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「オケバトル!」 39. 否応なしに仕切らされ


39.否応なしに仕切らされ



 誰が落とされるのか。

 本当の裏切り者だとしたら、消えてもらったほうがチームのため。しかしそれが管打楽器の誰かだとしたら、どんなに嫌な奴であろうと、へたっぴであろうと、チームにとって打撃には違いない。
 本当に数人いっぺんに?
 長岡氏なら、やりかねないぞ。それとも一人か二人程度?
 そんな会話がひそひそなされる中、あの修羅場で審査員に堂々と逆らい拒絶発言をした有出絃人、浜野亮、上之忠司、白城貴明、山岸よしえの五名だけは、脱落免除が保証されているも同然であった。
 中には自分が彼らに拍手で賛同するなど、仲間意識をきちんと表明したか、記憶が定かでない者も若干いたし、目立ちすぎる有出絃人への反発心やライバル心から、あえてクールに傍観していた者は、己のそうした態度がカメラにどアップでばっちり捉えられてたらどうしよう、と冷や冷やものであった。つかの間アフタヌーンティーの休息中も、死刑執行人がいつ何時現れて、荷物をまとめろと容赦なく促されるのではないかと、上等スウィーツも繊細な味わいのお茶も喉を通った気がしない。

 まだ知らされていない今宵の課題曲に向けて、リハーサル室に一歩でも足を踏み入れさえすれば、もはや我が身も安泰──、といったギリギリのタイミングで、Aチーム、クラリネットの彼女は番組の女性スタッフにガシッと腕を捕まれた。
「はーい、あなたはここまでですよ」



 ほぼ同時にBチームのリハ室前でも同様の事が起こっていた。
 オーボエの彼女は、ドアの前に立ちはだかる大柄男性スタッフに自分だけが通せんぼされ、リハーサル会場への入室を阻まれる。

 彼女と一緒にいた会津夕子は、次の課題曲の話題で騒然となっているリハ室内の様子と、次なる自分のヴァイオリンのポジションに気をとられ、連れが呼び止められても気に留めなかったのだが、チューニングの段階でオーボエが一人足りないと周囲が気づき始め、あの通せんぼがルームメイトの脱落を意味していたのだとようやく悟るのだった。
 元々協調性なかったし、レベル低かったし、本番前にブヒブヒふざけたり、とんだトラブルメーカーだし、当然の結果だね。と、皆が同情もせず、とばっちりを受けずにすんだと安堵している中、夕子だけは納得がいかず、楽器を椅子に置いて出て行こうとする。

「拒絶男が落ちそうになった時、思わずニヤけちゃった」って、香苗ちゃん言ってたっけ。あの有出さんを毛嫌いしてたから、きっと拍手とかでも賛同しなかったのかも。それが裏切り者の証拠として映像にも残ってて……。どうしよう。有出さんとのことは個人的な事情だからって、番組側に説明してあげないと。

 夕子の動揺ぶりを察した隣のヴィオラ青年が、彼女に座り直すよう、そっと引き留めた。
「だって香苗さん、ルームメイトなんです~」
 泣きそうな声で言い訳する夕子であったが、
「ここはプロらしく。今ここでリハを抜けたりしたら、あなたまで脱落ですよ」
 と彼に静かに警告され、やむなくいったんは着席する。
 昨日のリハーサルで、ヴィオラによる大変美しい《コッペリア》の一節を奏でて、夕子の心をわしづかみにしてしまった青年が、今、この場で毅然とした態度で思いやってくれるのは嬉しい限りであったが、恋か? 友情か? と、それでも迷う夕子は、
「ダメ。やっぱり一緒に脱落することになっても、いいです!」
 再び立ち上がりかける。と、今度は今回プルトを組む隣の女性から厳しい口調で諭されてしまう。
「勝手に自分から脱落なんて、許されないの。Bは人数少ないんだから。くだらない個人のレベルでなくて、チーム全体のことを考えて」
 先輩格からピシャリと言われてしまうと、もうどうしようもない。夕子が「自分はここに居ていいんですね?」とばかりに怯えながらヴィオラの青年を見やると、彼が「安心して」とでも言いたげに優しくうなずいたので、単純夕子は自分が彼にすっかり守られているような気になってしまう。
 そう、脱落者への同情や批判どころではないのだ。今宵の演奏においても、これまた無理難題がふっかけられているのだから。

──今後続く課題の三曲においては、指揮者を立てずに演奏のこと──。

 リハーサル室に届けられた新曲スコアとパート譜に添えられた容赦なき通達。
 元々Bチームは一曲目の〈レ・プレリュード〉にて、指揮者ナシでもそこそこ演奏できたのだから、まあ、なんとかいけるだろう。と、楽観視する者もいたが、なにせ今回の課題はラヴェルの〈ラ・ヴァルス〉。揺れ動きの大きなワルツゆえ、指揮者不在では到底難しかろう。不可能といってもいいほどだ。先刻の午後の部で審査員にあからさまに反旗を翻した我々に対して、実は腹を立てている長岡による悪質な仕返しだったりして?
 ともかくリハだけは誰かしらリーダーを立てて進めねば。順繰りにコンマスの席に収まっているおっとり系の男性は少々頼りなげだし。さあ、どうしよう? 

 ファーストヴァイオリンの後方で、自分は透明人間であると自己暗示をかけていた浜野亮は、いつしか一同の目線がこちらに集中していることに気づいたが、さりげなくパート譜をチェックするなどして、あくまで透明人間のふりを貫くことにする。彼らはきっと、自分の脇に鎮座するハープ奏者のエキストラが、いつリハに現れる予定なのか? といった状況を気にしているに違いない、と。

「時間がないぞ!」
 ラッパおやじの一喝で、リハ室が異様な静寂に支配される。

 それでも自分に言われたことではないはずと、だんまり知らんぷりを決め込む浜野亮に、
「今の言葉を分かりやすく訳しますとね……」と、隣の女性が丁寧に ── 実は凄みを効かせた声色で ── 彼に語りかけた。
「時間がない。イコール、『マエストロ浜野、さっさと仲間の前に立ってリハを進めてください』ってことなんですよ」
 そこで亮くん、
「フランス音楽には精通しておりませんので」
 やむなく小声で告白。更に、オケバトラーにとって不利な発言として記録されるのを覚悟の上で、正直につけ加える。
「とくに近代物なんて、なおさらでして」
「といっても、この曲はウィーンへの憧憬を描いたものでしょ。シュトラウスへのオマージュとして」
「そうそう。ウィーン関連の音楽には違いないんですから、大丈夫ですよ」
 こうした周囲の呑気な発言は、既に定評のある浜野亮のウィーン通を見込んでのこと。ラヴェルの音楽スタイルが、シュトラウスのワルツなんかとはまるっきりかけ離れていると実は承知の上で、マエストロをおだてるべく言っている。

「それにまた、自分の解釈がチームの演奏に反映しちゃってるなんて審査員陣に誤解されるのも、どうかと思いますし……」
 などと言い訳しながら亮は、
「といっても、ラヴェルの音楽には疎いんで、そうした影響はないとは思いますが」
 謙遜のつもりで、うっかり口を滑らしてしまう。
 言ってから、しまった! と気づくものの、おまけのその言葉が決めてになり、
「それなら影響に関しては気にしなくていいじゃないですか!」
「早速リハ、お願いしますね」
 と、問題をすり替えられてしまう。
 え? そうじゃなくて、この曲を仕切るのは無理って言ってるんですが……、なんて言い訳はもう誰も耳を貸してくれなさそうだ。透明人間転じ、「自分は微妙に揺れ動く、ただのメトロノーム。拍子さえとれれば良いのだ」と暗示をかけ、ともかく皆の前に立って指揮者の譜面台に置かれたスコアをめくってみることにする。



 Aチームでは、そもそも脱落の最有力候補者 ── といっても最有力以外に脱落候補者の名は挙がっていなかった ── クラリネット倉本早苗の脱落に、皆が祝杯を上げたい気分であった。中でも心の中で思い切りのバンザイを叫んだのは、彼女を毛嫌いしていた同じクラリネットの男性と、苦痛のルームメイト、ヴィオラの沢口江利奈。
 オーケストラの中核音域を担う貴重な木管が一人欠けたが、重要な和声は必要に応じてヴィオラ辺りで補えば良いだろう。と、多くの者が楽観的に事態をとらえる。
「指揮者不在の本番」という無謀な通達を受け入れるとしても、さて、どうやってリハを進めていくか。今回初コンサートミストレスが回ってきた若い大西さんと、テンポや方向性について話し合っていた有出絃人が、まずは一同に尋ねてみる。
「〈ラ・ヴァルス〉に精通しておられる方、いらっしゃいますか?」
 こうした問いかけはチームメイトに疑心暗鬼を呼び起こす。つまりコンミスの彼女、この曲に関しては、まったく頼りにならないということか? 加えて有出氏はとくにファーストとセカンドのヴァイオリン辺りに目線を投げかけている。場合によっては、コンマスの交代も考えているのでは?
 誰も返事をしないので、絃人は自分こそが実は精通しているという事実を棚に上げ、再び皆に問いかけた。
「では、ラヴェルの管弦楽曲に詳しい方は?」
 やはり反応ナシ。
「そんなはず、ないでしょ。これだけの精鋭部隊で、ラヴェルに詳しいメンバーが誰一人いないなんて」
 きつい口調で絃人が言い放つ。
「どなたかにリハを進めて頂きたいんですけど?」
 皆の無責任な態度に呆れつつ、
「じゃあ百歩譲って、フランスでの活動や留学経験のある方は?」
 それでも一同はだんまりを決め込んでいる。
「いらっしゃるでしょ!」と、たたみかけるも、誰一人絃人と目を合わせようともしない。
 そこで彼はフェイントをかけることにする。

「それでは、この曲を演奏したことのない人は?」

 仮に、演奏経験のある者を問うた場合、多くの者が聞こえないふりをしたかも知れないが、「演奏経験のない者は名乗り出よ」と言われてしまうと、あえて偽って未経験を主張する者などいなかろう。
 案の定、オケ経験の浅そうな数人の若者がそっと手を挙げる程度であった。
 やはり皆、曲はちゃんと分かっているのだな。ならば何とか形にはなるだろう。状況を把握でき、一応ひと安心する絃人。しかしこれを指揮者ナシで演奏するとなると、到底責任など持てやしない、というのが皆のだんまり理由。名乗りを上げる=失敗したら即刻脱落。を意味するのだから。

「ねえ有出さん? そうおっしゃるあなたこそが、フランスでも結構なご活躍をなさってたそうじゃないですか」
 そこでトロンボーンの二番手辺りから呑気な調子の声があがった。
「今更遠慮なんて、しなくていいんですから。これまでどおりにリハを仕切って頂けると、我々としてもありがたいんですけどねえ」

 これはちょっとした既視感を覚える流れではないか。

 参加者が初顔合わせの初日のリハでも、このトロンボーン氏の穏やか呑気なテノールによって絃人は指揮台に立たされ、以来、常にリハや本番を否応なしに仕切り続ける羽目になったのだ。
 心の中で絃人はぼやく。経験豊富な年輩者を立てるなり、学生上がりの新米を表舞台に引っ張り出すなり、「オレ様有出」の率いるAチームでなく、皆が公平に活躍のチャンスを与えられつつ、チームのカラーを作り上げてゆくべきなんだがなあ。

 へえー? 彼、ウィーンで学んだというから、ドイツや東欧系の音楽に強いのかと思っていたら、フランスにも行ってたのか。と、感心する一同。
 バトル参加者の経歴は、有志による独白ルームでの映像などと同様、自室のモニターで自由に閲覧できる仕組みとなっており、各自が応募時に提出した自身の演奏動画や、番組の選考オーディション時の演奏や面接の模様までが出てくるものだから、審査員のみならず、参加者どうしも次の脱落候補者を絞ったり、逆に断然残しておきたい仲間をチェックしたり、ライバルチームから引き抜きたい者の実力を探ったりと、今後の対策を練るにはもってこいなのだ。
 一日三度のバトルを終え、疲れ果ててベッドにバタンキューの者もいれば、楽器のメンテナンスに余念がない者、リハ室の使用可能な限り基礎練に励む者、意気投合した仲間と深夜まで酒を酌み交わす者、パジャマパーティーで語り明かす仲良し女子たちなど、人それぞれではあるが、バトル参加初日にスマホなどの携帯機器を没収され、パソコンでの調べ事すらできない環境に置かれては、暇な時間帯をもてあましてのライバルの経歴や得意分野などの偵察が日課ともなり、参加者の情報に詳しい者も何人かはいるようだ。

「有出絃人さんは、日本の音大を卒業後、海外では主にウィーンにてヴァイオリンを学び、ドイツでオーケストラに所属し、そしてフランスでは何と、バレエ学校で伴奏ピアニストを務めておられたという、一風変わった経歴をお持ちのようです」
 と、リハーサル前の状況を隅で見守っていた宮永鈴音が視聴者のために小声で説明を入れる。
「つまり、こうした〈ラ・ヴァルス〉のようなフランスもの、そしてバレエ音楽にも、さすがに相当お詳しいものと思われます。Bチームの浜野カラー同様、Aチームでは有出カラーが完全反映されていると審査員の意見が出ていましたが、やはり今回も彼がチームをリードしてゆくことになるのでしょうか」

 トロンボーン氏の指摘のとおり、この課題曲、絃人にとっては相当な自信と共に「お任せあれ!」と言えるほどであった。またしても自分のやりたいように曲作りを進めて良いものかと少しばかりためらっていたのだが、こうなったら遠慮も何もあるものかと、絃人は改めて覚悟を決める。しかし引き受けるからには容赦はしまいぞ。
「仕切らせて頂くからには条件があります」




40.「品格と共に滅亡すべし」に続く...


★ ★ ★ 今回の脱落者 ★ ★ ★

迷惑お騒がせ双子(実際は双子でなく年子の姉妹)
  倉本 早苗(姉)Aチーム Cl.
  倉本 香苗(妹)Bチーム Ob.

♪ ♪ ♪ 今回初登場の人物 ♪ ♪ ♪

大西嬢 Aチーム〈ラ・ヴァルス〉コンミス
    白サギから突如、猛禽類に豹変?




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