が見えない者も出てきてしまう。かといって、閉じてしまったらピアノの音は完全にオケに埋もれてしまうだろうし、逆に今ここで、一つ一つのネジを外して蓋を取っ払ってしまうには時間が足りなさすぎる。
 全開に設置されていたピアノの蓋を、絃人は半開に下げてから、
「僕、ときたま左腕で指示を出しますが、見えない方いらっしゃいますか?」
 ヴィオラとチェロの一部から、僅かに隠れるが、首席に合わせるから大丈夫、との声が出る。
「弦の人数は足りてますよね?」
 次に絃人はまず、ファースト、セカンドと平行配置で並ぶヴァイオリン群を見渡した。
「パーカッションに回る方が幾人か抜けたとしても、12人は確保できるわけだ」
 中間部の、ファゴットのゆったりしたソロによる語りかけの背後では、ヴァイオリンが全12パートに分かれ、ヴィオラは5、チェロは4、コントラバスは3パートと、各々がささやくように細かなリズムを刻むシーンが用意されている。
「余る人がどこを弾くのかも、今のうちに話し合っといて下さい」
 低音域の人数も確認しつつ、絃人は独り言のように付け足した。
「といっても、各パートが皆、がさごそ違う音を出してても観客には殆ど聞き取れないレベルなんだよね。ただ、聞こえない音ほど、潜在意識には深く働きかける効果をラヴェルは狙っているのでしょうけれど」
 これは間近で撮影を続けるカメラに対しての、視聴者向けに説明をしてやっているようなものであった。
 それから一同に言い渡す。
「ちょっとだけ構成を考えます。何かアイディアがあったら、ぜひ提案して下さいよ。あと、ボウイングもお任せしますから、決めといちゃって」

 絃人はスコアを見ながら思考をフル回転させた。ピアノとオケを、ほぼ全重ねするなんて無能なマネはしたくない。ピアノとオケとのスリリングな掛け合いや絶妙な調和も大切に、どの部分がピアノのソロで、どこがオケを引き立たせるか、音量に音色、響き、すべてを考慮した上で、完璧なピアノ協奏曲に仕立てねば。

 よし! いけるぞ! ほどなくして大方の構成が頭の中でまとまった。絃人は弦の首席や木管、金管らの間を迅速に飛び回って各パートに簡単な指示を出していき、やがてピアノの位置に戻って全員に告げた。
「出だしはピアノだけでシンプルにいきますので皆さん休んでて下さい。①からの、オーボエ、コーラングレ、クラリネットとリレーされる短いソロは楽譜どおり。合図はしませんからピアノのリズムに乗っかって下さい。③のトゥッティからは、全員一丸となって盛大にどんちゃんヤラかしちゃっていいです。音楽が勢いよくあふれ出るって感じで。と言ってもホールがホールだけに、響きは充分に考慮して。やり過ぎは禁物ですよ」

「ピアノの蓋が半開だと、オケに負けちゃうんじゃないですか?」
 今回のコンマスから心配の意見が出される。
「ピアノの音が完全に打ち消されてしまっては、コンチェルトの意味がなくなってしまいますよね」
「大丈夫」絃人は誇らしげに答えた。
「この2012年型って、オーケストラの大合奏にも負けない迫力の音を出せるのも特徴のひとつなんです。蓋を半開にしても、さほど影響はないでしょう」
 頼もしい相棒の肩を叩くようにピアノのボディをぽんぽんと愛でてから、深い愛情と敬意を込めて絃人はピアノの鍵盤に指を滑らせた。課題曲の、勢いよく音階が駆け上るパッセージ、続くスタッカートの連打といい、オケの全合奏をはっきり感じさせる派手な和音といい、軽やかで華麗で澄み切っていて、どこにも力が入っていないようなのに重厚で豊かな音色。わずかな試弾でありながら、このピアノと弾き手による魔法にかけられたような魅惑の響きが、ホール全体に鳴り渡る。

「まずは全員が息をそろえることの方が大切ですし。それにオケとピアノが一緒に重なる場では、ピアノはオケの一部の音色として、完全に溶け込んじゃっていいんです。反面、ピアノソロを効果的に際立たせたいシーンも、ちゃっかり ── 失礼、しっかり用意しましたから」
 一同が、あはは、さすが有出さんらしいわ。と笑い、和やかな空気の中、
「いきます」
 軽快に音出しが始まった。
 誰もがはっと息を呑む。真夜中のロビーラウンジで聞いた彼の〈青きドナウ〉のピアノも素晴らしかったけれど、これは──!
 最高の音響のホールで、最高のピアノ。調律も完璧という条件の元で紡ぎ出される魔法の音。先ほどの試弾が、本当にただの試弾に過ぎなかったと思い知らされる。これこそが、本物の音楽だ。ごく自然にさりげなく、一瞬で完全にその場の空気を支配し、聴き手を引き込んでしまう異様なまでの……、まるで魔力? しかもベーゼンドルファーは他社のピアノより鍵盤が重いはずなのに、何の指練習もせず、譜面をさらう準備もせず、いきなりしっかりしたタッチでリズミカルに弾きだすとは。
 思わず引き込まれ聞き入ってしまい、ほどなくしてソロで入るはずのオーボエ奏者は、絃人が弾きながら、「お次どうぞ」とばかりに目線をちらりと投げかけてくれなかったら、うっかり入りそびれるところであった。
 まずは止まらずにおしまいまで通したところで、有出絃人のアレンジによるピアノ協奏曲版への皆の感想は、「完璧!」のひと言に尽きるのだった。

 机上の推理ならぬ、スコアを眺めるだけで考え出された「有出版〈道化師の朝の歌〉」の構成は、音出し後に多少の修正を加える程度でリハーサルは滞りなく終え、「原状復帰」の指令に従い、絃人はピアノの蓋を全開に戻した。この後の、Bチームのリハ&本番後には、Aチームの本番仕様にしてもらうべく、ステージマネージャーの岩谷氏に依頼する。

「ピアノの蓋は半開に。譜面台は取り外しちゃって下さい」
「ピアノソロ、暗譜でやるんですか?」
 岩谷が驚きを隠さずに確認してくる。
「はい。元々弾ける曲だったので。オケ用のスコアも下げちゃっていいですから」




47.「予期せぬあれこれと、迷惑道化の話」に続く...




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